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アメリカの現実②「米国生活25年の私にとっての差別」

もう25年以上この国に住んでいるけど、私はあまり自分がアジア系人種であるという点で差別を感じたことがない。ただ1つだけ、記憶に引っかかっているコトがある。24年ぐらい前、夫と2人でイタリアンレストランに、電話でオーダーしていたピザを取りに出かけた。私がレストランの受付に名前を告げてピックアップしようとしたら、彼女が何故か一言も私と話さず、すーっと奥へ引っ込んだ。私は多分彼女が私達のピザを取りに行ったんだと思って、じーっと立ち尽くしていた。彼女は戻ってきたが、私の存在が見えないかのように、後から来た別のお客と話し始めた。私は何回か彼女に話しかけようとしたが、彼女は目をそらしたり、身体の向きを変えたりして、私を無視した。15分間ぐらいこのやり取りを見ていた夫は、"Enough is enough"と言って、私の手を引っ張って店を出た。

「何故、私を助けてくれなかったの?」

普段は滅多に怒りを面に表さない夫が、かなり怒りに満ちた顔で、無言のまま、車に戻った。私は「あなたが間に入ってオーダーの件を聞いてくれたら、彼女は答えたかもしれない。なぜ遠くで見ているだけだったの?」と聞いた。夫は「最初、彼女は単に忙しくて、君に返事をしないのかと思ったが、そのうち彼女が明らかに君を無視していることに気づき、こういう差別的な態度を取る人間と口をきくのも不快なので、店を出た」言った。実際、私はこの夫の言葉を聞くまで、自分があの女性に人種差別されていることに気がつかず、何で自分を無視するのかがよく分からなかった。だが、この夫の言葉に驚き、さらに自分のナイーブさに呆れてしまったのを、思い出す。

夫は「僕があのまま店に居たら、彼女に何で自分の妻を無視するのか? 話を聞かない理由は?などと 言い始めて、物凄く不愉快な思いをすると思い、店を出た。彼女のようなattitudeをする人間には、論理的な話し方をしても、何も得られず、時間の無駄だ」を言い放った。

「私の肌は何色?」

あの頃の私の人種に関する意識のなさとナイーブさは、今考えると笑い話のように思える。確か永住権或いは運転免許証の取得かなんかの書類だったと思うが、自分の身体的特徴を描写する項目があった。まず人種という項目で、私は「Asianという項目は目についたが、日本は島国だから Pacific Islanderにしたら、まずいかな?」と思い、「私の髪の色はblack、目の色はBlack、肌の色って言われても、日本では肌色という言い方しかない、ここはYellowって書くべき?」と夫に尋ねた。夫は笑いながら「気持ちは分かるが、君の人種はAsianで、髪の色はBlack、目の色はBrown、肌の色はLight brownと書くべきだと思う」と言われた。

生まれて初めて、自分の肌の色を描写するという経験をしたことと、さらに自分の肌の色を「Light brown」と書くことへの驚きは、強烈だった。日本の女性を描写する「黒目がちで肌は色白」といった表現は、この多人種の国では成り立たない。また自分はアジア系という人種のスタンプを押されて、「Light brown」の肌を持つ「People in color」であることを初めて自覚した。

「あなたは苦労知らずのプリンセス」

1995年日本勤務だった夫と日本で結婚したが、その年、夫が突然San Joseオフィスに戻ることとになり、私は16年勤務した電通Young & Rubicamを退社して、何のツテもなく、シリコンバレーにポーンと来てしまった。英語が苦手だった私に対して、日本退社時に周囲からは「大柴は米国に行っても、せいぜいセブンイレブンのキャッシャーぐらいしか職はない」という、思いやりの溢れる(笑)励ましをもらった。その予言通り、まだインターネットが一般に普及していない当時は、新聞や雑誌の求人広告とキャリアクションセンターという求職者サポートの施設で、職探しするという時代であった。当初の職探しは困難と屈辱の数々で、この辺は別な機会に改めて書いてみたい。最初にやっと手に入れた仕事は、夜勤もあったメールオーダー企業(当時日本の顧客は海外カタログを手に取って電話或いは郵便で製品をオーダーする)の日本人向けのCS。その後紆余曲折があったが、私の日本での広告業界における成功体験を知っている人間が、SFベイエリアにいる私を発見して、結果米国広告代理店のMcCann Erickson San FranciscoでAccount Supervisorとしての職を得た。当時外部の日本人の翻訳者と契約しており、何の話題かは忘れたが、彼女と色んな話をしている最中、いきなり「あなたは苦労知らずのプリンセスだから、アメリカのリアリティなんか何も分かっていない」と言われた。

「プリンスチャーミングに守られているあなたには、米国の差別は分からない」

私はその言葉に驚いて、どういう意味か?と尋ねると、彼女は「私のようにシングルでフリーランスのアジア人女性は、まず自分が住むところを探すのが物凄く困難。やっと見つけた場所に、電話で家主にコンタクトすると、アクセントを聞いただけで、既に埋まったと断られ、電話ではなくF2Fで直接会いに行けば、見た瞬間に嫌な顔をされる。日本語関係以外の仕事に応募しても、殆どの場合は相手にされない。私の場合は、アジア系 X 女性 X フリーランス(会社勤務でない)X シングル =マイノリティの4乗、という方程式になる。あなたにはPrince charmingと呼べるアメリカ人の白人の夫がいて、彼の保護下で生活をしている以上、アメリカの差別の根深い部分を理解することはできない」と言われた。

私の場合は差別されても「可哀そうに、この人は自分と違うという人への恐れで差別するんだな」と思ってしまう。

私は彼女の鋭く切り込む言葉を聞きながら、彼女の長年蓄積された「不公平な扱いへの怒り」を感じて、敢えて反論はせずに、彼女の指摘で尤もな部分のみを挙げて、ある程度彼女の意見に同意を示した。理由は、私は彼女に依頼したプロジェクトの責任者で、職務上彼女は私の管理下にあり、私がパワーハラスメントとはいかないまでも、職務権限を元に反論したと思われることを避けるという点。さらに、幸運なコトに、私は差別されても「ああこの人は自分と違う人への恐れがあるんだな」と思ってしまい、ちょっと怒ってもすぐに忘れてしまうという、傾向があるからだった。

ただ今、この2020年6月5日まで生きてきて、深く実感することは、やはり自分は長年に渡って日常的に差別され続けてきたわけではなく、彼女が指摘した「アメリカの根深い差別」を、やはり体験していなんだという思いである。

"Black Lives Matter"としか、今は言えない

私が4日前に書いた"I can't breathe"というブログに、私のGeorge Floyd事件とその後の抗議運動に関する気持ちは書いた。

以前、Obama大統領は、自分は大統領であるが、例えそうであろうとなかろうと、自分が黒人である以上、言われなき取り扱いが起こる可能性があると発言した。

また、ミネアポリスの市長Jacob Freyは、"Being Black in America should not be a death sentence. For five minutes, we watched a white officer press his knee into a Black man’s neck. Five minutes. This officer failed in the most basic, human sense."(黒人として生きることが、アメリカでは死刑宣告に等しいという事態であってはならない。5分間、白人警官は黒人男性の首を膝で押さえ続けた。5分間。白人警官は人間として根本的な過ちを犯した)と発言した。

夫は「米国は、過去400年間も黒人を下に落としていた。まずは彼らを同じ高さに上げることが大切。だから、"Black lives matter"なんだ。その後ならば、"All lives matter"って言ってもいいけど、今はまだ言えない」とつぶやく。





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