【ネタバレ有】シン・シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想・考察

--------------ここからネタバレ無--------------

 みなさんこんにちは。Hiruと申します。記事をご覧いただきありがとうございます。過去2つの記事に渡って、公開当日に観に行ってきた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の私なりの感想・考察ですが、3つ目のこの記事を以て完結編とさせていただきたいと思います。書きながら考えているので、誤字・脱字等もあるかと思いますが、ぜひ目をつぶって頂けると幸いです。
 この記事執筆時点で公開から約2か月が経ち、この記事をご覧頂いている皆さんも、youtube等に上がっている色々な方の感想・考察などを観て、もうお腹いっぱいだよと思っているかもしれませんが、ぜひこの個人的な感想・考察にお付き合い下さい。エヴァの呪縛に約12年囚われていた1人のエヴァファンとして、しっかりエヴァに対する自分の意見を発信してから、パシャっとLCLに還元されてしまいたいと思います。

それでは、3回目のシン・エヴァ感想・考察をやっていきたいと思います!前々回・前回までの記事は、以下からご覧ください!

【前々回】

【前回】









--------------ここからネタバレ有--------------

 さて、前回まではマイナス宇宙に飛び込む前である『ヤマト作戦』のシーンまでをまとめていきました。ここからは、シンジとゲンドウの親子喧嘩、どちらかといえば親子対話?と言えるようなシーンになっていきます。
 マイナス宇宙突入後のシンジとゲンドウの精神世界でのシーンは、どことなく、TV版エヴァ16話でのレリエル戦でのシンジくんの精神世界、25話、26話のような印象を受けました。

【後編①】初めて語られるゲンドウの過去とユイ

 2021年4月29日にNHK BS1で放送された番組『BS1スペシャル 「さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日~』の中で、碇ゲンドウ役の立木文彦さんが、アフレコブースで庵野監督と話すシーンがありました。その中で立木さんが、ゲンドウってこういう奴だったんですねこいつこそ子供じゃないですかといったような発言あったと思います。
 確かにその通りで、これまでのエヴァ作品の中で、ゲンドウについての過去はあまり語られることは無く、いつも「全てはこれからだ」とか「もうすぐ会えるな」とか、「約束の時まであと少しだ」とか言ってばかりで、結局のところ良く分からないキャラクターだなという印象しかありませんでした。そんなキャラでありながら、schickとエヴァンゲリオンがコラボした時の画像が出回った時はビックリした、、というか「何やねんお前…」という感じでしたね(笑)

 話を戻します。碇ゲンドウという人物は、他人との関わりを拒絶した子供時代を過ごしますが、そんなゲンドウを全て受け入れるようなユイと青年期で出会い、他人を受け入れられるようになりました。そして、ユイをエヴァ初号機の起動実験で見失い、それからずっと探し続けています。ユイがいなくなってしまってからのゲンドウは、子供時代に戻ってしまったかのように他人を受け入れられなくなってしまい、自分の子供であるシンジでさえ対話するのを拒むようになってしまいました。ネルフの司令という立場は、シンジを拒み続けるのに都合の良すぎる立場だったのかもしれません。

 親戚の集まりに行くのが嫌、正直に音を返してくれるピアノが好き、どこにもいないユイを、いると信じてずっと探し回るところ、シンジより何歳も年上なはずなのに、親子喧嘩のシーンではシンジと同等にしか武器を扱えないところなどから垣間見えるゲンドウの幼稚さは、何歳になっても大人になり切れない庵野監督を映しているのかもしれないし、映画を観ている自分自身を映しているのかもしれないなと思いました。

 人間であることを辞めたはずのゲンドウが、マイナス宇宙での息子との対話を通して初めて「人間らしさ」を明かしたのです。ユイにもう1度会いたいという純粋な気持ちに引かれるままに、ゲンドウは人間を辞めてしまいますが、そういうゲンドウの人間らしさ、人間らしい気持ちを引き留めているのは紛れもなくユイです。

 その一方でシンジくんは、第3村での黒波との別れ、第3村やヴンダーでのアスカとの交流、ミサトさんとリョウジ(少年)との約束、「僕は、僕の落とし前をつけたい」という強い決意などの様々な通過儀礼を経て、過去最大級に大人になる=受け入れる準備が出来るようになっていました。

