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【日本のコロナ対策病床は全病床の僅か0.7%】 世界一病院が多いのにオーバーシュート…ホテル入院に頼らざるを得ない『日本医療の不都合な真実』


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こんにちは、医師&医療経済ジャーナリストの森田です。


前回「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」で僕は今回のコロナパニックのそもそもの正当性を疑問視したのだが、今回はそれとはまた別の視点でコロナ問題を斬りたいと思う。

前回の記事では、毎年インフルエンザで1万人、自殺で2〜3万人が亡くなっている中、コロナの死亡だけを恐れリスクゼロを目指して日本全体の経済を止めてしまうのは「圧倒的にバランスが悪い」と言った。

この記事は非常に多くの方に読んでいただき、また共感も頂いた。Facebookの「いいね」は2万以上になった。もちろんご批判も数多く頂いたのではあるが、袋叩き並みの批判を覚悟して投稿した身としてはこの総じて好意的な反応に感謝の一言である。


(詳細はこちら↓)


しかし、今回は一旦「コロナパニック自体の正当性」は置いておく。
仮に「コロナウイルスに真っ向から立ち向かう」と言う前提で話を進めたととしても、「圧倒的にバランスが悪い」おかしな話が日本の医療にはたくさんあるからである。


特に表題の「コロナ対策病床は全病床の0.7%」と言う話は本当におかしな話である。マスコミ等ではあまり議論されない話題ではあるが、個人的にはこれは相当の問題なのではないかと思っている。なぜなら今マスコミでもネット上でも、

・医療機関がパンク(オーバーシュート)したら命を救えない!
・医療機関の許容範囲内に感染を抑えるため学校は休校!外出は自粛!全国に緊急事態宣言!


と声高に叫ばれすべての国民の多大な負担となっている…それなのに患者を受ける側の当の医療機関の側で十分な準備が出来ていないのだとしたらそれは本当に大きな問題だからである。



コロナ対策病床は全病床の0.7%


日本には165万床の病床がある(注1)。ちなみにこれは人口あたりで世界最大である(注2)。

注1)厚生労働省HP/平成29年 医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/17/dl/09gaikyo29.pdf

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注2)OECD Data, Hostpital beds/https://data.oecd.org/healtheqt/hospital-beds.htm



世間ではあまり知られていないが、実は日本は世界一病院・病床が多い国なのだ。この医療体制は我々日本人にとって非常に心強いものである。しかし、その一方で実は2020年4月21日現在、国内全病床の0.7%しかコロナ感染対策に回せていないという現実もある。

このサイトは、全国都道府県のコロナ感染対策病床数と、患者数を一覧で見ることが出来る非常に便利なサイトだ。これを見ると日本のコロナ感染対策病床は全国で1万2千床しかない。日本の全病床数165万のうちの1万2千床だから、僅か0.7%ということになる。

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出典:


僕が住んでいる鹿児島県は全国都道府県で2番めに病床の多い県だが、これだけ世の中が大騒ぎしているのにも関わらず、県内全3万床のうち45床しかコロナ対策用の準備がない。

鳥取県は全国でも有数の感染者が少ない県(4/21現在で3名)だがコロナ感染病床は293床の準備がある。ただ、このうちの多くは病院ではなく宿泊施設(ホテル等)のようだ。

同様に東京都も1000床をコロナ専門病床として確保し、さらに今後は軽症・無症状の方向けの宿泊療養施設1000室の確保を目指すとのこと。仮にホテルも含めて2000床と考えても、都内全12万床のうちの1.7%にしかならない。

もちろん、未公表ながら水面下でコロナ専門病床を確保する動きもあるかもしれない。今後どんどんコロナ病床が増える可能性もあるだろう。しかし、日本社会全体が史上初めてとも言えるくらいの多大な犠牲を払ってまで経済活動を停止しているのに対し、当の医療側が(現時点での公表分とは言え)たったの0.7%しか病床を確保出来ていないと言う事実は『圧倒的にバランスが悪い』と言って差し支えないだろう。




驚くべきドイツの急ピッチ医療整備


日本は世界一の病床数を持っているわけだからホテルを確保するより病床を確保するほうが簡単なのではないか?

とは思われないだろうか。

たしかにそのとおりだ。事実、先進諸外国ではホテルではなく病院の病床を使っていることが多いようだ。こちらの記事は、ドイツの病院に勤務する日本人医師によるドイツの病院事情の詳細なレポートである。


【ドイツ便り】ドイツの臨戦態勢から学ぶ院内感染の防御策
ドイツ在住循環器内科医・岡本真希(会員限定記事)
https://www.m3.com/news/iryoishin/756632

こちら、会員限定の記事なので一部要約せていただくと、


・レポートされている医師の勤務する病院は循環器(心臓系)病センターなので普段は感染症の受け入れはしていなかったが、

・メルケル首相からコロナ患者の受け入れ態勢整備の要請があり、

 ○ 待機手術を減らし全ての予定手術は延期となった
 ○ 待機手術中止による空床1床に対し1日あたり560ユーロ(6万5000円程度)、ICU1床増設に対し5万ユーロ(600万円程度)の助成金が決定した

