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世界中にある「支倉常長」像 ~大航海時代を生きたグローバル日本人~


サムネイル画像:宮城県慶長使節船ミュージアムのHPより引用 https://www.santjuan.or.jp/history.html

去年メキシコのアカプルコ市を襲った時速270キロのハリケーンを無傷で耐え抜いたものがある。支倉常長(はせくら・つねなが)の銅像だ。

この銅像は日墨友好の象徴として1973年に仙台市からアカプルコに送られたものだ。銅像がある「日本広場」にも被害はないようで、周辺の破壊された建物と比べると奇跡的だという印象を受ける。

アカプルコ海岸沿いにある支倉常長像
支倉像がある「日本広場」
隣の倒壊したバーの壁には「がんばろうアカプルコ」の横断幕が掲げられている

意外と知られていない支倉常長の偉大な功績

支倉については日本史の教科書で昔習った気がするのだが、どんな人物なのかあまり記憶が定かではなかった。調べてみると、江戸時代が始まったばかりの1614年に伊達政宗の命を受け「慶長遣欧使節」のリーダーとしてメキシコ、キューバ、スペイン、イタリアに渡った人物らしい。太平洋を通ってアメリカ大陸、ヨーロッパに渡ったパイオニアだ。支倉の功績について歴史学者の清水透さんは以下のように記している。

支倉は…(中略)…日本に銃器、印刷機、楽器、海図、医学といったヨーロッパの近代技術を持ち帰ります。使節団の一部はメキシコやスペインにそのまま残留し、日本人の血を残していく。こうして日本も、アメリカ大陸の「発見」そして太平洋の征服を介して、西回りだけでなく東回りでも、ヨーロッパとのつながりを拡大してゆくこととなります。

清水透『ラテンアメリカ500年』54頁

支倉がたどった大航海ルート

宮城県慶長使節船ミュージアムのHPより引用
https://www.santjuan.or.jp/history.html

支倉がたどった足跡は宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・フアン館)のウェブサイトにわかりやすく紹介されている。https://www.santjuan.or.jp/history.html

仙台藩主・伊達政宗は、当時のメキシコ(スペイン領ヌエバエスパーニャ)との通商を始めたいと考え、宗主国のスペインを主な目的地としてこの使節を派遣した。伊達政宗の家臣であった支倉が使節を率いることになり、大型帆船でまずはメキシコへ到着。アカプルコ(太平洋側)の港から入り、メキシコシティの教会を訪れ、ベラクルス(大西洋側)の港からキューバに向けて出発した。

キューバ訪問後は、大西洋を渡りスペインに到着している。だがスペイン王フェリペ3世に通商交渉に挑むも、どうやら成功しなかったらしい。
その後イタリアでローマ法王にも謁見。帰路では再びメキシコを通り、フィリピンにも寄港して日本に到着している。

メキシコ・アカプルコの港

支倉の銅像は世界各地に・・・

アカプルコに滞在していたときには完全に忘れていたのだが、僕は2019年にキューバでも支倉常長像を見たことがある。こちらがその銅像。首都ハバナの観光地、海岸沿いのけっこういい場所に建てられている。

右手に掲げた扇子は最終目的地のローマを指しているとのこと。支倉常長キューバに渡った初めての日本人になるのだそうだ。
Wikipediaの「支倉常長」の項目によると、支倉の銅像は日本、メキシコ、キューバのほか、スペイン、イタリア、フィリピンにもあるらしい。帰港したほぼすべての国に銅像があるとは面白い!将来、世界の支倉像をコンプリートしたいという謎の欲がわいてきた。

支倉常長 - Wikipedia

カギとなったのは「太平洋航路の発見」

支倉のたどったルートが面白いのは、大航海時代をそのまま体現したかのような航路だという点だ。支倉が出発するちょうど50年前、大航海時代の重要な出来事の一つ「太平洋航路の発見」があった。歴史上初めて、メキシコ→フィリピン、フィリピン→メキシコの航海ルートが確立されたのだ。

歴史学者の清水透さんは、その重要性について以下のように述べている。

1564年11月アウグスティヌス会の修道士ウルダネータを水先案内人として、レガスピ率いる遠征隊がメキシコ太平洋岸のナビダ港を出港し、約3カ月の航海のすえ1565年フィリピンに到達します。そして同じ年ウルダネータがおよそ4カ月かけてメキシコへの帰還に成功するのです。

以後1815年までおよそ250年間にわたり、300トンほどの大型帆船ガレオンによるこの太平洋航路をつうじて、定期的に人と物の往来が続きます。

この太平洋航路の開設によって、東回りでも西回りでも地球を一周することが可能となり、はじめて地球の一体化の基礎が築かれます。1521年のマゼランによる世界周航はあまりにも有名ですが、極論すればあれは単発的な事件にすぎません。彼のたどった航路を、その後、人や物が恒常的に移動した例はないのです。地球の一体化、世界史の成立という面では、レガスピ、ウルダネータによる太平洋航路の発見こそが決定的な意味を持っているのです。

(清水透『ラテンアメリカ500年』50~52頁)

支倉たちがメキシコやヨーロッパを訪問できたのは、大航海時代のダイナミズムの産物だったのだ。

大航海時代のど真ん中を生きた稀有な日本人

これまで全く知らなかったが、支倉常長については司馬遼太郎の小説の題材になっていたり、宝塚の演劇の主人公になっていたりするらしい。また、アルファベットの資料で彼のつづりが「ファセクラ」となっていることから、当時日本で「ハ行」が「ファ行」として発音されていた根拠の一つともなっているそうだ。

ますます興味深いこの人物、今後も調べてみたい。


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