 喧嘩では決着が付かないのを見かねて、ゲンドウ君自らが「対話」での決着をふっかけますが、通過儀礼を経たシンジにボコボコにされる形となります。その重要なアイテムが過去新劇場版3作品全てに登場した「S-DAT」でした。

【後編②】シンジとゲンドウを繋ぐ「S-DAT」の役割

 シンジが持っていたS-DATはもともと、ゲンドウから貰ったものでした。シンジは、S-DATの事をこう話しています。

・綾波の眼鏡と同じでゲンドウが使っていたもの
・いらないと言って置いていったS-DAT=シンジと同じく捨てられたもの
・嫌いな父さん、使徒のいる怖い世界、辛いことをやらされる世界、嫌な世界から逃れられるもの。
「これをしていると、父さんが守ってくれると思っていたんだ。僕の勝手な思い込みさ。」
※『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』より

そして、もうお分かりかとは思いますが、S-DATは劇中で様々にトラックが展開されて行きました。それが以下の通りです。

<S-DATのトラックの展開について>
・「:序」と「:破」の途中まではトラック25と26を行き来するだけ
・「:破」ではマリが手渡してトラック27へ
・「:Q」ではカヲル君が手渡してトラック28へ

 このトラック数からも分かる通り、トラック25、トラック26はTV版エヴァの話数が意識され、ここまではTV版と同様なストーリー展開。マリが登場してからは未知の世界となるトラック27へ。カヲル君が直してからは、また新たなストーリーが始まることを意味するトラック28へと進んでいきました。

 ゲンドウからシンジへ、マリからシンジへ、カヲルくんからシンジへ渡されたS-DATは、「:Q」のラストシーンとシン・エヴァ第3村のシーンでは黒波からシンジへ手渡され、常にシンジくんの手元へと帰っていきます。ヱヴァンゲリヲン新劇場版でのS-DATは新たなストーリー展開を示唆していましたが、シン・エヴァンゲリオン劇場版ではゲンドウとの対話を通して、元々の所有者であるゲンドウの手に返され、トラック29に進みました。

 新劇場版3作のストーリー展開を示唆し、劇中ではシンジくんを外界から守る「お守り」「呪縛」「枷」のような役割を担ったS-DATは、子供だったシンジくんの手元を離れ、元々の所有者であるゲンドウへと返却されました。S-DATの返却はシンジくんの成長・自立を表し、これまでの感謝と共にゲンドウとの決別を意味していると感じました。

 それを受けてゲンドウは、「大人になったな、シンジ」という言葉をかけてシンジくんを受け入れました。
 トラック29に進んだS-DATを持って電車を降りたゲンドウくんは、また新たな目的をもって進み始めたのだと思います。

【後編③】アスカ、カヲル、レイ3人への落とし前

 ミサトさんから託されたガイウスの槍を持って、シンジはアスカ、カヲル、レイの3人に対し、それぞれに形は違いますが落とし前を付けていきます。それはもはや落とし前ではなく、観ている私達を含めた「救い」となりました。

・アスカへの救い
 首を絞められたあの海辺でシンジと再会したアスカ。あの時とは違って、お互いに好きだったと打ち明けたことで、エヴァの呪縛から解放されたアスカは、大人びた身体になっていたように思います。

 そして、第3村という帰るべき場所、戦いばかりだったアスカにとっての安らぎとなる大切な人がいることをシンジやマリから受け取り、アスカはエントリープラグの中で目を覚まします。

・カヲルへの救い
 円環の理に囚われ、抜け出すことができなかったカヲルくんを自由にすることで、カヲルくんを救っていきます。

 カヲル司令云々の流れは正直良く理解できていませんが、シンジくんの幸せ=カヲルくんの幸せという、カヲルくんの根本的な考えを否定し、カヲルくんにはカヲルくんの幸せがあるんだということを教え、カヲルくんだけの世界、カヲルくんだけの幸せを素直に追い求められるようにすることが、カヲルくんへの救いとなったのではないかと思います。

・レイへの救い
 レイの元々の願いは「碇くんがもう、エヴァに乗らなくていいようにする」というものでした。その願いをエヴァの中で14年間持ち続けていました。
 時間を巻き戻すようなことはしない、その上でエヴァに乗らなくてもいい世界を作り出す「ネオン・ジェネシス」=「創生」を約束し、14年待ち続けたレイの願いを叶え、安心を与えることができました。
 
