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【密教】大日如来

ほぼ七世紀にある程度の形を整えていたと言われる「大日経」と「金剛頂経」はインドの中期密教を代表する経典ですが、これらは前期密教(呪法の経典で、現世利益を主体に説く)と異なり、中観・唯識・如来蔵といった大乗仏教思想を根底に据えて、成仏を目指す経典となっています。

大乗仏教では成仏(仏陀になること)を目指して修行することになり、基本的に全ての人が成仏の可能性(仏性)をもつとします(一闡提という成仏の可能性を持たない宗教的能力に低い人の存在を認める派も出てきますが)。しかし、全ての人が成仏できる可能性を有しているとは言いましても、極めて長い年月をかけ、それも幾度も生まれ変わって六波羅蜜を完全にやりとげる必要があるのです。生を無限に重ねなければ、目標達成ができない…ところが密教では成仏を来世以降に待たずに今生で得ることができると強く主張することになります。即ち、即身成仏の思想であり、密教修行によって宇宙の根本(永遠なる法)である存在=大日如来(大毘盧遮那仏)と一体になることで、今生での成仏が可能ということです。

さて、古いウパニシャッド哲学では宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と、個体の統一原理であるアートマン(我)が本来的に同一視されます。修行によって、この梵我一如を覚り、ブラフマンに合一することで輪廻からの解脱が達成されます。小宇宙である私が大宇宙と同体であり、全体の中に部分があると同時に部分の中に全体が存在する(一即多・多即一)という世界観は、ウパニシャッド哲学やバラモン教だけでなく、大乗仏教でも初期の頃より説かれてきました。アートマンに相当すると考えられる如来蔵・仏性・法性・阿頼耶識の中心(空性・光り輝く心)…などが説かれ、ブラフマンに相当すると思われる如来法身や空性なども登場しています。密教もその思想の流れが受け継がれていることが分かります。しかし、それでも前述のように大乗仏教が歴劫成仏(真理と一体になるには何度も生まれ変わって六波羅蜜を完成させる必要がある)であるのに対し、密教が即身成仏である点は大きく異なります。

このように、歴史上の仏陀である釈尊と、それとは別に永遠の過去から未来永劫存続する真理・法そのものを仏とする、二種類の仏身を想定する考えが初期大乗仏教の頃から登場しています。歴史上の釈尊を応身(色身・変化身)、真理自体の仏陀を法身と言います。これら二種の仏身に、唯識派が報身(受用身)を加えたため、仏の三身説として説かれるようになりました。

○大宇宙は仏

「大日経」や「金剛頂経」では経典の説法者である世尊を、薄伽梵(ばくがぼん)と表記していますが、これは大日如来(大毘盧遮那仏)のことです。永遠なる法をそのまま仏としたものであるため、法身といわれます。密教では法身仏でも説法をします。
如来法身の思想の原点もまた、初期大乗仏教の頃からみられ、「法華経」では永遠なる法を「久遠実成の釈迦如来」と称し、「華厳経」では永遠なる法と一体化した釈尊を「毘盧遮那仏」と称します。大日如来は梵語で、マハーヴァイローチャナ・タターガタであり、「大毘盧遮那仏」です。大日如来は太陽がその熱と光で地球上の動植物等に恩恵を与えるが如く能力を持つものの、太陽の有限性を超越し、時間や空間をも超えた存在です。宇宙の永遠性・普遍性の仏格化です。

○仏の五智と金剛界の五仏

密教における大日如来の覚りは「仏の五智」によって表されます。大乗仏教の唯識派では覚りとして「仏の四智」が説かれますが、それは凡夫の識(阿頼耶識・末那識・意識・前五識)が転識得智して四智へと変化したものです。

唯識哲学では大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の四智が説かれますが、密教ではこの四智に法界体性智を加えて五智とします(ただし、無形象唯識派の頃から清浄法界という考え方が説かれています)。密教では、大乗仏教からの四智は総合的な法界体性智を四方向に開いた部分的な智慧ということになります。これら五智は金剛界の五仏が各智慧を具体的に身に付けた存在と説かれます。

金剛界の五仏
・大日如来(大毘盧遮那仏)
 方位:中央
 智慧:法界体性智
・阿閦如来
 方位:東側
 智慧:大円鏡智
・宝生如来
 方位:南側
 智慧:平等性智
・阿弥陀如来
 方位:西側
 智慧:妙観察智
・不空成就如来
 方位:北側
 智慧:成所作智

法身である大日如来は、報身(受用身)である四仏の統合体となります。インドの後期密教では金剛界の五仏の中央に位置する中尊がしばしば交代し、阿閦如来になったり、阿弥陀如来になったりします。その際、大日如来は中尊から四仏の一尊になり、法身でなく、報身(受用身)となります。中尊が交代して、そこへどの如来が位置しようと、それは大毘盧遮那仏であり、受用身となった大日如来は毘盧遮那仏と言われ区別されます。このように五仏が入れ替わるうちに、さらに五仏を統轄する存在を求める動きが起こり、それが第六仏としての法身普賢や、金剛薩埵、あるいは本初仏と呼ばれる仏格を生み出したとされます。チベット密教でもこの後期密教の流れを受けており、金剛薩埵の地位は高くなっています。