【ネタバレ有】シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| もっと感想・考察

 みなさんこんにちは、Hiruと申します。記事をご覧いただきありがとうございます。

 普段は、主に澤野弘之さんの楽曲の歌詞を和訳しているこちらのnoteですが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想・考察も投稿していました。

はじめに

 個人的にエヴァンゲリオン作品が大好きなだけで投稿したこの3つの記事ではあるのですが、たくさんの人にご覧頂いております。本当にありがとうございます。1人のエヴァファンの感想、個人的な考察ばかりをつらつら並べているだけですが、ぜひご覧いただけますと幸いです。

 さて、今回はシン・エヴァンゲリオン劇場版がAmazon Prime Videoで8月13日からPrime会員向けに全世界で配信が始まり、もう何度か観たのですが、その中で色々思ったことが新たに出てきましたので、4回目となる感想・考察を投稿しようと思います。

 7月に日本での劇場での公開が終了して約1か月でこの全世界配信というのは、本当にビックリしました。劇場で観に行けない地域にお住まいの方に向けられた施策だとは思うのですが、このコロナ禍にあっても作品を届けたいとする想いには本当に頭が下がります。本当にありがとうございます。

 ていうかシンエヴァ公開前には「Q:3.333」を作って、公開延期を乗り越えて3月に公開、6月にはシンエヴァ本編を「3.0+1.01」にバージョンアップして…と、仕事しすぎです(´・ω・`)
(バージョンアップ前と後で全然違いが分かんない、、すみません。。)

 それでは、シンエヴァ感想・考察の第4回目をはじめていきます!ぜひ、最後までよろしくお願いいたします。

【追加①】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は説明過多だったのか?

 上記の問いに対する私の答えとしては、「説明過多」だったけど丁度よかった。シンエヴァを理解する上での庵野監督の配慮を感じたというところになります。
それでも全部が全部を理解は出来ていません!やっぱり難しいですね!

 アマプラでのシンエヴァ配信と同時に配信がスタートした、『さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野英明の1214日~』の番組の中で、庵野監督は以下のように発言されています。

※何でドキュメンタリーの取材を受けようと思ったのか?という質問に対して「商売しようと思って」と答えた後に

庵野監督「謎に包まれたままだと置いてかれちゃう」
「面白いですよっていうのをある程度出さないと、うまくいかないんだろうなっていう時代かなって(思う)」
「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」

 個人的にですが、キャラの心情、現在の状況、今後の目的などが意識的に、比較的分かりやすいようにシンエヴァ劇中でも説明がされていたのではないかと考えています。観客のことを意識しているのが顕著に表れていたなと思うのは、以下の2つのシーンです。

① ミサトさんがヤマト作戦の概要をヴィレクルーに説明するシーン
② マイナス宇宙突入後に、マリがシンジにマイナス宇宙でやることを説明したシーン

「なぜ」「だれ」が「なに」を「いつ」「どうする」と「どうなる」のか?

 上記の5W1Hについては、シンエヴァ劇中で幾度と丁寧に説明されていたように感じました。恐らくそれは、「分かりにくい」ことに対して庵野監督が最大限配慮した結果なのではないかと思っています。

 「エヴァンゲリオン」=「よく分からない」というのは、エヴァファンの皆様におかれましては共通認識だと勝手に思っています。この「よく分からない」というのは悪いこともあれば、良いこともあります。

 「よく分からない」から手を付けづらいというのが悪いこと(ざっくり)。 
 「よく分からない」から視聴者にその解釈が委ねられ、TV版最終回放映後には社会現象となりました。よく分からないものだったからこそ、「新世紀エヴァンゲリオン」は爆発的な人気を博し、25年以上経った今でもその人気が続いているのです。これが良いことだと思っています。

 TV版25話・26話は何回観ても良く分かんなかったのであまり言及しませんが、旧劇場版とシンエヴァを比較するとシンエヴァは本当に分かりやすかったなと改めて思いました。
 それはシンエヴァ劇中で上記のような諸々の説明がたくさんあって、展開についていきやすかったというのが大きな理由です。

 旧劇場版はストーリーは追えますが、劇中で何が起きているのかについては第3者の解説・考察動画などを見ないと分からなかったというのが、私自身の本音です。
 ただ、そういう「分からなさ」が旧劇場版を旧劇場版たらしめているとも思っています。戦略自衛隊のシーンの怖さ、奇妙さ、補完計画発動後のシーン、アスカの「気持ち悪い」などは非常に特徴的です。

 さて、シンエヴァの「説明が多かった」ことを、本当に良かったと思えるかどうかについては、意見が分かれるところかもしれません。

・おい庵野、どうしちまったんだよ!分かりにくいのがエヴァの良いところだっただろ!なーに、何から何まで全部説明してくれてんだよ!

・良かったぞ!庵野!こんな清々しい結末での完結ありがとう!色々確認の為にもう1回観に行きたいけど、1回しか観てないのにこんな感動出来るなんてやばいわ!

 といったようなところです。あんまり↑の↑のように感じた方はいなかったのかもしれませんが、いてもおかしくないよなと思えるぐらい説明は多かったと思っています。これまでの25年で説明できなかった事をこの2時間半の尺で説明しきらないといけないとなると、しょうがないよなとも思います。

 「もうこれでエヴァは終わり」「現代の視聴者は謎に包まれたものをあまり喜ばないのかもしれない」と考えて、こうすると決断されたのかな?と考えました。25年という時の流れに対する対応であり、庵野監督から観客に対する最大限の配慮であり、感謝でもあるのではないかと思っています。

みなさんは、どのように感じましたでしょうか?

