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寂しさを完全に言語化しました

大学を卒業してから長短に関わらず、4拠点で生活をした。
というか4つの家に住んだ、が正しいかも。
その中でどういう感情になったかを話す。

なんか寂しさを感じるなど、言語化はできてない人は見てみてほしい。

①まず一つ目は愛知県。
地元ではないため、友達はいない状態でのスタート。社宅だったため、かなり仲良い友達と常に会える状況にはあった。
かなり忙しく時間の拘束が多いため、遊ぶ時間や、旅行に行ける時間もない。
そのため、仲良い友達とご飯に行ったりするくらいで、たまにほんの少し遠出するくらい。
寂しさはほとんど感じない2年間だった。

②二つ目は神奈川県で居候。
一つ目の仕事を辞め、ニート期間が半年ほどあった時の3ヶ月の生活。シェアハウスしている2人の家に住まわせてもらっていた。
地元の友達もまあ会える状態ではあったが、仕事探しが先決でほとんど家で勉強なりしていた。
何かをしなければいけないという少しの焦りと、人生でそうそう無いニート期間を少し楽しんでもいた。
旅行に行ったりはせず、家の近くで銭湯に行ったり、同居人と出かけたりした。
寂しさは少し感じるくらい。

③三つ目は鹿児島で家族との生活
これもニート期間の約3ヶ月の生活。
母親とその両親、親戚が近くに住んでいる状況で、友達は0。
就活や、勉強がほとんど、仕事が決まってからは、家探しや、離島への旅行もした。
寂しさはあまり感じなかった。

④四つ目は神奈川で一人暮らし。
仕事が決まり、新しい生活を再開。
友達も多く遊びに行く場所も充実。
旅行にもこれまでの人生を取り返すかのようにたくさん行く。物も買える。美味しい物も食べに行けるし作れる。新しい経験は人生で1番しているだろう。
しかし時間が増えた分寂しさも感じる。

一見、④番目が1番充実して、楽しく生活できているようにも見えるかもしれないが、一概にそんなことも言えない。
楽しい経験もしているが、時間がある分、暇を持て余してしまうこともあり、その時に1人でいると寂しさを感じる。
①②③でそこまで寂しさを感じなかったことを深掘りする。
大きく分けると2つある。

1つ目は忙しいかどうか。
2つ目は深い人間関係の人が近くにいること。
この両方もしくは、片方があれば寂しさを感じることは少ないようだ。

1つ目が1番大きい気がする。
人は自由に使える時間が5時間以上あると不幸になるという研究があるらしい。5時間かは忘れたが。要は時間をうまく使えないと心が落ちる傾向にあるようだ。
私もそれは④の生活で如実に感じた。
学生時代はずっと部活で拘束時間が長く、社会人でもかなり忙しかった。
今の生活は言ってしまうと大きく変わった環境。
これまで自分で決められる時間がほとんどなかったことによる弊害な気もする。
つまり、忙しいということは、考え方によって幸か不幸か決まる。

2つ目の深い人間関係の人が近くにいることは、
自分にとって大切な人がいることがとても大切だ。
①の環境は忙しすぎて、考える時間もほとんどなかった。もっと細分化すると、何も考えなくても勝手に何かをしなければいけない状態であったから、考えなくて済んでいた。
仲のいい友達もかなり近くにいたため、人間関係も深くなっていた。

②の環境は忙しさはほとんどなかったが、同居人がいたため、必ず人と会う環境にあった。

③も忙しさはほとんどないが、毎日家族と食事を一緒にしたり、安心感がとんでもなかった。

④は仕事はあるが、それ以外は自分で考えて時間を使える。言い換えると自分で充実した時間を作り出さなければならない。
家族は近くにいない。
友人は近くにいるが、いやでも顔を合わせるという環境ではない。
そうなると、私の仮説の寂しさを感じない二つの条件に一致していない。
だから時たま寂しさを感じるようになったのではないか。

最後にまとめると、
自由な時間が多い人は、うまく時間を使わないといけないという責任が生まれる。それがうまくいかないと、心が落ちる。

いやでも大切な人と顔を合わせる環境にないと、人とのコミュニケーションをするかも自分次第になる。

つまり、自己決定が多くなればなるほど、人生の難易度は上がる。
最高の人生にするにはリスクが伴うということだ。

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