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満月の日の物語⑧「11月30日」中編

「満月の日の物語」は、
毎月、満月の日に投稿します。
1話読み切り、若しくは2〜3話読み切りの
満月に纏わるショートストーリーです。

満月の日の物語⑧

11月30日 [中編]



それから、いつのまにか
こいつは俺の家に住み着くようになった。

いや、俺がそうした。



「いってらっしゃい」

毎朝いつも俺を見送ってくれる。

あれから、ゴミだらけだった部屋を
なんとか片付けて、
パチンコもやめて
ろくに仕事もしてなかった俺は
日雇いの工事現場に毎日行くようになった。
滞納していた家賃も全部払い切った。

毎日、日当の15000円を持って家に帰ると
おまえはいつもの調子で

「おかえりなさい」と言うのだった。

毎日こいつに渡してる生活費の3000円で
いつのまにか食材を買っては、
家で夕飯を作ってくれるようになっていた。

「今日は玉ねぎが安かったから、
玉ねぎいっぱいの献立にしたよ」

小さなテーブルにぎゅうぎゅうになるほど置かれた皿には、玉ねぎを使った色とりどりの料理が盛られている。

「今日もうまそうだな」と言うと

うれしそうに笑う。

あれほど痩せ細っていたこいつの身体は、
段々と標準体型に戻っていった。

「おまえ、そういやいつも同じ服着てるだろ」

「えっ、そんなことないよ?」

「俺が最初に買ってやった3着をずっと着回してるの知ってるぞ」

「だって、それで十分だもん」

「せっかくこづかいやってるのに、毎日食材にしか使わないで、もっと自分のために使ったっていいんだ」

「うん、でも、別に欲しいと思わないから…

…本当に欲しいものが見つかったら、それに使おうかなって思ってるよ」

「それならいいけど、無理はするなよ。
おまえはここで、おまえらしくいたらいい。
何も我慢することなんかない」

おまえはびっくりしたような
嬉しそうな、泣きそうな表情をする。

この数ヶ月、ずっと一緒に生活をしてるけど、
一度もこいつに触れていないし、きっとこれからもそうするつもりはない。
たぶんその気になれば、こいつは簡単に
「いいよ」なんて言うんだろう。
でも、そんなことをしたって何の意味もなさないことを、俺は感じていた。

あの日抱き上げた身体の細さも
あの日うたっていた歌も
もう微かにしか思い出せない。
だけど、あの歌をもう一度うたってくれ、とは
なかなか言い出せなかった。

なにより、俺はこいつの何も知らない。
年齢も名前も、どこに住んでいたのか、
親はどうしているのかも、
何度聞いてもこいつは答えなかった。

「やさしいね」

切なそうにそう笑うこいつを見てると
なんだか俺がすごい善人になったような気分になる。
そんなことはないはずなのに。



「慎也さん」



唐突に呼ばれた自分の名前に
一瞬固まってしまった。
こいつが名前を教えないのなら、
俺もこいつに名前を教えない。
それが俺の唯一のフェアな部分だったのに。

「なんで俺の名前を知ってるんだ」

「…ごめんなさい……
本当は隠しておこうと思ったんだけど、
知ったら、名前を呼びたくなって…」

「どこで見たんだ」

つい、声を荒げてしまいそうになる。

「お財布の中に、免許証があって…」

身分証明書が何かと必要になってきたタイミングで取った運転免許だった。

「勝手に見たのか」

「…ごめんなさい」

「おまえが名前を言わない限り、俺も言わない。
それでいいって話じゃなかったのか?」

「………」

「俺ばっかりが、フェアじゃないと思わないか」

「俺は、何も知らないんだぞ」

「…ごめんなさい」

「そろそろ、名前くらい言ったらどうなんだ」

「……」

落ち着かせながら話そうにも、何も言わないこいつに段々と苛立ちが募ってきた。

「わかった。じゃあ、名前を言うか、
今すぐここから出て行くか、
どっちがいいか、おまえが決めていい」

ずっと俯いていたおまえは、そっとこっちを見て
それから涙目で口を開いた。

「名前はもうないの。
昔の私は、あの日全部捨てたから。
だから本当に、名前はないの…
どうしても必要なら慎也さんが名付けていいから
お願い、昔の名前はもう使いたくないの……」

大きな瞳からぽろぽろと涙がおちる。

昔の記憶は消し去りたい、ってことか。
こいつの過去も痛みも、俺は何もわかってやることができないのか。

「…わかった。
じゃあ、おまえは今日から"ハナ"だ」

「ハナ……?」

「昔飼ってた猫の名前だ。
俺に名付けてって言ったんだから、
異論は認めない」

「…はい」

猫呼ばわりされたようなものなのに、
こいつは何故か嬉しそうに、ハナ、ハナ、と
何度も呟いている。

「慎也さん」

「なんだ」

「…ありがとう」

ハナは、そう言って、また笑った。





それから暫く、平和な日々が続いた。
毎日せっせと働き、
家に帰るとハナがご飯を作って待っている。
一緒にご飯を食べながら、今日あった他愛もない話をする。
時にテレビを見て、時に読書をして、
思いの思いの時間を過ごし、1日が終わる。
こんな日常が俺にくるなんて、
昔じゃ考えられなかった。
毎日酒を飲んで、カップ麺食べて
パチンコを打ちに行って、
当たればラッキーなんて、屑みたいなこと
中身が変わってなくても、今の俺には
なんだか順風満帆なように思えた。

