マガジンのカバー画像

『北海道廃止ローカル線写真集「追憶の鉄路」』

26
「〜書き残したあの風景〜」と題して、『北海道廃止ローカル線写真集「追憶の鉄路」』(2011年12月発売/北海道新聞社刊)では書ききれなかった1984〜1990年(一部を除く)の北…
運営しているクリエイター

#エッセイ

〜書き残したあの風景〜【池北線愛冠駅】

【写真集P.220 池北線愛冠駅】 《再掲》Photo & Essay 『愛冠駅前に湧く“愛の泉”』 列車…

〜書き残したあの風景〜【標津線西春別駅】

【写真集P.199 標津線西春別駅】 標津線の起点となる標茶と、沿線最大の駅だった中標津駅との…

〜書き残したあの風景〜【羽幌線三泊駅】

【写真集 P.076 羽幌線三泊駅】 先日、札幌へ来た帰り、足を伸ばし 留萌本線へと向かった。 …

〜書き残したあの風景〜【天北線沼川〜曲渕間】

本年4月、雑誌『旅行読売』別冊に記事掲載の依頼をいただき、宗谷本線共々、旧天北線の写真を…

〜書き残したあの風景〜【天北線曲渕駅】

【写真集 P.012 天北線曲渕駅】 宗谷本線南稚内駅から分岐し、オホーツク海岸沿いの町、 浜頓…

〜書き残したあの風景〜 『昭和から届いた手紙』 【湧網線知来駅】(vol.3)

【写真集 P.182〜187 /平成19年執筆】 『昭和から届いた手紙』 ~湧網線知来駅回想~ (…

〜書き残したあの風景〜 『昭和から届いた手紙』 【湧網線知来駅】(vol.2)

【写真集 P.182〜187 /平成19年執筆】 『昭和から届いた手紙』 ~湧網線知来駅回想~ (vol.2) 廃止の数年後に一度、知来駅前を通ったことはあったが、それ以来全くそこを通ったことも知来に関する情報を何ひとつ耳にすることはなかった。 知来駅駅舎は残っているのか。 そして、川村夫妻は今もあの地に暮らし続けているのだろうか・・・。 知来を訪れるチャンスは、手紙を見つけた年の10月に突然やってきた。 仕事で道東を訪れる機会があり、知来からは数十キロしか

〜書き残したあの風景〜 『昭和から届いた手紙』 【湧網線知来駅】(vol.1)

【写真集 P.182〜187 /平成19年執筆】 『昭和から届いた手紙』 〜国鉄湧網線知来駅回想…

〜書き残したあの風景〜 「受け継がれゆく 駅のかたちと心」【深名線天塩弥生駅】

【写真集 P.099 深名線天塩弥生駅】 「 受け継がれゆく 駅のかたちと心 」 先月、道北を訪れ…

〜書き残したあの風景〜【深名線】

【写真集P.104〜105 深名線 Photo &column】 『〜宴のあと〜 廃線直後の風景』 1995年9…

〜書き残したあの風景〜【標津線上武佐駅 vol.2】

【写真集P.196〜197 標津線上武佐駅 vol.2】 根釧台地をゆく標津線は、丘と丘の間をトンネ…

〜書き残したあの風景〜【標津線上武佐駅 vol.1】

【写真集P.010 標津線上武佐駅 vol.1】 原野の果てに冬の太陽が沈むと 辺りは急激に凍てつ…

〜書き残したあの風景〜【羽幌線豊岬駅】

【写真集P.093 羽幌線豊岬駅 Photo & Essay 】 『豊岬駅待合室 優しさの灯火 』 昭和62…

〜書き残したあの風景〜【天北線声問駅】

【写真集 P.402〜403 天北線声問駅】 『声問駅回想“近くて遠くなりしもの”』 2008年12月、天北線廃止20周年を記念する写真展を稚内にて開催した。 写真展会期中、娘を連れたひとりの若い女性が私に話しかけてきた。 「ここに写ってるの、うちの婆ちゃんなんです」 左手にスーパーの買い物袋を持ち、声問駅長に話しかける老婆の名前は、石原ミヨさん。残念ながら、この年の1月に亡くなったのだという。さらに偶然が重なっていた。ミヨさんの息子さん(若い女性のお父さん)は、か