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囚われる

小さい頃から『細い』って言われて周りから褒められていた。

何も出来ない、褒められる要素のない、自己肯定感がゴリゴリに低い僕にとってこれだけが唯一誇れるアイデンティティだった。

実際問題、中学生の時までは細くなろうとしてなった訳ではなく、単に太れないだけだった。いくら食べても太らないし、逆に筋肉をつけるために一旦肉を作らなきゃ行けない時にも体重が増え無さすぎてみんなと違う筋トレをして補うしかなかったくらいには太れなかった。

だけど、1番細くありたい高校時代からちゃんと食べた分だけ太るようになった。健康的になったと言えばそうなのだが、細いことしかアイデンティティがなかった僕からすると死活問題だった。その結果極端な行動をした。

どれくらい極端だったかと言うと、今だから笑ってここに書けるが、身長158cmに対して1番痩せてた時は32kg、BMIにして12.8という不健康にも程がある低体重だった。

流石にそこまで行くとみんなから異常な目で見られ体重何kg?って度々聞かれたが流石に素直には言えず35kgって答えていた。

そもそもなんでこんなことをブログに書き始めたのかと言うと、大学に入り徐々に体重が増えた僕に耐えきれなくなったからだ。
高校時代、1日、2日何も食べないなんて日はよくあった。極限の空腹状態になると僕のお腹はぺたんこになって腰骨が浮いて見えた。肋も綺麗に浮いて胸もなかったため、ほんとにストンっと言った感じで僕はその光景を見るのが好きだった。脚色なく、僕はその時だけは自分のことを認められた。細いってことだけが救いだった。
だけど、さっきお風呂に入ってる時に不意に僕は自分のお腹を見た。昨日の夜から丸一日、口にしたものとすればブドウ糖2粒、グミ2粒、飴1つ、サイダー、アイスティーといったようなとても食事とは言い難いものしか口に入れていない。それなのに、腰骨が浮いてこなかった。
たまらなく気持ち悪くなった。
細いことしか自分にいい所がないと思ってる身としてはほんとにほんとに今すぐにでもお腹に刃を突き立てて抉りたいくらいには許せなかった。

確かに、高校時代は痩せすぎててまともにご飯すら食べれなかった。食べても体が拒否して吐きたくもないのに吐いていた。みんなが覚えているかは知らないが、大学の最初の頃あまり昼が食べれていなかったのはその名残だ。それより思い出しやすいものとしては、ツイ廃のみんなでサイゼに行った時に体調不良になって何度もトイレに行った時があったと思うがあの時もまともにまだ食べれる時じゃなかった。確かあの日はあのサイゼが初めて胃に物を入れたんだったと思う。

でも今では、みんなで楽しくご飯を食べれるし体調もいい日が多くて充実していた。
その代わりに自分のアイデンティティが消失した。

僕はなにを選べばいいんだろう。

自分を好きになるには痩せるしかない。でも自分の求める細さまで行くと身体は言うことを聞かない。

昔はその不自由すらも愛せるくらいに細さが大事だった。でも今はみんなと過ごすうちに身体の自由の楽しさを知った。

こんなことで悩むのは贅沢なんだろうか。
でも、それでも僕は分からない。

大学生になったら普通になって、自分のことを大好きになりたかった。

今の僕はそれとはかけはなれている。普通に大学に行くことすら困難だし、太ったことで余計に自分のことが嫌いになった。


一番最初に僕を『細い』って定義した人を僕は一生許せないと思う。


こんなのは呪いだ。

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