前衛書試論03──書の「名」

古賀弘幸

十─一 前衛書と書の「名」について
 第七回日展(一九五一年)に出品された、上田桑鳩の「愛」(『上田桑鳩書展個展図録』筆の里工房より)は、見るものに戸惑いを感じさせる作品である。画面には「品」という文字が書かれているのだが、図録などにはその図版の傍らに「愛」という文字がそのタイトルとして記されている。通常、美術作品においてタイトルは作品と等価であるという約束事に従っていると考えられているはずなのに、作品とタイトルの二つともが別の方向を指している。タイトルの「愛」と作品の「品」はともに記号であるが、「愛」はその意味作用において失敗していると思われ(どのように見ても書かれている文字が「愛」の意味を実現しているとは思えない)、「品」は意味作用として送り返されるべき場所を失っている(その場所であるはずの図版キャプションには「愛」と書いてある)。
 現在、「書作品」をたとえば展覧会に出品しようとするとき、作者がタイトル・作品名をつけるのはごく自然なことだろうが、その場合も、作品とタイトルが等価であるという前提によっているだろう。では、「愛」のような、作品とタイトルが不等価であるような関係はどのようにして可能なのだろうか。そしてその関係は何を示しているのか。そもそもタイトルは書の伝統といかなる関係にあるのか。言葉からなっているはずの書にタイトルをつける=「名」を与えるということは何を意味しているのか。「愛」はこのことを考えさせる。

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上田桑鳩は、戦後前衛書の旗手だと一般に考えられている。ではその手になる、「愛」は前衛書なのだろうか。「前衛書」は辞書では次のように定義されている。


「前衛書道 文字を非具象的に表現し、造形美などの点を強調する書芸術。墨象」(『大辞林』第二版)
「前衛書道 純粋に点・線・墨色・余白の美を追求しようという新しい様式の書道」(『広辞苑』第五版)


書表現の造形面を強調し、それを拡大し、変奏することのありようが、前衛書の最も重要な特徴であると考えられているのであろう。表現が前衛的(「前衛的」を大ざっぱに旧来の枠組みにとらわれないことと仮に理解しておく)であれば、その作品は前衛書なのだろうか。「愛」は一見して伝統的な表現が用いられているから、「愛」は前衛書たりえないのだろうか。本稿では、書作品にとって「名=タイトル」は書表現の形式に関わる重要な契機であると考え、「愛」はその形式を問うことで前衛書たりえていると考える。
つまり、「前衛書」は必ずしも表現のみで定義されるものではなく、ある意味では極めて形式的なものなのだ。作品とタイトルが打ち消し合うような特異な関係を結ぶことによって、「愛」は書作品の形式に触れ、ひいては前衛書そのものの条件を描き出しているのである。
本稿は、「大東書道研究」第七号(大東文化大学書道研究所、二〇〇七)に発表された「矛盾としての「愛」─「前衛書」という形式」を改稿したものである。主として前衛書の表現の特質を検証するものではなく、前衛書が展覧会制度の中で、どのように形式的に生み出されてきたかについてめぐっている。

十─二 文字
書は、一般的にはある意味を表明する一文字ないしは文字列(以下、「文字」と表記)を書くことを基盤にしている。
文字、特に漢字は一文字が一語に対応しているから、一文字でもなにがしかの意味作用を持ち、それは単なる絵画的な構成ではない。もし書が、「文字」の意味内容を完全に排除しようとしたら、そのとたん、伝統的な意味での書の形式は蒸発してしまうはずである。この「文字」を書くことを通じて意味を実現しようとする機能は、書の根拠であり、結果である(だからこそ文字に依拠しないことが、ある種の「前衛書」の一つの根拠となっている)。

十─三 書の「名」の歴史
書が「文字」を書くことであるなら、書作品には、なぜさらに名が必要なのか。現在、作品にタイトルとして与えられる、書の「名」はどのように始まったのだろうか。近代以前の歴史をかんたんに振り返ってみよう。
もともと古代中国では、書跡はどのような断片であろうと、「書物」(読まれることを前提として文字が何かの媒体に書きつけられたもの)としてあったはずである。その意味では甲骨片も「書物」と考えることができる。断片が複数化し、順序化され、明確な形式を取ったのが、現在言うところの「書物」である。紙が発明される以前の書物である竹簡は、縄で編まれ、巻子の形に巻かれて保存されていた。これを「冊(さつ)」という。書物の数が増えるとともに、検索の必要性が生じる。しかし棚に水平に置かれた冊は、上下の断面しか見えないから、目的の冊を探すには不便である。このために、冊の端に象牙製の小さな札が付けられていたという(牙籖(がせん)という)。ところが、検索の便には牙籖があるのにもかかわらず、多くの冊の巻頭には題名を記した簡が置かれていた(「題」は「正面に記す文字のこと」である)。つまり、「文字=書跡=書物」に名を与えるということは、単なる同定の便宜のみならず、ある文字のまとまりが統一的な形を取るようになり、その物体とその内容に価値を認めるということであったのであり、たとえば前漢の竹簡「神烏傅(しんうふ)」(連雲港尹湾漢墓簡牘)の題名(隷書)が本文(草書)と異なった書体で記されているのは、そのためである。