 ということだった

・結果、数日のうちに一気に病棟はガラガラになり、院内にコロナ専門のICU病床も増設された。その間にコロナ感染管理対策を病院全体で行った。

・ドイツ全体のICU病床を2万8000床から4万床まで増やす計画(日本は現在6500床)

・現在、ドイツの医療現場は「余裕感」すらある


とのことだ。


聞くところによると、ドイツでは各町に一つのクリニックを指定しコロナ専門クリニックとし、また広域地域(市レベル?)に一つの病院をコロナ感染専門病院として全国にまんべんなく配置・運営しているので、市民はコロナ感染を疑った時の次の行動に迷うことは一切ないそうだ。

そういうコロナ対策の医療体制を数週間で急ピッチに整備したことで現在はオーバーシュート/医療崩壊どころか病床にかなりの余裕があり、フランスやイタリアからも患者を受け入れているとのこと。(事実、ドイツの死者数はヨーロッパ諸国の中でも圧倒的に少ない)


一方、日本ではドイツに比して人口あたり病床数が約1.5倍あるにもかかわらず…しかもコロナ感染者数は1/20、死者数はドイツの1/40(ともに人口あたり、4月21日現在)しかないのにも関わらず…上記サイトCOVID19JAPANによればもうコロナ感染対策病床の7割以上が埋まっていて、都道府県によっては既にオーバーしているところも多い。東京都のように病床では間に合わず、ホテルを使って軽症・無症状患者を受け入れると言うところもある。国内にある病床の0.7%しかコロナ対策に使われていないのだから、さもありなんだ。


何故日本は病床を利用せずホテルに?



もちろんホテルはアメニティやユニットバスなどが整っており、快適な療養環境と言う意味では病院より適しているかもしれない。とはいえ、たとえ軽症のコロナといえど一気に重症化する例も報告されており、快適さばかりを優先しては本末転倒だ。

また、日本国内の病床にも精神科病床や療養病床など、感染症専門の対応が難しい病床が多いのも事実だ。しかし、精神科病院でも療養病院でもレントゲンやCTのある病院は多い。多数の医療スタッフも常駐している。無症状・軽症者に対しても医療的に万全を期すのであれば、ホテルにもまして即時に医療対応が可能なこれらの病院の方が好ましいことは容易に想像がつく。


では、なぜ日本では病床がこんなに使われないのだろうか。


日本の病院・病床の多くが民間で経営されていることにその解答へのヒントがあるだろう。


日本ではあまり知られていないが、ドイツはもちろんヨーロッパの国々では医療といえば、警察や消防と同じ様な「公的」な存在なのが一般的である。ドイツの病院は公立・公的病院が8割で民間病院はわずか2割である。

簡単に言えば、医療の多くの部分を民間に移譲していないのである。これは同時に、国や公的機関が医療機関に対する指揮命令系統を保持しているということでもある。

一方、日本の医療機関は約8割が民営である。もちろん、コスト意識やマネジメント力の高い民間が医療機関を経営することのメリットは多大にある。しかしその一方で、医療という国家の安全保障の指揮命令権を民間に分割・移譲してしまうことのデメリットは計り知れない。民間に開放するということは、国からの指揮命令系統がうしなわれるということなのだから。



今回のコロナ感染パニックの様なこの危機的状況で、世界最大の病床を抱える日本がその0.7%しか病床を機能させられていないという事実は、そのデメリットを顕著に露呈していると言わざるを得ないだろう。


いやいや、厚生労働省が、医師会が、もしくは市町村や大学の医局が医療機関に対して指揮することは出来るのでは?


と思われるだろうか。


答えはNoである。

厚生労働省は医療機関に対して「病院開設許認可」や「診療報酬設定」などの限定的な権限は保持しているものの、病床をコロナ専門にせよ、などと病院に対して診療内容の変更を直接指示する権限は全く持っていない。

日本医師会は主に「町の民間開業医」(と一部病院勤務医)の希望者だけが加入する任意団体である。基本的に任意団体なので、全国の各病院・クリニックに対し組織だって診療内容の変更を指示する権限など一切持っていない。

大学もそう。最近ではかなり後退したが、たしかに今でも大学から各病院への医師配置は行われており、そういう意味では人事権の一部は大学が握っている。しかし人事権と診療内容の変更指示は全く別のものである。もちろん、大学の医局にそのような権限は一切ない。

唯一、地方自治体(県や市町村)は自前の組織として市立病院や県立病院を持っていることが多いため、指揮命令系統を保持していると言えなくもない。しかし現状ではなかなかその指揮命令系統も活用できていないようだ。その権限を行使した数少ない例の一つが大阪市・大阪府が発表した「大阪市立十三市民病院」だ。大阪府と大阪市は市立病院という指揮命令系統を生かして、中等症コロナ患者専門病院化に踏み切った。これはおそらく全国で初めての試みだろう。大阪の首長の強いリーダーシップが発揮された好例と言ってもいいのではないだろうか。


神奈川県も「神奈川モデル」として県立足柄上病院など県内3つの公立病院をコロナの重点医療機関に指定している。しかし、現時点ではコロナ以外の病気の外来や入院も継続しており、まだ「コロナ専門病院」として特化する段階に移行してはいないようだ。




強大な戦力を活かしきれないシステムエラー


事実、僕が実際に医師として勤務している、もしくはコンサルタントなどで関わっている病院・クリニックを見ても、コロナ患者対策のために病床を空けたり、手術を延期している病院は無い。どの病院クリニックも外来や入院や訪問診療を継続している。



では、コロナ患者に対応しない民間病院が悪いのだろうか?



