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記憶廻転数

夏も終わりが近づいてきてなんとなく秋に心が寄っていたここ数日でしたが家の近くで小さな祭りがやっていたので少し夏を感じてきました。
色々考えることはあったけど今日特に思ったのは記憶の引き金となるトリガーって意識下でも無意識下でも変わらず強い記憶を引き出すなって思いました。

ちょっと話しが飛んでる感じがするんで例えばとして僕の意識下にあるトリガーの話でも少しします。
例えば、音楽だと僕はヒステリックナイトガール特にAwakeningを聞くと大学受験の日のことを思い出します。僕は勉強中も試験会場に行くまでの一人の時間も、コロナ明けで辛すぎる体調を何とか休ませるための昼休憩中も、何も出来なかったと家で一人で泣いた時もずっとこの曲を流し続けていました。
今となってはなぜこの曲を永遠にかけ続けたのか、なぜこの曲を呪いの対象としたのかはわからないです。けど、今でもこの曲を聞くとその当時のことが鮮明に思い出して軽く絶望します。

こんな感じで記憶と結びついてる自称や物、サービス?芸術とかそういうのを勝手にトリガーって僕は昔から呼んでて、自覚あるものはなるべく遠ざけていました。

でもたまに無意識下のトリガーってのもあるんですよね。避けられない、1度は受けなきゃいけない。なんとなく嫌な感覚。

心がいつまでも子供のままな僕は今でもお祭りに行くとものすごくはしゃいでしまって、射的とか輪投げとかくじ引きを全力でやってしまうので、今日もくじ引きをしようと思って列に並んでいました。
僕の太もも辺りまでしか身長がないようなちっちゃい子供たちの中(注釈としては祭りが小さすぎてここにしかくじ引きがない&親子連れが多くて結果的に小学生、中学生が極端に少なかった)に並びながら賞品を見てたら不意にくじ引き自体が男の子用と女の子用に分かれてたのをみつけてふと昔の記憶を思い出してくじ引きをせずにそそくさと祭りから出て神社の外で親を待ちました。

昔の記憶と言っても些細なもので、同じように男の子用と女の子用に分かれたくじがあって僕はどうしてもおもちゃのエアガンが欲しくて男の子用が引きたかったけど引っ込み思案で言い出せず、半べそを書きながら親にくじで貰ったおもちゃのネックレスを見せて心配されるってだけの記憶。

あの時の僕から多分何も変われてないんだろうなって思います。
欲しいものとか手に入れたいものを本気で掴みに行けるほどの力も勇気も努力も足りないところ。
そんなことに気づいて少し虚しくなりながら多分今年最後の夏の思い出であろう今日を過ごしました。
来年こそはもう少し祭りとか海に行きたいものですね。

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