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この一方で、書跡を形姿(けいし)として審美的に評価する行為も後漢ごろには始まっていた。六朝から唐において、王羲之書が最高の価値ある書跡として考えられ、蒐集・分類され、複製が作られるようになったことも書跡に名をつけることの必要につながっていく。
書の名づけには、文章の題名、書者名、「文字」の冒頭部分(必ずしも冒頭であるとは限らない)の「読み出し」が使われた。またその文体の形式、さらには、その書がどのような媒体(文体形式と不可分の関係にある)に書かれているかも指標となる。
「文字」の一部分によって命名されている例では、「十七帖」「初月帖」「喪乱帖」などが有名である。初唐の褚遂良による王羲之書のリスト「右軍書目」では、現在「孔侍中帖」の名で呼ばれる書跡は、「九月一七日王羲之報、且行因孔侍中八行」と記されている。またこのような唐代の命名方法に倣ったと考えられる、日本に伝来していた書跡の名を記した正倉院の「東大寺献物帳」には、「大小王真跡書一巻」「搨晋右将軍王羲之草書巻第一」などとあり、書体や書者名、装丁形式または真跡か模写かどうかなどによって命名されることもあったことがわかる。
 文体形式であれば、「……文」「……銘」「……語」「……賛」「……経」「……詩」「……序」「……跋」「……稿」によって命名された(「五言古詩」などはこのバリエーションである)。古典的な書跡の多くに付けられている「帖」はもと「書きつけられた帛」のことで、文字媒体の素材を示していた。素材の違いに応じた名称としては、「……碑」「……簡」「……石」「……紙」などもある。書者名だけでなく、文章の著者名であることもある(「杜甫詩」など)。
日本の古筆切は、鎌倉以降に古筆家や鑑賞家(茶人ら)によって命名された。彼らには、古筆切の鑑賞・蒐集の流行に伴って増加する古筆切を分類し、鑑定の結果「極札」を付す必要があった。その鑑定結果が古筆切の「名」につながっていく。その断簡を価値あるものとして同定し、価値づけする必要があったからである。これらには、内容や伝来や料紙の種類、為書などが使われた(「香紙切」「亀山切」など。いうまでもなく「切」は一種の鑑賞・表装形式である)。
このように、書は、文章の題名、書者名、文書形式、文章内容、表装形式、伝来など、その書跡を特徴づける要素を組み合わせる方法によって呼ばれるようになっていった。こうした書の名を総称として仮に「読み出し型」と呼んでおこう。これらの名は、書跡が個別に鑑賞・表装され、所有・蒐集され、さらに交換・流通されるようになることに伴っていた。題簽、題跋、表装を施され、書跡が次第に一つの統一体として考えられるようになったことにも対応し、定着してきたものであろう。つまり書の「名」は、その書物・書跡を一つの価値ある存在として考えて「聖別」すること、そして一点一点を同定しようとすることの表れとして、定着してきたものである。
 しかし書作品は言葉にほかならないのであるから、書にタイトル=「名」をつけることは、言葉である名が作品と同じ形式を共有しているという意味で、同語反復的であり、その「文字」を「文字」によって二重三重に取り囲むということになるだろう。