【追加②】アスカの「シングルエントリーじゃ無かったの?」について

 上記のシーンについて、色々と考えていきたいと思います。

 機動停止中だったエヴァ第13号機。自分自身のATフィールドに邪魔されてさせなかった「機動停止プラグ」。そして、使徒化したアスカの目の前に現れたオリジナルのアスカ。

 そしてアスカの「シングルエントリーじゃ無かったの?」というセリフ。これらについて、少し考えをまとめていきたいと思います。

 「シングルエントリーじゃなかったの?」の「シングルエントリー」という言葉が出る時点で第13号機は「ダブルエントリー」システムということはヴィレからの情報としてすでに理解している前提として進めます。

なら誰が乗っているのでしょうか?
 1人は恐らくカヲルくんです。もう1人はゲンドウくんなのではないかと考えています。「:Q」ではマリの手でシンジくんのみ第13号機からエントリープラグが強制射出されていました。ですので、カヲルくんの肉体は第13号機に残ったままです。まぁ、肉体は無くても魂か何かが残ってるので、動かせるのではないかなぁ。。と思っています。

 もう1人がゲンドウくんだと思う理由は、マリが「ゲンドウくんの狙いは使徒化した姫か!」と言っているのと、冬月に2番艦を託して「あとを頼む」と出て行ったゲンドウくんの行き先は13号機しかないだろうというこの2つです。

 ゲンドウくんが1人で、首チョンパされたカヲルくんの残置されたプラグスーツと一緒に、今か今かとアスカが使徒化するのを待っていたのかと思うと、ちょっと無理があるかもしれませんが、どうでしょうか…笑

 アスカとしては、第13号機の中に今いるのはどうやら「ゼーレが送り込んだ少年」だけっぽいということと、第13号機はダブルエントリーだから誰かもう1人が乗らない限り動くことは無い、と理解していたのではないかと考えています。だからこそ、1人しか乗っていないはず=「シングルエントリーじゃなかったの?」というセリフに繋がっていると思います。

 で、オリジナルのアスカが出てきたあのシーンについては、カヲルくんやゲンドウくんがアスカに見せた幻・イメージなのではないかと思っています。オリジナルのアスカがヒュルヒュルっとアスカを引き抜いたのは、アスカが新2号機のエントリープラグの中でLCLに還元されてしまったことを表すイメージだと考えています。LCLに還元してから新2号機から引き抜くことで、DSSチョーカーで絶命させることなく、贄とすることが出来ます。

 そして、第13号機は使徒化したアスカが入っているエントリープラグを嚙み砕いてまた1つシン化しました。また、マリが言うように第13号機の中にアスカが残置されている可能性が出てきたということになります。

【追加③】シンジくんの成長について

 シンエヴァで皆さんご覧頂いたように、シンジくんは今までの作品では考えられないぐらいにシンエヴァで大きな成長を遂げました。ここではシンジくんとミサトさんについて、旧劇場版とシン劇場版との対比を考えながら、少し見ていきたいと思います。

 シンジくんとミサトさんの2人のシーンについては、旧劇場版でもシンエヴァでも似たようなシーンがありました。

・戦略自衛隊に腹部を撃たれ、シンジくんに自分の願いを一方的に大人のキスに託して「行ってらっしゃい」と送り出すミサトさん(旧)

・鈴原サクラに腹部を撃たれるも、自分の気持ちをお互いに信頼しあうハグに託して「行ってきます」と言うシンジくんを見送るミサトさん(シン)

  上記のように、旧劇場版でのミサトさんの態度は、大人になりきれていない=他者を受け入れようとしないシンジくんに一方的に願いをぶつけるばかりで、シンジくんもその願いを受け止められない様子でした。

 一方、シンエヴァでのシンジくんは第3村での成長・通過儀礼を通して成長しています。最も旧劇場版と違うのは、他人の優しさを「好き」という気持ちを通して受け入れられるようになったことだと思います。

 旧劇場版では「僕に優しくしてよ!」と言うばかりでしたが、シンエヴァでは「どうしてみんな…こんなに優しいんだよ」と、他人の優しさに気付くことが出来ました。「好き」という気持ちを通じて他人から感じる優しさを、黒波に綾波という名前を付ける事でシンジくんもその優しさを返すことが出来ています。

 旧劇場版の時には無かった「僕は、僕の落とし前を付けたい」という父ゲンドウと対峙する決意。旧劇場版では自らの意志とは関係なくロンギヌスの槍が刺さってしまいましたが、シンエヴァではガイウスの槍を自分で刺そうとしたこと=創生を自らの手で行おうとしていました。旧劇場版の時に見えた絶望的なリセットの数々は、成長したシンジくんが全て希望のコンティニューに変えていったのです。





 以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。劇中での時系列がバラバラになってしまい申し訳ありません。ご了承ください。

 また何か、思い出したらまとめさせていただきたいと思います。

 みなさんも、アマプラ会員になってヱヴァンゲリヲン新劇場版~シン・エヴァンゲリオン劇場版:||まで何回も観尽くしましょう!
まだ観たことがないということであれば、Qまで観たらシンエヴァを観るのを9年待つことをお勧めさせて頂きます!ぜひ!

また次の記事でお会いしましょう!ありがとうございました!

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