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「安定の心地良さ」から「変化の勇気」へ:未来を切り開く行動の力
生成AIには課題も多いが、孫氏のカウンターは強烈だ。「ハルシネーション(不正確な内容を出力すること)は一時的なもの」としたうえで、「ハルシネーションがあるだろうとか、データのセキュリティなどあーだこーだ言う人がいる。電気は時々爆発するだろうとか、自動車も事故を起こすだろうと言う人と似ている」「新しい文明に対して、自分が本能的にすぐに受け入れられずいろんな屁理屈を付けてけなす。それによって自分がさも知識人であるかのようにふるまう人がいるが、こういう人こそハルシネーションだと言いたい。後で歴史があなたの間違いを証明します。自動車が、電気がどれほど有益であるか歴史が物語るように」と語った。
「我々はまさに10年のクロスオーバーの時に今いる。この10年で自分がどう思うか、自分の会社がどう思うか、自分の国がどう思うかで100年、200年先が決まる。小さな議論はやめとけよ。誤差な話を言うんじゃない。もっとでかく全体を見ようということを僕は申し上げたい」「人類の進化の源泉は願望であると私は思う。空を飛びたい、早く走りたい、病気を治したい、この願望が進化の源泉。AGIをうまく活用できる人とできない人の最大の違いは何か、それは強い願望を持ってるかどうか。AGIは敵ではない、最強の味方だ、最強のパートナーだ、最強の道具だ、こういう風に思ってほしい」(孫氏)
✔︎ 原始の時代から農耕のルーチンワークまで、安定を求める心は私たちの生存戦略として形成されてきた。
✔︎ 新しい技術やサービスに対する恐れや偏見は、変化の波に乗り遅れるリスクを増大させる
✔︎ 未来は予測不可能だが、行動を起こすことで新しい可能性が開かれる
原始の本能と農耕のルーチンワークが、脳に「安定の心地良さ」を刻み込んだ
私たち人間のDNAには、安定を求める本能が深く刻み込まれている。
原始の時代、人々は未知のものに挑戦することが、直接的な死の危険と結びついていた。未知の危険から身を守り、生き延びるために、安定を求めることは必要な欲求だった。
さらに、農耕民族の時代には、この傾向はさらに強まった。春に耕し、夏に植え、秋に収穫する。ルーチンをきちんとこなすことで、生活が安定し、飢餓や死の危険から逃れることができた。
収穫物の配分のためにピラミッド型に上下の力関係が作られ、役割分担が細分化した。自分の任された役割のルーティンワークをこなしていれば、死ぬことはなくなった。それに従事することで安心感を得ていた。
そのため、脳は安全なコンフォートゾーンから出ることを避けるようにプログラムされている。三日坊主もその脳による安定へ引き戻そうとする引力そのものだ。
新しいサービスを恐れては、古い時代に取り残される
現代社会でも、未知のものや新しい技術に対する恐れや偏見は根強い。テレビ、インターネット、SNS、スマートフォンなど、新しい技術やメディアが登場するたびに、多くの人々はそれを批判や軽視の目で見てきた。
テレビが登場した時、映画界は軽視し、出演を拒んだ。インターネットは、メディアや新聞は見下した。SNSは、子供の遊び場と大人は馬鹿にした。スマートフォンは、ギークのおもちゃと大半の人はすぐにはつかおうとしなかった。
その後世界はどうなったか。それは火を見るより明らかだろう。歴史は証明している。新しい技術やメディアは、社会を大きく変える力を持っている。
その変化の波に乗り遅れた人々は、古い時代に取り残されることとなる。そして今、AIの波が世界を変えようとしている。
沖に出ていなければ、変化の波に乗ることはできない
現代の急速に変わる社会において、その安定を求める本能が、私たちの成長や新しい可能性を阻むこともある。現状維持は約束された沈没だ。未来の変化の波に飲み込まれるリスクを増大させる。
変化を恐れず、行動する姿勢こそが、新しい可能性を開く鍵となる。変化の波に乗るためには、安定を求める本能を乗り越え、新しいものを受け入れ、行動する勇気が必要なのだ。
未来は予測不可能だが、行動を起こすことで、新しい道が開かれる。その未来がどうなるかは誰にもわからない。だからと立ち止まってはいけないのだ。考える前に、まず行動してみる。その行動から得られる経験や知識が、新しい未来を築くための礎となるのだ。
波に乗るためにも、沖に出ていなければならない。
沖に出ていなければ、変化の波に乗ることはできないのだ。
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