十─四 絵画の「近代的なタイトル」とプレート
ここで書からいったん離れて、絵画におけるタイトル=「名」の特質について考えてみよう。佐々木健一は、『タイトルの魔力』で、西欧絵画におけるタイトルは、フランスのサロンでの出品展示の習慣に伴う絵画作品の分類の必要から出発したとしている。そして一八世紀頃までは、単に画家名や画題(画面の中で起こっている事件)を記すもの、静物画や肖像画では描かれた対象を示すものが大勢であったが、近代以降、単なる同定のための指標を超えて、積極的に画面・作品の内容に関与するようになったことを跡づけている。
タイトルは次第にその権能を大きくしてゆき、モダニズムを通じて、「この絵を……として見よ」という、画家本人のメッセージとしてつけられるようになった。タイトルは、単なる説明から作者による、作品についての美学理論の表明へと変化してきたのである。佐々木は、これを「近代的なタイトル」と呼んでいる。これはいわば「主題としてのタイトル」でもある。
 たとえば、二〇世紀前衛美術の巨匠と目される、マルセル・デュシャンは既成の男性用小便器に署名し、「泉」(一九一七)というタイトルをつけて展覧会に出品した(展覧会側から出品を拒否された)。このタイトルは、単なる詩的な遊戯ではなくて、大量生産された工業製品に署名したものを一個の「美術品」として見よ、というメッセージであり、手で制作された彫刻作品を美術品としてあがめる態度を批判する美学的なメッセージでもある。さらには先行する古典的な美術作品、そしてその題名(たとえばアングルの「泉」)へのパロディでもあった。
このような場合でも、タイトルの文字列に特徴的なのは、それが作品本体にとっては、メタ(上位の)レベルにあることである。この意味で、近代的なタイトルは、どのような作品であれ、その見方を方向づけ、改めて作品を定義する権能に自覚的になったといえる。たとえば、抽象絵画の場合、その画面はいかなるものとしても見ることができるから、タイトルを媒介にして、画面はある風景やある心象・観念と結びつけられる。モンドリアンがある抽象画に「ブロードウェイ・ブギウギ」と名づけることは、黄色と黒で構成された画面を作家の心象としての都市のざわめきとして見よ、という命令として働く。加えてこれが鑑賞の質を規定する(この絵がもし「黄色と黒のコンポジション」と名づけられていた場合、鑑賞の質の差は明らかだろう)。ひいては、画家は抽象画であれ、具象画であれ、その制作物に近代的なタイトルを名づけることによって、どのような方向にも操作できることになる。さらにビュトールは「標題によって、ただ単に文化の中での作品の位置が変化せしめられるだけではなく、作品が私たちに提示されるときの全コンテクストもまた変貌させられる」と言っている(『絵画のなかの言葉』)。つまり、一個の「近代的なタイトル」はその作品だけでなく、作品の外(系列化された諸作品、展示の場や同時代の時代思潮など)にまで影響を及ぼしうるのである。
現在、美術館などで陳列される場合、絵画のタイトルは画面の外に置かれた、小さな板に書き込まれている場合が多い。作品プレート(キャプション)である。こうした表示は、佐々木によると、フランスで一八世紀に始まり、一九世紀を通じて西欧での美術館制度の普及にともなって、一般化したらしい。
これらのプレートが画面の傍らにあるということは、タイトルが絵に向かってメタ的な位置にあることの物理的な反映である。この場所であれば、タイトルは、明確に画面に向かってメタ的に振る舞えるからである。また「メタ的」であることは、タイトルが言葉であることとも関係がある。言葉はその性格上、先行する事態の意味を常に事後的に外側から反省的に記述することができるからである。佐々木は、「この「について」という作品もしくは対象との独特の関係は、どのような記号でもとりうるものではなく、言語固有のはたらきである」(前掲書)としている。

十─五 書の名の変化─目録とプレート
書の場合、画面に「文字」が書かれているという特質を持っているため、その「名」の位置も絵画とは異なっていた。たとえば「名」は先述の冊の冒頭の簡に書かれることもあり、作品の冒頭に書かれることもあった。古典的な書画では、筆者あるいは鑑賞者が「賛」や題」のかたちで書画の画面に注釈的な「文字」を直接書き込むという習慣もある。多くそれは書跡と一体のものでありながら、やはりもとの書にとってはメタ的である。古代文字を素材にした作品の場合などには、その注釈として書作品の画面の中に異なった書体で「文字」が書き込まれることもある。
たとえば、明代に芸術として認知されるようになった篆刻は、その最初期から側款(そっかん)(印材の側面に印制作の為書などを刻むこと)も行われるようになったという。篆刻作品の「題」は必ずしも側款で呼ばれるものではないが、これはやはり「文字」についてのメタ的な「文字」のあり方である。篆刻はいってみれば、芸術として自立しようとするときに、メタ的な説明を必要とするようになったのである(逆説的にいうと、篆刻は篆書がすでに普通には読めなくなったことをいわばその表現のテコにしている)。
先に挙げた分類、そして聖別を目的にした以外にも書画にはレベルを異にした「文字」が常に書き込まれるのである。そうした伝統的な東アジアにおける多様な書をめぐる「文字」のあり方も、近代に至って、西欧絵画の分類の論理によって、次第に収斂していき、書にも名=プレートが付されるようになる。

十─五 書はどのように「作品」となったか
博物館・美術館への収蔵・展示、そして内外の展覧会や博覧会への出品などといった近代日本の美術制度の整備の過程の中で、美術作品は、「作品」として分類・登録されていった。
その具体的なあり方の一つが、初期の博物館で行われた制作物や物品の分類であり、それを明示した作品目録、出品目録である。たとえば、日本で初めての本格的な展覧会であると位置づけられる、明治十年の第一回内国勧業博覧会(書画も出品されていた)の作品目録には、書作品が「掛物(一)唐紙、唐詩七絶行書」「額(一)白紙行書」などの名称と出品者の名によって登録されている。
つまり、伝統的な形式の書は、作品目録、出品目録への登録によって、さまざまな制作物・物品の中で、書も美術品分類の体系の中に位置を与えられるようになり、また公開の場で、種類別に区分・陳列されることによって、美術制度の中で統制された「作品」に変質していったと考えることができる。そのような形式的な区分は、また実際の制作者の表現の実質にも影響したはずである。同時に不特定多数の観客が同じ場で不特定多数の筆跡を眺めるようになり、そのような場に置かれることは、書を「見る」ことにも変化を与えただろう。つまり、書の変質、「作品」化は制度のもとで制作者・鑑賞者の双方に起こったはずである。

