したたかに生きる13

特に仕事で私はこういう気持ちになりやすい

・自分の発言は、周りにどのように思われるのか
・変な人だと思われていないか
・できないやつだと思われたらどうしよう・・・

全部、自分自分自分。
これ、メタ認知が弱いからなんですよね。
今日も、上司に指摘されました。←

ということで、今日はメタ認知について

メタ認知とは・・・  

1976年、ジョン・H・フラベルがメタ認知の基本となる概念「メタ記憶」を定義。その後、A・L・ブラウンによって、「理解への理解」である「メタ理解」や「注意を注意する」という「メタ注意」など、「メタ」の概念についての研究が深まりました。
メタ認知の定義は、「認知していることを認知すること」です。つまり、人が認知するに至ったきっかけから結果に至るまでのすべてのことを、自分自身で把握する、ということです。

どういうことか。

私の上司は、これと同じ意味で「離見の見」を例に教えてくれます。

我見、離見、離見の見
これは世阿弥の言葉ですが、「能を演じる人は3つの目を持たなければならない」と風姿花伝の中で語っています。
我見というのは、演者の目で見る世界です。
離見は観客が演者を見る目、そして離見の見は視点を上に上げて演者と観客の両方を上空から見る目です。
演者が本当に見ることはできないので、想像力を膨らませて自分を客観視することです。
自分が演者で、演じている自分を観客の目でみて、その舞台を全体的に眺める目を養えということ。

舞台の外から、全体を見て、自分の振る舞いを決めよ、といういことです。

ちょっと話はずれますが。

世間から多くバッシングを受ける人って、この視点が弱い人なのかもしれないと思ったりする。それか、本当に自分以外の誰かに操られている純粋な人。

または、それを利用してさらに自分の思う方向に持っていく人か。

前者の例は挙げませんが、後者は例えばホリエモンを想像しています。

嫌われるかもしれないことも十分含みおきで、自分の行動を決めているあたり、まさに完璧な離見の視点を持っているのだと思う。

彼のことは好きでも嫌いでもないけど、見習うとことはあると思います。
彼を嫌う人も、全て彼に踊らされている。そんな印象を受けます。

さて、話しを戻して。

普通の人が適切なメタ認知を得るために必要なことは、安心・安全な雰囲気が必要なのではないかと思うのです。

だって、「これ言ったら叱られる・否定される・認められない」と思われたら、普通の心臓の持ち主であれば耐えられないですよね。

それも含めて離見の見なのですが、我見が強すぎると、美しいものも美しく感じられなくなるし、楽しいものも楽しめなくなりますね。

演者が楽しんでいなければ、観客も楽しくない。
総じて、全体的に楽しくないし、感動的な作品(離見)は出来上がらないのではないかと思うのです。

いやいや。それもこれも全て含めて離見なんちゃーう。

自分の頭の中でまだまとまっていない思考にお付き合いいただきありがとうございます。

とにかく。

明日から、我見が強くなりすぎないように生きていきたいです。
それが、したたかに生きるための第一歩だと思うのです。

この視点を身につけられたら、超したたかな人間になれると思うので、引きつづき明日からも精進を進めてまいります。

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