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俳句とエッセー④『 海 山 村 Ⅱ - 父と子の空』 津田緋沙子 (追悼)


   父 と 子 の 空


修 験 山 霧 の 育 て し 百 年 林

山 守 て ふ 美 し き 名 や 斧 の 露

語 り 部 の も は や 語 ら ぬ 萩 の 露

流 鏑 馬 は カ メ ラ 振 り 切 り 秋 高 し 

炊 き 出 し の 里 の 賑 は ひ 小 鳥 来 る

今 朝 母 と な り た る 顔や木 の 実 降 る

屋 根 に 寝 て 父 と 子 の 空 流 れ 星

   夏 惜 し む


 今年も秋はちゃんとやってきた。黄を帯びてきた稲田の畔に彼
岸花が赤く、蕎麦畑の緑は風に波打って白露をころがしている。
 遠く多良岳、普賢岳には霧が立つ日が増え、そろそろ渡りかと
見上げる空に白いちぎれ雲が流れる。自然と人の暮しが造り出す
この美しい風景。 「夏惜しむ」は新しい季語だというが、 この言
葉がまだ心に残る秋である。
 今年の夏、長崎は二人の偉大な語り部を失った。谷口稜嘩さん
と土山秀夫さん。お二人は反核運動に携わる者たちの拠り所だっ
た 。
 九月二十日、 ニ ューョーク国連本部での核兵器禁止条約署名式
に、長崎市長等はお二人の遺影を抱いて参加、 日本代表の姿の無
いその場を見守った。長崎平和公園では「一日も早い核廃絶を」
というメッセージカードをつけた風船が空へ放たれたという。
「先に逝く人は必ず何かを教えていく。別れの時に、遺された
者たちは贈り物を受け取る」と何かの本で読んだ。記憶に新しい
北九州豪雨災害や諌早大水害から六十年目の節目でもあった今年
の夏を、私は美しい秋の中で惜しんでいる。


作者:津田 緋沙子(つだ ひさこ)

   昭和18年9月13日 韓国ソウル生まれ
   昭和19年 母、姉と山口県仙崎へ引き揚げ
         以降、父の郷里 福岡で学生時代をすごす
   昭和41年 長崎市で就職
   平成2年  諫早市の住人となる

   平成14年 稲田眸子に師事
         俳誌「少年」入会
   平成29年5月 少年叢書として俳句とエッセイ集「海山村」刊行
   令和4年9月  少年叢書として俳句とエッセイ集「海山村Ⅱ」刊行
   令和5年7月  逝去


    『 海 山 村 Ⅱ 』 あ と が き

 『海山村』から五年、私の住む海山村はずいぶん変わりました。私にとっても右往左往の日々でした。子ども達が家を離れ、夫婦と老犬との静かな暮しが始まった途端の夫の病状悪化、二年余の看取りの後、コロナ席巻の中で見送り。ままならぬ忌の一年の半ばには右腕を骨折し、半年近くギブスを振り回しながら乗り切ったら、次に来たのが自身の病気でした。
 ところが三ヶ月の入院は間違いなく私のターニングポイントでした。入院のお陰で得たものの大きさを今しみじみと思っています。俳句も少し変わってきた気がします。
 投稿をさぼろうとすると、暗に強くあれと励まして下さった主宰、休んじゃえ、良し、良いと心を包んで下さった奥様、お二人のお陰で俳句の楽しみを失わずにすみました。いつも我慢強く見守って俳句の道を繋いで下さったことに心より感謝申し上げます。これからも一歩一歩と念じつつ。

                        令 和 四 年 八 月 吉 日

追   悼
 
何と言ったらいいのだろう。
 今、津田さんの悲報に接して、言葉が出てこない。
 津田さんの『海山村Ⅱ』をこのページに掲載し出したのも、
 少しでも療養の励ましになればとの思いからだった。
 願いむなしく、私たちの思いは届かなかった。
 もうあなたと話せないと思うと、なんとも言いようのない
 寂寥の思いが込み上げてくる。

 とっても、チャーミングな人だった。
 笑顔がとびっきり素敵な人だった。
 痩せて小さな体、おかっぱの髪型にくりっとした大きな瞳。
 決して弱音を吐かず、後ろ向きな言葉を聞いたことがない。
 朗読がとても上手だった。
 伊東静雄の詩を読むあなたを、幾度となく羨望の眼差しで眺めた。
 いつでも、周りの人たちを気遣い、励まし、協力を惜しまず、
 そして、何に対しても前向きな姿勢を崩すことはなかった。

