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階層社会(ヒエラルキー)がもたらす問題点

「ピーターの法則」 ローレンス・J・ピーター著 の本を読んでいます。

この本はかなり自分自身にとって衝撃的であり、そのような考え方もあるのだと思うと同時に「社会学」について興味がでるきっかけになった本になりました。

前回の「ホラクラシー経営」から関係はしています。ホラクラシー経営とは、対照的な階層社会「ヒエラルキー」の問題点について掘り下げることができる一冊になりました。

「ピーターの法則」に書かれていることについて掘り下げ考えていきたいと思います。本の内容を抜粋するところもあるので、表現が少し乱暴なところも含まれます。

読み進めていくうえで、大事だと思うことがあります。

人がどうのこうのよりも、自分自身のことを客観的にみて、考えのアップデートとアウトプットのレベルアップをするきっかけに、この本がなればいいと思います。

世界には無能がはびこっている

もともと、完璧な人間などいません。人間はヘマをするということを前提条件として考えていきたいと思います。

人間はヘマをする = 「無能な人間」 といった表現を使わせていただきます。

自分の無能を克服し、ほかの人の無能を理解することで、楽な気持ちで仕事ができるようになります。更なるメリットもあるでしょう。

このような疑問を抱いたことはないでしょうか?

なぜあの人は、昇進した途端ダメになったの?

その答えを「ピーターの法則」として解明されています。

無能になってしまうには条件があった

無能になってしまうのには条件がありました。

あることが起こると無能になってしまうことがわかりました。

それは階層組織において、昇進です。

この階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達します。

この事態は遅かれ早かれ、あらゆる階級社会の、あらゆる人々に起こりうることだというのです。

そして、無能になった人間は、それぞれのポストにて職責を果たさない人間となりそのポストに留まることとなります。

では、無能にならない方法はないのでしょうか?

基本的にはありませんが、例外として、以下の2つの場合に例外があります。

① 無能になるまで十分な時間がなかった
② 無能に到るまでの十分な階層がなかった

以上の2点意外の場合は、無能になってしまうことがわかりました。

では、無能な人間はどのような特徴を持っているのでしょうか?

① 生産するものがない(アウトプットの問題)
② 階層の内部基準に従った行動ができない(インプットの問題)

自主的に、判断を下す能力がありません。そして、常に組織のルールや上司の指示に従うだけで、決断はしません。これが通常の階層社会では有能と判断されがちです。

服従するものと指導するもの

昨日の服従者がまれに今日の指導者になるパターンがあります。

例えば、命令にきわめて従順だったものは上のポストに昇進した場合、どのような立場になるでしょうか?

こんどは命令のくださなけらばならない立場になります。

いままで、せっせと服従していた人たちが、手のひらをかえしたように指導者になれと言われても、それは無理というものです。

良き服従者は、良き指導者にはなりません。良き服従者が昇進する可能性はありますが、だからといって良き指導者になるわけではないのです。

結果、有能であり続ける為にはどうすればいいのか?

経営者だったらの立場と、従業員の立場だったらとの二通りで考えてみたいと思います。

○経営者の場合

有能な人間が無能な人間になるまで、昇進していくという問題が発生しているのは、この階層社会(ヒエラルキー)によって、発生していると考えることができるので、ヒエラルキーをなくす、もしくは、無能になるような階層を少なくする必要があります。

そうすることにより、有能な人間が常にいる状態。要するに自らリーダーシップを発揮し、自主性をもって仕事を取り組める状態が続いている。そのような環境を作り出す必要があると思います。

○従業員の場合

ヒエラルキーの中で、無能にならない為に、有能であり続ける為には、従業員の立場として、どのような行動をとるべきなのでしょうか?

上司からの良すぎる服従者にならずに、自らの判断で仕事を進めていく。要するに自主性を持った人間であり続けること。そうしないと、指導する立場になった時に、自らの判断で部下を育成することができない。

最後の最後の昇進になった場合は、無能になってしまうという前提で考えた場合、今の昇進が最後の昇進にならないようにする。要するに、そのポストで満足だと思った瞬間、そのポストであり続けたいと思った瞬間、無能になってしまうので、そこでは満足しないと思うと同時にアウトプットし続ける必要があります。

そうすることで結果的に有能であり続けることができます。

終わりに

この「ピーターの法則」の本は3回読みました。

難しい本ではありましたが、読めば読むほど理解が深まり、そしてアウトプットすることにより考えが整理されました。

この本の中では無能・有能といった極端な表現をされていました。表現方法としては、本に書いてある表現をブログでも活用いたしました。

大事だと思うことは、人がどうなのでか。ではなく、自分を客観的に観ることによって、では自分はこのヒエラルキーのどの位置にいて、無能な人間なのか?有能な人間なのか? 無能であれば有能になるためにはどのような考えを持ち、どのようなアクションをする必要があるのか?

また、仮に有能であった場合に、有能であり続けるためには、どのような考えを持って、どんなアクションをとり続けていく必要があるのか。

などを考えるきっかけになったことは非常に有意義になったと思います。

現在の環境で、行動は制限されてしまいますが、頭だけは常に学び、そして、前に進み続けていきたいと思います。

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