そんなことはない。
病院だって医療スタッフに給料を払わなければ潰れてしまうのだ。
国からも市町村からも誰からも指示がないのに、勝手に手術を延期したり、病床を空けたりしても意味はない。逆に収入が途絶えて医療スタッフを解雇しなければならなくなる。民間病院にしても動くに動けない状態なのである。

また、手前味噌に聞こえてしまうかもしれないが、日本の医療のレベルは非常に高い。世界最高の医療レベルと言っても差し支えないだろう。
実際に現場で奔走している医療従事者も非常に優秀で、しかも過酷な労働にも耐えている。


例えて言うなら今の日本は、

『最強の戦力を保持しているにも関わらず、それらを適正に配置する指揮命令系統を失ってしまったので誰も動けない。でも敵はもう足元まで迫ってきている。』

という状態だ。

さすがに日本の300倍近い死者数のイタリアやフランスなどはオーバーシュートしているようだが、ドイツは日本の40倍の死者数にも関わらず余裕の医療体制。これが可能だったのは、ドイツなどの欧州諸国が病院を公として指揮命令系統を維持していたことが大きな要因と言っていいだろう。




医療市場の失敗


医療経済学の世界では、医療を民間市場に開放することは「市場の失敗」を招く可能性が高いことが知られている。コロナ以前に、そもそも民間に任せることは医療業界にとって最適解ではないのだ。


その理由は以下のとおり。

◎モラルハザード

健康保険があるので、自己負担(病院に直接払う額)は非常に安い。5000円のフランス料理も、自己負担1割なら500円で買える(あとの4500円は保険で払われる)。それなら1日3食フランス料理(しかも宅配してくれたりして)を食べる、という意識になりかねない。

◎情報の非対称性

パンの安い高い・美味い不味いは判断できても、高度な専門知識を要する医療の世界で、その医療が『良い医療なのか、そうでないのか』は多くの国民には分かりにくい。
患者側で判断出来るのは医師がやさしいか?とか、待ち時間が長くないか?とか、受付の愛想がいいか?そういう表面的なところ。食べたパンの味がわからない状態でどのパン屋がいいとか悪いとか言っても全く意味がない。
しかも、パンと違って「お腹いっぱい」がないので、医療は際限なく需要(提供)されてしまう。高齢になれば病気を探せば何か見つかる。しかし殆どの加齢現象は治らない。高齢化社会では医療を提供しようと思えば、いくらでも提供出来るのである。


つまり、医療業界は市場原理による最適化が望めないのだ。

あなたは、

「病院にも民間による競争原理が必要」

などと思っていないだろうか。

医療機関による競争は患者を増やすばかりなのに。
しかも国の安全保障としての指揮命令系統が失われてしまうのに。


もう一度言う。

いま全国に緊急事態宣言が出され学校は休校・外出は自粛、すべての国民に多大な負担を強いているこの状況で、

「コロナ対策病床がたったの全病床の0.7%」

と言うのは本当におかしな話である。


大事なのは病床の数ではない。本当に機能する医療がどれだけあるのか、なのだ。

僕が財政破綻で医療崩壊した夕張市で医師として働いていたときもそうだった。病床の数は約1/10になってしまったが、当時の院長だった村上先生は本当に市民の健康や幸福に貢献する部分(少しの病床と、市民の健康と生活を支えるプライマリ・ケア)は譲らなかった。村上先生はいつも


『医療は「公」だ。公として存在しなければ意味がない』


といつも言っていた。


病院が多ければそれでいいのか?
緊急事態に対応できる真の医療体制は何なのか?


新型コロナウイルスで医療について考えることが多い今こそ、日本の医療を根本的に考え直すいい機会にして欲しい。


いま僕は切にそう願っている。



注:この記事は投げ銭形式です。
  医療は誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」
  という信念なので医療情報は基本的に無償で提供します。
  でも投げ銭は大歓迎!\(^o^)/
  いつも一人で寂しく(しかもボランティアで)
  原稿を書いているので、
  皆様の投げ銭から大いなる勇気を頂いております!
  ありがとうございますm(_ _)m


ぼくの本

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★★★★★★★★★★★★
日本医学ジャーナリスト協会
優秀賞受賞作品(2016)
★★★★★★★★★★★★

財政破綻により病院がなくなってしまった夕張市、
しかも高齢化率は市として日本一。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。
しかし財政破綻後のデータは、夕張市民に健康被害が 出ていないことを示していた。

事実、夕張市民は笑顔で生活していた。
「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」
それが事実なら、それはなぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。

夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から
医療・介護・地域社会の問題を鮮やかに描き出し、
日本の明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

森田洋之 著

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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)