なにより、隣でハナが笑ってる。
もう、なるべく泣き顔にはさせたくなかった。





ある時、ハナが言い出した。

「私も働きたい」

「働くって言っても、身分証明書もないのに雇ってもらえるとこなんかないぞ」

「なくてもなんとかなるところ、ない?」

「うーん…」

身分証明書がなくても働けるところなんて
ぱっと思いついてみても、おすすめできるはずがない。

「ハナは働かなくていい」

「だって毎日ここにいるのに、
慎也さんのおんぶにだっこじゃ嫌だ…

せめて私も生活費くらい払いたい…」

「それじゃあ、働くとはちょっと違うかもしれないけど、ひとつハナにもできそうなことあったぞ」

「なに?なに?」

さっきまで曇り空だった表情がぱっと明るくなる。

「うた、はじめてここに来た日、うたってただろ。
俺、あの少しだけしか聴けなかったけど、
いい歌声だなって思ったから。
公園か広場でうたってみたらどうかなって。
前に箱か帽子か置いて、投げ銭的な感じで」

「…うた、かぁ…
でも私そんなに上手じゃないよ」

「うまいかへたかじゃなくて、心に響くかどうかなんじゃないのか?
少なくとも、あの日俺はおまえのうたが…」

と、言いかけてやめた。
何を小っ恥ずかしいことを言ってるんだ俺は。

ハナは、ちょっと照れくさそうにしながら、
「考えてみるね」と言った。



次の日、家に帰ると、
ハナが古そうなギターを抱えていた。

「慎也さん、おかえりなさい」

「ギター、買ったのか?」

「うん、今まで貯めてたお金で、って言ってもリサイクルショップで4000円だったやつだけど」

申し訳なさそうに、
恥ずかしそうにしながら、音を鳴らしている。

「でも、お店の人が親切でね、ぼろぼろのギターだけど、また誰かに使ってもらえて嬉しいって。
切れてた弦も新しいのに替えてくれたの」

「おまえ、ギターも弾けたんだな」

「なんかねー、なんとなく触ってたらできるようになってたよ」

そういうのを、才能って言うんじゃないのか。
俺にはきっと無理だ。

「明日、ギター持って公園に行ってきてもいい?」

「あぁ、好きなだけ、行ってくるといい」

「ありがとう」



それから、ハナは週に何度かギターを持って
外出するようになった。

ハナの歌声を良いと思う人がだんだんと増えて
「今日は結構入れてくれたよ」とうれしそうに
小銭をじゃらじゃら言わせながら帰ってくる日もあった。

古臭かったギターも、毎日のメンテナンスの甲斐があってか、見る見るうちにハナに馴染んで、いい音を鳴らすようになった。

「いま、毎日がとっても楽しい!」

キラキラした瞳でうれしそうに話すハナを見て、
俺は心底嬉しかった。



だけど、ハナはその日、
公園に行く、と言ったきり帰ってこなかった。


いつもは帰ってくる時間をとうに過ぎても、
まだ帰ってこない。
そろそろ携帯を持たせようと思っていたタイミングだった。
今日は俺からも良い報告をハナにしたかった。
毎日働いてる工事現場の親方から、うちで正式に社員として働かないかと声を掛けられたのだ。
いつまでも日雇いで働くより、こんな俺でも社員として雇ってくれるなら、今よりもっと安定できる。
そしたらもっとハナとの暮らしも良いものになるだろう。
今日はそんな話もしたかったのに。



21時を過ぎても帰ってこない。
立ち上がって上着を取る。
ハナを探しに行こう。
玄関に行こうとした瞬間、

ビーーー

と、チャイムが鳴った。


「ハナ…!」


急いで玄関の戸を開けると、

立っていたのは警察官2人だった。


「夜分遅くにすみません。
三葉警察署の者ですが、引田慎也さんご本人でしょうか?」

そう言って、警察手帳を見せられた。

「……え…?」

「守山ひかりさんと言う方をご存知ですね?」

と言って、今度は写真を見せられる。

写っていたのは、

今朝まで一緒にいたハナだった。


「………」


「守山さんは今日の昼頃こちらで保護致しました」

突然のことに、何も言葉が出てこない。

「引田さん。あなたに、未成年者誘拐の容疑がかけられています」

「どうしてこうなったのか、
署で一度説明願えますか?」


俺はまだ、何にも頷いていない。
なのに、なぜこいつらは全部知ったような口調でそんなこと言ってくるんだ。

だけど、俺はこんなことしか言えなかった。

「未成年って…」

「お年、聞いてませんでしたか?
守山さん、まだ15歳なんですよ」








今までのことが、むしろ夢だったんだ。
俺はとんだ勘違いをしていた。
あいつと幸せな生活が
ずっと続くと思っていた。
思えば最初から幼い姿だとわかっていたはずなのに、どうしてこうなることを考えなかったのか。
いや、考えないようにしていたのかもしれない。

それが俺にできる最大限だった。
もっと他に手段があっただろうに。






警察官と一緒に、アパートの階段を降りると、
小さな満月が、空にぽつんと浮かんでいた。








[後編]につづく






最後までご覧頂きありがとうございました。
次回、12月30日の満月の夜にまた。

instagram @shirokumaza_hi



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