自分の人生 自分の時間
なんらかの集団、組織にいる大多数の人々が、認知的不協和に陥っている状況はカルト宗教とは呼ばないのか?
つまり、会社であれ、国家であれ、組織にいる大多数の人が同じ方向を向き、その方向に違和感を感じている者がいたとしても隣の人を見て、本当は自分の向きたい方向は間違っているのだと考えてしまう自己欺瞞の集合体である組織だとしたら、その組織は個々の人生の意味を定義する余地があるだろう。
問題の解決よりも、規則を重んじることによって別の問題が誘発されたことを新しい規則で説明するのか?
規則は何のためにあるのかな?
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