 シンジの願い、レイの願いを同時に叶える「安心」こそが彼女への救いでした。

【後編④】神殺しとシンジ

 レイと約束した「ネオン・ジェネシス」の直前、ずっと初号機の中で待っていたユイが現れ、シンジがこの「ネオン・ジェネシス」で犠牲になってしまう事を阻止しました。母であるユイが、シンジ自身を救いました。

シンジ「これが父さんの願った、神殺し…」

 というセリフにもあったように、初号機の中に取り込まれ、神のような存在となったユイともう1度会うために、色々と頑張ってきたゲンドウは、ここでユイともう1度一緒になることが出来ました。電車を降りた後のゲンドウは、こうする決意をしていたのかもしれません。ゲンドウはシンジへの落とし前を付けることができたのではないかと感じました。

 神から生まれた子供ということでシンジという名前を、漢字で書くと「神児」となるのではないのでしょうか。

ゲンドウ「男の子なら『シンジ(神児)』女の子なら『レイ』とつけよう

 というシーンもあったかと思います。「レイ」は漢字に直すと何になるんでしょうか…?候補はたくさんありそうですね。

【後編⑤】マリENDのラストシーン

 ネオン・ジェネシスを発動させた後、シンジはこれまでと同じように目を覚まします。駅のホームで、大人びた姿でいたシンジはマリにDSSチョーカーを外され、手を引かれて宇部新川駅を飛び出します。

 個人的な感想としては、すごく意外な組み合わせで、え?どんな意味があるんだろうと思いながら「One Last Kiss」のイントロが流れるのを聞いていました。これについては、色々な説がありますが、まあこれはこれで素直に受け止めることにします。

 良い・悪いなんてありません。くっつくと思ってなかった意外な2人がくっつくなんてことは、現実でも往々にしてあるものなので、その一部にすぎません。2人が飛び出した後のエンディングは、アニメという虚構を飛び越え、現実の宇部新川駅が映し出されていました。
 アニメは卒業しろとか、現実と向き合えとか、そういうことじゃなくて、全ては今生きているこの現実に繋がっているんだぞ!頑張れよ!というような、そういうメッセージを2回目観た時に感じました。一個人の意見ですが、そんな感じです。

 「One Last Kiss」から自然につながる「Beautiful World (Da Capo ver.)」はすごく感動しました。「Beautiful World...」という歌声が聞こえてきたときにはもうボロボロ泣いてました。今聞くと、「Beautiful World」の曲の主人公は、ゲンドウにも置き換えられますね。ええ、本当に奥が深いです。






【最後に】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の「シン」とは何なのか?

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。最後に、↑について考えて終わりにしたいと思います。2012年の「:Q」で発表された↑のタイトルについていた「シン」というワードは結局何だったのでしょうか?

 2016年に公開された「シン・ゴジラ」でも「シン」というワードが同様に使われたことは、私の中でも大きな話題になりました。
 漢字に直すと「シン」は、「心」「新」「真」「神」「進」「深」「sin(罪)」といったように変換先が非常に多く、本当に人それぞれに意味がゆだねられるワードになっています。「シン・ゴジラ」の「シン」は個人的には「神・ゴジラ」だと思っています。
 成長をするにつれ人知を超えた能力、力を発揮する生命体「ゴジラ」は神にも等しい存在となり、結局のところ人類はそのゴジラを倒すことは出来ず、氷漬けにして活動停止にさせることが精いっぱいでした。ゴジラという存在に合わせた「神」が「シン」なのではないかというところです。皆さんはどのように考えますでしょうか?

 2021年、満を持して公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の「シン」は、「新」なんじゃないかと思います。無理に漢字に変換する必要もありませんが、一番良い落としどころを考えるとすると「新」だと思います。過去3作が「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」なのでこの「新」をそのまま前に持ってきて「新」が一番あり得そうです。今までと違う、まったく新しいエヴァの完結の形を提示するという意味もありそうです。皆さんの中ではいかがでしょうか?

 最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。少しでも皆さんのシン・エヴァへの理解、考察の助けになると嬉しいです。一個人の意見ですので、そこはご了承ください。

また次の記事でお会いしましょう!ありがとうございました!

終劇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?