ババアがジジイに壁ドンしてた話

今日の昼間、近所でババアがジジイに壁ドンしていた。ジジイがババアに、ではない。ババアがジジイに、だ。

近所の商業施設で、目当ての売り場に近づこうとすると、遠目で壁際で話し込む二人がいた。この商業施設は至る所にベンチがあり、へこたれた爺さん婆さんや、だべる学生がよく座り込んでいる。だからこそ、ベンチに座らず壁際で話す姿はやや不思議に思った。

売り場に近づく。なんか壁ドンしてる。もっと近づく。二人とも老人だ。至近距離まできた。ババアがジジイに壁ドンしてる。

はっきり言って、度肝を抜かれた。ジジイがババアに、ならまだ分かる。いや、分からない。そもそも壁ドンは高校生しかしないイメージがある。つーかフィクションの世界でしか行われないイメージすらある。それが、白昼堂々(屋内なので正確には白昼堂々、ではないかもしれないが)、しかもババアがジジイにしてるもんだからたまげた。

そして、感動すら覚えた。壁ドンは、まあせめてここ10年くらいで目にするようになった概念だ。その多くは、俺がイメージするように青春ドラマや映画でなされているはずだ。それらをジジイとババアが見ているとは思えない。ということは、壁ドンは人間にとってもともとインプットされた行動だと考えられる。こんな奇異な行動が人間にインプットされている。

そもそも壁ドンってなんなのか。「壁ドン"している(していた)"」って言葉は正しくないかもしれない。進行形なので、力士が柱を打つように壁に張り手しているのであればこの言葉は正しいが、ふつう「壁ドンしている」というとき、もう壁ドンは終わっている。通常われわれが「壁ドンしている」と表現するのは「壁ドンした」が正しい。のではないか。
っていうか元から「壁ドンしている」なんて言わないのかもしれない。

ジジイがババアに壁ドンしてたら納得できていたのだろうか。してないと思う。昼じゃなく夕方とか夜だったなら異様ではなかったのか。そんなこともない。よく考えるとババアがジジイに壁ドンしていたことではなく、壁ドンが本当になされる行動なんだということに驚いたのかもしれない。

(文責:ぺてん師)

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