絵画展示史の中で先述したプレートが、明治期の博覧会や展覧会においてどのように扱われていたのかについて、勧業博覧会の「諸規則」などによると、「出品ニハ必ス和英対訳ノ小札ヲ付ツクヘシ……各自和文ヲ以テ品名、工名、産地及ヒ出品主ノ住所姓名ヲ書記セシメ……」(第一回、明治九年)などとあり、また出品の際にはこのような小札とともに「解説書」が必要とされた。ここには作品の「図題及詩文題等」を書き込むことになっていた。
このようにして、明治中期から大正にかけて、書画を制度的に分類し、目録化するために、出品の際の申告制度を通じて、展覧会でプレートを書画作品の傍らに置く習慣が日本でも定着していったと考えてよいだろう。

プレートの設置は、書に即して考えたとき、書作品に名を与えることに明確で物理的な表現が整ったことである。前述のように、書作品を見れば、表現とテキストが一挙に示されるにもかかわらず、いわば注釈を同語反復的に繰り返すのが書の名であり、それを展示の場で画面の外に切り離したのがプレートである。そのようにして、名=プレートは書作品の質にも影響し始める。書作品は、自身を作品そのもので説明しなくてもいいことになり、言葉に依存しない視覚像としての表現をする準備を整え始め、一方で名は作品に向かってメタ的に命令できる条件を整えた。
この名と画面の切り離しののち、改めて新しい関係が築かれることになった。位置を異にすることで、作品にとって名は自分を説明してくれるものとして、名(キャプション)にとって作品は自分の美学的な命令が実現される対象として、作品と名は改めて統合された。近代の分類の思想によって変質した名が、新たに別の方法で作品の価値を定義し直すようになった、とも言える。書の名も「近代的なタイトル」に変化したのである。
現在の展覧会の作品プレートに書き込まれる「名」はほとんどが楷書(またそれをもとにした活字体)で記されており、それ自体が篆書や草書で書かれることはない。このことは、先述した篆刻芸術の印面と側款の関係にも似て、作品プレートの「作品名」が作品に対して「外」に立っていること(メタ的であること)、そして篆書や草書がもはや容易には読み難くなっている書体であることを背景にして、現在の「公用体」が主として楷書あるいは活字体であり、篆書や草書はもっぱら芸術表現に適した書体であると考えられていることと符合する。つまり、書における作品と名は、名指されるものと名指すものとして、役割分担が確立しているのである。
プレートは、メタ的に作品を規定していることをまるで自身で打ち消すように、無色透明であろうとする。いわばプレート上では表現は禁じられている。画面の領分を侵してはならないのである。古く、石碑や墓誌の本文が隷書や楷書であっても、題はより古い書体で記されたことを考えると、作品とプレートの関係は奇妙に逆転したとも言える。それは聖別をやめて説明を始めたのである。

十─六 「名」のゆくえ
近代以降の書が、西欧絵画などに影響されながら、線の表現を主体とする独自性を追求し、「文字」を離れるようにして筆線の自律的な表現へ進展していき、それは前衛書を含む現代書を生んだ……または戦後の自由な思潮が伝統に拘泥しない自由な表現を生んだ……戦後の書がたどってきた表現の拡大はこのように説明されることが多い。しかし、前衛書を含む現代書の成立には、表現の自律的な変質、もしくはある種の疎外論的な原因のみにあるのではなく、プレートによる、名(作品を定義づける「文字」)と作品(視覚像としての「文字」)との分離と再統合が大きな意味を持っていたはずである。前衛書が誕生する瞬間あるいは表現の実質を見極めることはこの小論の目的ではないが、少なくとも前衛書が成立する条件として、「書作品」の分類が、展覧会制度(展示における作品プレートの設置)との関係を通じて、形式的に整理されたことが関わっているはずである。
次回では、戦後の書の「名」の具体的な動向を確認しながら、上田桑鳩の「愛」がどのような意味を持っていたかを検証する。

◎参考文献
佐々木健一『タイトルの魔力』(二〇〇一、中公新書)
ミシェル・ビュトール 清水徹訳『絵画のなかの言葉』(一九七五、新潮社)
北澤憲昭『眼の神殿』(一九八九、美術出版社)


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