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古賀弘幸。編集者・書と文字文化。國學院大學兼任講師。著書に『文字と書の消息』『書のひみ…

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古賀弘幸。編集者・書と文字文化。國學院大學兼任講師。著書に『文字と書の消息』『書のひみつ』『知識ゼロからの古文書を読む』ほか。趣味はお絵かきとピアノのおけいこ。http://hiroyukikoga.wixsite.com/gorgeanalogue

最近の記事

日本近代文学と書・文字

1-1 近世的なもの 1-1-1 古文書と書 「書」の価値はさまざまな局面にあるが、その中の一つとして重要なのは、書と歴史の関わりである。書が歴史史料としてこの上なく重要であることは言うまでもない。 さらに書は「文字内容」とともに「書きぶり(書風・書体)」を伴っている。これも歴史を形づくる。個人の手の中で生み出される書きぶりは──時代を脱却しようとする動きをはらみながらも──時代の思潮と強い関係を持ち、不可避的に歴史のさまざまな条件の規定を受けざるを得ない。この書きぶりの堆

    • 前衛書試論04──書の「名」と制度

      古賀弘幸 十─七 「名」と画面 前回、上田桑鳩「愛」を手がかりに、書に与えられる「名」とはどのようなものなのかについて考えた。 繰り返しになるが、前衛書の成立については、「戦後の自由な思潮が伝統に拘泥しない書表現を生んだ」あるいは「西欧絵画などに影響されながら、文字を構成する線の表現を重視する態度が筆線の自律的な表現へ進展し、それは前衛書を含む現代書を生んだ」といった説明をされることが多い。しかし、前衛書に代表される書表現が書の内部からのみ生まれた、と考えるのは不十分である

      • 前衛書試論03──書の「名」

        古賀弘幸 十─一 前衛書と書の「名」について  第七回日展(一九五一年)に出品された、上田桑鳩の「愛」(『上田桑鳩書展個展図録』筆の里工房より)は、見るものに戸惑いを感じさせる作品である。画面には「品」という文字が書かれているのだが、図録などにはその図版の傍らに「愛」という文字がそのタイトルとして記されている。通常、美術作品においてタイトルは作品と等価であるという約束事に従っていると考えられているはずなのに、作品とタイトルの二つともが別の方向を指している。タイトルの「愛」と

        • 前衛書試論02──痙攣する複数の〈私〉

          古賀弘幸 「前衛書試論01」では、前衛書の表現が、書く行為の主体である〈私〉とどのような関係を結んでいるのかについて考えた。 〈書〉が過去の文字を繰り返すことを表現の基礎としており、過去に大きく制約されたものであることに、前衛書は異議を唱える。〈私〉と過去そのものである文字(社会に了解されている意味・形・音を持った記号)に必ずしも従属しない自律的な線による表現を志向し、また、古典・書道史との関係を更新しようとしたことにあった。書を「文字を書くことを場所として、いのちの躍動が

        日本近代文学と書・文字

          「前衛書」試論01──書と〈私〉

          古賀弘幸 ◎書道団体奎星会の「奎星会報」の36号(2016.6)から42号(2019.6)まで「今、前衛書を考える」として連載された記事に大幅に加筆・修正して公開する。 https://www.keiseikai-shodo.com/ 一 書と〈私〉、そして〈過去〉 これまであまり考えられてこなかったアプローチで書または前衛書の美学的なあり方を考えたいと思う。戦後日本の現代書の一潮流であり、現在では大新聞社主催の公募展にもその部門が存在する「前衛書」が書を考える興味深い手

          「前衛書」試論01──書と〈私〉