 肉体は滅んでも、あなたの魂は諫早の空の上をふわふわと
 飛んでいるような気がしてならないのです。
 諫早の空の下で、またお逢いしましょう。

( あなたを忘れないために、あなたを偲ぶよすがに、飾らない普段のあなたの言葉を残しておきたくて )

2022年11月30日

 エール、ありがとうございました。元気出ました。嬉しくてあなたの方に向かって手を振りました。がんばりますよ~。
 海山村を読んでくださってありがとうございます。いつかあなたが「書いた者にとって読んでもらえるのが一番うれしいですね」と言われたこと思い出しています。過分なお褒めにあずかって、でもあなたの言葉だからちょっとは、真に受けて、いい気になりそうで、えへへです。病院を出たり入ったりの日々で新しい化学療法を受けています。外見はいたって元気です。楽しいことも。いろいろあるし~。フォーラム頑張ってくださいね。盛会を祈っています。

2023年1月7日  ※長崎新聞「短歌ありて」欄に短歌批評の掲載を連絡

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。思いがけずのびっくりニュース!嬉しいより恐縮にしばられました。でも、あなたに取り上げてもらえるのは嬉しい!ありがとうごさいます。勉強します。御用納めの日も御用始めの日も真面目に化学療法をしてきました。なんか楽しく終わって楽しく始まった去年今年でした。ノータリン賞受賞者らしく?新しい年も元気に過ごしたいです。


2023年1月23日

 新聞読みました。ありがとうございました。自分でも好きな一首だったのでよけい嬉しくて。あなたの確かな筆力で私の詠みたかった里の美しい風景、人の暮らしがありありと浮かぶようでした。
 ほんとに身に余る光栄です。これからもまたあなたに読んでもらえるような歌をがんばろうと思いました。ほんとに、本当にありがとう。水曜日から7分の4回目の治療が始まります。勇気凛々でいきますよ~。昨日までの私と明らかに違います。どうぞこれからもお体に気をつけてご活躍を。楽しみにしています。まずはお礼まで。

2023年4月16日  ※海山村Ⅱのネット掲載の承諾依頼への回答

 お久し振りです。菜の花忌かれこれ、お疲れ様でした。そろそろまた、あなたの新しい作品ができた頃では?
 ああ~、私長い休暇だな。今日はまた嬉しいメールをありがとうございます。あなたのメールはいつも私をワクワクさせてくれます。載せいただけるなんて光栄につきます。友だちがいて、忘れないでいてくれて…、繋がりがいっぱい力をくれます。本当にありがとう。選考してもらえるように文書かかなくっちゃ!と、またまた勇気凛々です。最近少し体調好転の感じが自分でもしています。頑張ります!

ほんとに!早く元気にならなくっちゃ。暗~いお話、期待大です。あなたの弱者への温かい眼差し、生きていくことへの希望がどんなふうに織り込まれているか…。私は今何となく病院物語みたいなのを書き散らしています。病気になったから見えること、わかること、出会うことができた忘れ難い人、宝物のようなことは書いておきたいと思って。
これ、内緒ですよ。はは~。


津田さんへの追伸
4月に通信をいただいた直後、私も思いもよらない病を得て入院してしまい、退院してあなたに『死者の都』を掲載した西九州文学第50号をお送りしたのが7月11日だった。
しかし、あなたの葬儀は7月3日にすでに行われていたのだと伝え聴きました。
あなたに読んでもらえなかったことが、何よりの心残りです。

あなたは、きしくもエッセーの中で「先に逝く人は必ず何かを教えていく。別れの時に、遺された者たちは贈り物を受け取る」と書かれていた。
私は本当に、あなたから溢れる贈り物を受け取ったのだと思います。

これからも、あなたが心血を注いだ『海山村Ⅱ』の残りの俳句とエッセーを掲載していきたいと思います。
あなたがこの世界に生きた証しの一つとして。
 

『海山村Ⅱ』の最初のページです。

『海山村Ⅱ-風の道④』のつづきです。
 どうぞ、ご一読下さい。





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