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中国語の漢字の方が大和言葉より表現が豊か?(その一)

中国語を勉強していると、一つの日本語の発音に対して複数の中国語の漢字が対応しているというケースが少なからずあります。そして、それは大体中国語の方が、その使用する場面でどの言葉を使うか厳密に決まっています。逆に日本語の訓読み、大和言葉を考えると、この言語はヴォキャブラリーが少なくて曖昧なのではないかと考える様になりました。

昔はこの曖昧さを、言葉の含みおきが多い豊かな言葉と理解していた様に思うのですが、今は単にボキャブラリーが不足していると考えています。
そんな言葉の例をリストアップしてみます。

"かりる"

日本語では普通は"借りる"と書きます。友達に鉛筆を借りる、家を借りる。皆この文字一つで片付けます。しかし、中国語でこの漢字をそのまま使うと意味がおかしなことになることがあります。
"跟朋友借一枝鉛筆"、これは問題ありません。しかし、"我借了一個房子",これは状況的に使えない場合が多いです。この時の中国語の動詞は""になります。この、""と""の違いは、費用の発生の有無にあります。お金を出して借りる場合、中国語では""を使わず""を使います。"租房子"になるわけです。

日本語でこの""と言う言葉は"租借"などとして使うことはありますが、かりると言う場合に""を使うことはありません。

"できる"

可能と不可能を表す、できる、できない。あるいは動詞の連用形を使った、れる、れないと言う言葉は、日本語ではオールマイティーにどんなシチュエーションでも使うことができます。
しかし、中国語の場合、様々なシチュエーションによって使われる助動詞が異なります

日本語を話せますか?
これは、中国語にすると、"你會說中文嗎?"となります。できるを表す助動詞は""になります。この場合の""のニュアンスは、学習をしてその能力を得た場合に使うのだと考えています。例えば上記の様に外国語を取得するとか、楽器の演奏をするとかです。

ここから飛び降りることできます?
これは、中国語にすると、"你敢不敢從這裡跳下去?"となります。この場合、できるを表す助動詞は""になります。この場合の""は、物理的にできるかどうかではなくて、心理的にできるかどうかということを尋ねているのでしょう。例えば、舞台に立つとか、告白するとかですね。

明日の朝、ここに戻ってこれます?
これは、""でも""でもない、単なるできるかどうかという質問です。"明天早上,你可以回來嗎?"能力とも心理的な要素も関係なく、単にできるかどうかと聞いているニュアンスですね。この様な場合、"可以"を使います。

"かく"

"かく"と発音する動詞は、主なもので下記の4つくらいあります。

書く
これは、文章を書く、文字を書くという使い方になりますね。図版ではなく、文字を扱って作文をする。或いは具体的に、ペンや筆で文字を書くことを表す動詞です。

描く
"描く"は、"えがく"とも読みます。書くと比べると、図版や絵画を描くという意味になります。

上記の2つの"かく"は元々手を使って何かを表すという行為が原意としてあり、それに対応する漢字が二つに分かれているという風に考えられます。

欠く
漢字で"欠く"と書かれる場合は、意味が全く異なります。足りないとか、一部が壊れているとかいう意味になります。
この意味と、上記の"書く"や"描く"との意味の共通性は見出せません。

掻く
この場合の"掻く"は、手を使ってつまびくとか、引っかくとかいう意味だと思われるので、"手を使う"という共通のニュアンスはあります。

こう並べてみると、大和言葉としての"かく"には、元々手を使って何かをするという意味があり、それが文字を書く、絵を描く、体を掻くと言ったふうに漢字による表現が分化していったのではないかと考えられます。

"たつ"

"たつ"と発音して表す漢字の動詞は、とてもたくさんあります。これは、いくつかの意味のグループに分けられる様に思います。
これは、"たつ"という発音の言葉に、この様な多様に意味が表現されるわけで、外国語として日本語を学ぶ人にとってはとても面倒くさいことでしょう。意味が分かったとして、それに正確に漢字を対応させるのは、これもまた大変です。

立つ
"立つ"は、人間や動物が足を使って立っているイメージですね。地面から足が垂直に伸びている印象です。この表現は、非生物にも使われます。柱が立つなどです。
いずれにしろ、地面から垂直に伸びている棒状のものというイメージを共有できます。

