モノクロ写真の中で出会えた父
2020年8月も今日が最終日ですね。
毎年8月は田舎に帰省し、私が高校生の時に他界した父の墓参りをするのですが、今年は長距離移動を断念しました。
関西でひとりで暮らす母からも、
「わざわざ関東から来なくていいよ」との連絡もありましたので。
(´;ω;`)
その代わりに、母は実家の片付けに精を出していたらしく、数日前にミカン箱ほどの段ボールが我が家に届きました。
「あんたのモノがいろいろあったから、詰めて送ったよ」
と事前に連絡はあったものの、段ボールを開けてみたら・・・
私が学生時代に使っていた文具類や、もう決して読まないような本、アクセサリー、小物アレコレ・・・。
実家は30年前に出たのですが、あれこれ残していたのですね。
「いや~、捨ててくれて良かったのに~~」
(;^ω^)
というのが本音ですが、母の世代の人はモノを捨てるのが苦手なのですね。
段ボールごと処分しようかと思案していると、複数の封筒が目に留まりました。
「捨てる前に、とりあえず中身は確認はしておこう」
と封筒の中身を取り出してみると、そこには何枚かのモノクロ写真がありました。
一枚のモノクロ写真には、男の人が小さい赤ちゃんを抱いている姿が映っています。
「こ、これはもしや・・。私と父の写真なのでは??」
この写真は見たことがありませんでした。
生前の父は母や親せきに何かと苦労をかけた人でしたので、その死後も思い出話で盛り上がることも少なく、残された家族は過ごしてきました。
人とのコミュニケーションが苦手な父でしたが、なぜか私だけはとてもかわいがっていたと聞かされています。
モノクロ写真の中の父の表情を見ていると、
「大きくなってからはあまり口も利かなくなったけど、たっぷりと愛情を注いでもらえていたんだな」
としみじみ感じました。
九州男児で寡黙な父との思い出は、川で水浴び、山へわらび取りなどアウトドア関連がほとんどでした。
移動の際は、私は父の運転する軽トラックの荷台に乗り込み、ジェットコースター搭乗気分で車の振動を楽しんでいたものです・・・。
残暑きびしい夏の終わりに、私は一枚のモノクロ写真でタイムマシーンに乗り込んでしまいました。
(*´ω`)
今年のお盆はお墓詣りはできなかったけれど、一時、父との思い出を楽しめました。
こんな風に故人を思い出すことも、供養になっているかな?
(^-^)
モノクロ写真、無くさないように大切にしよう。
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