ナチスのしたことに良い面はあったー小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店、2023年)

哲学、論理学、クリティカル・シンキング系の内容の授業の準備をしていて、ひょんなことからこの本に出会ってぱらぱらと読んでみた。私はナチスの専門家ではないのであまり首を突っ込むつもりはない。ただ、この本の著者の使用する言葉と議論の整理が巧みに思えたので、そこを糸口にこの著書の意義を確認したい。このノートのタイトルはそれに絡めて裏返して意味内容をわかりやすく表したにすぎず、ナチスを肯定的にとらえたいわけではないので誤解しないでほしい。

「物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから、たしかに戦争やホロコーストなどは悪いことだったかもしれないけれども、探せばいろいろと良い面もあったのではないか」(本書3頁)

「はじめに」のこの引用は、「ナチスは良いこともした」と考えたくなる「真っ当」な思考回路として言及されているものだが、この何気ない一節に、本書を読み解くための重要なカギが含まれているように思える。ここには、「面」と「こと」という2つの表現が入っており、両者は似た意味を持って互換的に使われることもあるが、「こと」は事柄や出来事、「面」はその一部分というように区別することもできるだろう。

著者は、本書を通じて、「物事には(つねに)良い面と悪い面がある」という命題を否認しておらず、その「物事」にはナチスのしたことも含まれる。つまり、ナチスのしたことにも「良い面と悪い面がある」というのは真である。しかし、だからといって、「ナチスは良いことも悪いこともした」という主張が正しいとは限らない。著者が丹念に説明して結論づけようとしているのは、様々な面からなる「こと」ごと(毎)に吟味するならナチスは「良いこと」をしていないというものである。

例えば、「ヒトラーにも優しい心があったのか?」というセクションがある(29-32頁)。ヒトラーは子どもたちに笑顔で接するなど民衆と分け隔てなく交流し、その人間的なイメージが当時人気を集めた一つの理由だったという。もちろんヒトラーも血の通った一人の人間であり、彼の一挙手一投足に100%の悪意を見出そうとするのは妥当とはいえない。しかし同時に、その子どもに優しいヒトラー像がナチスの宣伝のために意図的に作り上げられたものだったことも事実である。

他にも本書では、「ヒトラーは良いこともした」という主張の根拠・例示としてよく言及されるものを検討している。経済回復はナチスのおかげだったのかといえば、ナチスの雇用創出策は「限定的」とも「一定程度の成果が得られた」ともいえるが、ヒトラー政権以前にすでに回復傾向にあったし、経済回復の決定的要因は軍拡であった。その軍需経済は巨額の負債でまかなわれたし、占領地やユダヤ人からの収奪ならびに外国人の強制労働によって支えられた(第4章)。ナチスが労働者の味方だったのかについては、確かに有給休暇の拡大をはじめ、ヒトラーは国民全体の消費生活水準の向上に取り組んだが、労働力の維持・強化により国家の目的への動員をはかるという趣旨も忘れてはならない(第5章)。家族政策については、景気回復も要因となって結婚数(や出生数)が増えたが、政治的・人種的その他いくつかの条件が付いた民族共同体の構築という目的を有したものだった(第6章)。

本書ではさらに環境保護や健康政策へと進んでいくが、ここではこれくらいにして、内容を簡単にまとめれば、ナチスのしたことには部分的には「良い面」もあるが「悪い面」が大きく、それぞれ「良いこと」をしたと判定することはできない。「あらゆる物事には良い面も悪い面もある」というやや達観的な至言に無理に逆らおうとせず、考察評価対象の次元を的確に設定している。すなわち、「こと」よりも細かな「面」の単位では、良い面も悪い面もあるにしても、それ自体はあくまでミクロな話にすぎない。「面」の良し悪しは「こと」の良し悪しの判断材料に使われるが、「こと」単位で「悪いこと」と評価されるものについては、そのなかでの「良い面」は些細な要素でしかない。この構造・階層の明確な整理に本書の特徴・意義があり、「面」レベルでのナチスの美化を封じ込めることに成功している。

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