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映画「PERFECT DAYS」感想

封切りから大分時間がたってしまったけれど、今日やっと見に行った「PERFECT DAYS」の感想を、寝る前に言葉にしてみたくなり、2年ぶりにnoteを綴ってみようと思う。

役所広司演じる主人公・平山の毎日は、同じことの繰り返し。朝起きて、布団をたたみ、身支度をして、車を運転してトイレ清掃の仕事に行く。仕事から戻ると、自転車に乗って銭湯へ。いつもの飲み屋でいつものメニューを頼み、寝る前に布団の中で本を読む。淡々と、淡々と、それが続けられる。

あるシーンで、若い同僚は平山に言う。トイレなんか掃除してもどうせすぐ汚れるんだから、そんなに丁寧にやる必要はないでしょ、と。けれど、無口な平山はその言葉に何も言わず、ただ淡々と自分の仕事を続ける。

私が平山のその姿に共感してしまうのは、トイレ清掃の仕事が介護の仕事に似ているからかもしれない。

介護の仕事、特に寝たきりのお年寄りのケアは、食事と排泄の介助が中心になる。食べる、排泄、食べる、排泄。来る日も来る日も、入れては出し、入れては出しの繰り返し。そうしていると、人間はつまるところ一本の管(くだ)なんだってことをよく思う。

でも、どうせ出すんだから、食べても無駄でしょ、とはならない。だって、それが生きるっていうことだから。若くて健康な人でも、寝たきりのお年寄りでも、それは同じ。みんな同じ。

ミミズだって、オケラだって、アメンボだって。みんな、みんな、生きているんだ、ともだちなんだ。

繰り返し、繰り返し。生きるという営みは、同じことの繰り返し。のようでいて、その日の天気、日の光、風の向き、出会う人、起きる出来事……みんな、ちがう。同じ日はひとつとしてない。そして、一見見逃してしまいそうな小さなことにも、丁寧に向き合うと、そこに出会いがあり、心動かされるドラマがある。

映画は説明じみたセリフやシーンがほとんどない。なので、見ているこちらもその奥行きを想像してしまう。それは主な登場人物だけでなく、ほんの短いシーンしか映っていない人たちについてもそうで、それぞれの人生や背景への想像がかき立てられた(個人的には、安藤玉恵さん演じる女性が印象的だった!)そしてクレジットをみると、短いシーンしか出ていない人たちも、きちんと役と演じた人の名前が紹介されいたことが、なんだか嬉しかった。

映画館を出て、道行く人を眺めていると、見慣れた街が映画の続きのように見えて、しばしその人たちの生活の奥行きを想像してしまった。人はみな、それぞれに名前があり、生活があり、感情があり、「その他大勢」という人は、この世に一人もいないのだと思った。








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