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【密教】後期大乗仏教

密教はインドで大乗仏教の一つの流れとして起こりました。七世紀から八世紀ころにインドで隆盛期を迎えたものの、イスラム教徒の侵入によって十三世紀初めに滅亡したといわれています。

一方、大乗仏教は紀元前後あたりからシルクロードに沿って、中央アジアにも伝播し、中国本土にも広がっていました。密教も同様であり、密教が中国本土において最も栄えたのも七世紀から九世紀初頭とされます。九世紀の初めに日本から空海が唐の長安に留学し、密教を日本へ持ち帰り、真言宗として定着させました。

密教はまた、インドから直接、スリランカやインドネシア、あるいはインドシナ半島に伝播されています。一方、チベット密教はインド後期密教(八世紀以降)を継承しています。十四世紀末から十五世紀初めに活躍したツォンカパは厳格な戒律主義を標榜するゲルク派を開創し、このゲルク派はその勢力を拡大し、チベット仏教の他の宗派をおさえて、政教両権を手中にし、後のこの系統からダライラマ政権が誕生します。
ところで、チベット仏教の各宗派では、大乗仏教思想を基礎にして、教理的な研究が行われ、教団が維持されていすが、密教の影響を受けるとともに、チベットの民族宗教的な色彩も含めもっています。かつて、チベット仏教はヨーロッパの学者からラマ教と呼ばれていました。

密教は現在、宗教としては日本とチベット周辺にだけ残っています。日本密教は、インドにおいて八世紀頃までに栄えた密教を継承した中国密教の伝統を引き継いでいるのに対し、チベット密教は主にインド後期密教(八世紀後半以後のヒンドゥー教的な色彩が濃厚な密教)の影響を強く受けています。そのため、両者は思想的にもかなり異なっています。

密教の特徴の一つに、儀礼や呪術(真言など=マントラなど)があります。原始仏典によると、釈尊は比丘や比丘尼に対して、バラモン教的な呪術(真言=マントラ)や儀礼を、悟りのために意味をなさないと禁止したとされます。確かに、修行の上では禁じられたにしても、例えば、森林を歩く際に毒蛇や毒虫に襲われないために唱える呪文、即ち悟りの障害にならない範囲の呪術や儀礼などは僧団内でも禁令がゆるめられていたようです。そして、初期大乗仏教の頃になると、特に「般若経」や「法華経」など、その経典を受持し、書写し、読誦し、聴聞することで、様々な災難より逃れる功徳が書き連ねられるようになります。有名な「般若心経」の最後にも「羯諦羯諦(ガテーガテー) 波羅羯諦(パーラガテー) 波羅僧羯諦(パーラサンガデー) 菩提薩婆訶(ボーディ スヴァーハー)」という般若波羅蜜多呪が説かれています。

ウパニシャッド哲学、バラモン教、大乗仏教だけでなく、密教もまたマクロ世界とミクロ世界との同一性や対応関係について、色々な形で思索を進め、哲学説を生み出してきたと言えます。