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和風だしカレーで先輩を落とした話

企業努力が進んだカレールーは、誰が作ってもそれなりの味になる。カレールー自体の配合が完璧すぎて、下手に隠し味を入れるとバランスが崩れてしまうほど完成度が高いらしい。


大学生で初めて一人暮らしを始めた私も、カレールーに絶大な信頼を寄せていた。学部の友達何人かと家で勉強する時も、誰が言わずともお昼はカレーを作ると決定していた。そもそもちゃらんぽらん大学生の我々に、料理のレパートリーがあるはずもない。野菜炒め、チャーハン、カレー……壊滅的なレパートリーの中、みんなで食べるならやっぱカレーだよね!と安直な考えで決定し、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、豚肉の王道ポークカレーを作り始めた。


狭いキッチンとテーブルを使い、分担しながら野菜を切る。にんじんとじゃがいもの切り方で派閥ができかけたものの、なんとか全ての食材を切り終えた。あとはテキトーに炒めて水とルーを入れれば出来上がり。やっぱカレーって簡単でいいよね〜と、そのカレーすらまともに作ったことがないのに「私カレーのプロですよ」と言わんばかりだった。心なしか、友達みんな「カレーはね…カレールー入れるだけだからね」とカレーを下に見ている様子だった。


思う存分カレーを小馬鹿にしたところで、煮込んでいたカレーもいい感じにとろみがつき、ご飯も炊き上がった。各々好きな分だけご飯とルーをよそって席につく。いただきます!みんなで手を合わせてカレーをかきこんだ。


一口食べて、あれっ、と思った。あれ………カレー、え、苦くない…?チラッと友達を盗み見るも、みな誰とも目を合わせないように咀嚼していた。おかしい、明らかにおかしい。なぜ誰もおいしいと言わんのだ。そのまま黙々とカレーを口に運んでいたところで、ようやく「おいしいね」と誰かが口にし、うんうん、カレーは間違いないね〜と過剰に頷き合った。


食べてすぐにおいしい!と誰一人言わなかったことが、カレーのまずさを雄弁に物語っていた。切って炒めてルーを溶かしただけなのに、なぜまずくなる…?誰かが炒めてる時に焦がしてしまったのだろうか。カレーのプロ顔をしていた私だが、炒める→煮込むの工程すら担当させてもらえないペーぺーだったのでわかるはずもない。苦いカレーの謎は解けぬまま、その1年後にまたカレーを作ることになる。


2度目のカレーは、当時付き合ってた彼氏のために作った。苦いカレー事件以来、カレーは作っていなかった。作り手を選ばないカレーがまずくなった事実を受け入れられず、記憶から葬り去ろうとしていた節すらあった。


あの時は、だ、誰かが焦がしちゃったんだし…私が作れば大丈夫だよね…苦い記憶を消し去って、バイト帰りに彼氏の家でカレーを振る舞った。第一声は、「まずい」だった。


え、え……?まず、え…?バイト終わりで疲れた体にムチを打ち、リクエストに応えて作ったカレー。大好きな彼女が作ってくれたカレーがまずいなんてことあるのか????軽くパニックになりながら脳内で状況整理をしていると、「まずい物はまずいって言わないと上達しないでしょ?」とケロッとした顔で言われた。


憤死を通り越して悟り。もうカレーなんて一生作らん!!!と吐き捨てる勇気はなかったものの、この(クソ)彼氏のためにカレーを作るというか、料理すること自体やめようと静かに誓った。ちなみにまずい宣告を受けたカレーだが、苦いカレー事件の時のようなまずさは感じなかった。多少人参やらじゃがいもやらが固かった気はするが、まずくはなくない?と全然納得できなかった。


こうして、普通の人が「カレーなら作れます」と料理への自信を培っていくところ、私は「カレーだけは作れません」と自信をすり減らしていった。もう一生おいしいカレー作れないと絶望していた時、運命的なカレーに出会った。


『僕が本当に好きな和食』という本に載っていた、和風だしカレーである。大人気の和食屋「賛否両論」の料理人である笠原さんの本だ。この本に載っている「笠原家の豚こまカレー」というレシピが、私のカレー人生、よもや料理人生すらも変えてくれた。


「笠原家の豚こまカレー」は、カレー粉とおだしで味付けするカレー。カレー粉なんてもちろん買ったことがないし、だしだってとったことがない。だけど、片思いの先輩をなんとしてでも落としたかった私は、迷うことなくカレー粉を買ってだしをとった。調理開始から2時間が経過した頃、ルーで作るカレーとは比べものにならない労力をかけた、和風だしカレーが完成した。シャレにならないくらい疲れていたので、完成したカレーを味見してもおいしいかどうかさっぱりわからない。


だが、2時間かけて作ったのだ。この際まずくても先輩が料理で落ちなくても、食べてもらわないことにはカレーも私も成仏できない。2時間かけて作ったことも、ルーを使わず作ったことも伏せたまま、先輩を家に招いてカレーをよそった。


いただきます、手を合わせてカレーを口に運ぶ。先輩の反応を気にしないようにしながら、おいしいかどうかわからないカレーを咀嚼した。


「おいしい!」

先輩が目を見開きながら嬉しそうに言った。おいしい!おいしい!と繰り返しながら、口いっぱいに頬張ってガツガツ食べてくれた。


よ、良かった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!嬉しいよりもほっとしたという方が近かった。作ってよかった、喜んでもらえてよかった…先輩の「おいしい」が、カレーの苦い思い出を供養してくれた気がした。


料理をおいしいと言ってくれたのは先輩が初めてだった。大好きな先輩に褒められたことが嬉しくて、和風だしカレーはその後何度も練習した。2時間かかっていた調理時間も、今では1時間以下で作れるまでに上達した。当時あの手この手で落としにかかっていた先輩と結婚した私は、あの時よりも広いキッチンで和風だしカレーを作り続けている。

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