建つ
"建つ"になると垂直の棒ではなく、あるヴォリュームを持った構造物になりますね。家が建つ、ビルが建つなど。建築物が出来上がるというイメージになります。

起つ
"起つ"は意味が全く異なり、出発するという意味になります。

勃つ
これは、"勃興"とか"勃起"とか、無から有が起こるとか、柔らかいものが固くなるとかそんな意味の"勃つ"なのでしょう。

経つ
これは、時間が経過するという意味で、上の"たつ"とは異なった意味になります。

断つ
これは、"切断する"、"切る"という意味になり、また異なった意味です。

裁つ
この"裁つ"は、特に布を"裁断"する意味で使われる様に思います。

絶つ
この場合の"絶つ"は、"関係を絶つ"とか、"供給を絶つ"とか具体的なものを断つのではなく、もう少し抽象的なものを"絶つ"という風に考えられます。

この"たつ"と発音される言葉に、これだけ多種多様な意味があり、それぞれに対応する漢字の表現があるということは、そもそもの大和言葉のヴォキャブラリーの少なさを示している様に思われます。

"におう"

匂う
漢字で"匂う"と書くと、どちらかと言うと芳しい、好ましい匂いというイメージが沸きます。

臭う
こちらの"臭う"は、悪臭、好ましくない臭いというイメージになります。

この様に、漢字で書くとそれが良い匂いなのか、悪い臭いなのか一目瞭然ですが、訓読みは一様に"におう"となり、判別がつきません。

"つくる"

"つくる"という言葉の厳密な漢字への対応というのは、学校では学ばなかった様な気がします。下記の説明も、個人的にこの様な感じかなと思う内容で、恐らく皆さんも違う印象を持たれることと思います。

作る
"つくる"という言葉を学ぶ際に、最もニュートラルに使われる漢字は"作る"でしょう。模型を作る、家具を作るなど、形のあるものを製作するというイメージがあります。
また、具体的な物以外でも、"ルールを作る"とか"法律を作る"などという場合も、"作る"という漢字で対応できそうです。

造る
この"造る"の場合は、抽象的なものではなく、具体的な物になりそうです。どちらかと言うとスケールの大きなもの、"家を造る"とか、"橋を造る"などという表現が相応しい様に思います。中国語では建物を建てるということは"營造"という言葉を使います。ここでも""の漢字が使われています。

創る
この"創る"は、"創造する"、無から有を生み出すというニュアンスになります。"新しいビジネスを創る"、"音楽を創る"など。

この様な様々なニュアンスの"つくる"があり、それぞれに対応する漢字がありますが、発音する際には一つの"つくる"しかありません。大和言葉には、この様なニュアンスの差による言葉の使い分けがなかったと考えざるをえません。

"のる"

乗る
"車に乗る"、"自転車に乗る"、"馬に乗る"、"背中に乗る"。いずれも何かの物体の上にまたがる、或いはおおいかぶさるような行為ですね。そして、乗る主体は人、或いは他の生き物である感じがします。

載る
この上のものが、生き物ではない場合、"載る"という文字が使われる様です。"荷物が載る"など。また、派生的に"記事が載る"という様な使い方もありますが、これも非生物であるくくりは同じです。

"なく"

泣く
"泣く"は、人間が涙を流すイメージです。人間以外の動物でも使われそうです。

鳴く
"鳴く"は、涙とは関係なく、鳥や虫が声を出すイメージですね。

啼く
この"啼く"は日本語の表現では、"鳴く"と変わらない様ですが、中国語の解釈には、悲しみのあまり声をあげて"啼く"という風に説明がありました。

"はかる"

図る
"図る"というのは、"意図する"とか"計画する"という意味になります。

測る
この"測る"だと"距離を計測する"イメージになりますね。

計る
この"計る"だと、長さでも重さでもニュートラルに使える様に思います。

量る
この"量る"になると重さを計量する感じがしますね。

"きく"

聞く
日本語では"音楽を聞く"でも"鳴き声を聞く"でも、一様にこの"聞く"という漢字を使います。

聴く
一方、日本語では"聴く"という漢字を使うことも許容されています。この""という漢字は現代中国語では一般的に使われています。

訊く
これは、ものを尋ねるという意味での"訊く"ですね。

効く
これは、効果があるという意味での"効く"です。

利く
これは、本来の機能を発揮することができるという意味での"利く"です。

この様な、大和言葉の発音一つに、複数の漢字が充てられ、異なったニュアンスを表現するという例は枚挙に暇がありません。このことは、大和言葉の発音一つに複数の漢字の意味とニュアンスが対応している、漢字による表現の方が豊富であるということなのだと考えています。



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