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【台湾建築雑観】町屋/shophouse、あるいは街屋

日本人が言うところの町屋建築、間口が狭く奥行きが深い、道路正面に向かって店舗となっており、奥が作業スペースや倉庫となっている、この様な建築様式は日本独自のものなのでしょうか?

台湾や中国、東南アジアでも形式としてはよく似た建築があり、中国語では"街屋"または"店屋"、英語では"shop house"と呼ばれています。
台湾の友人はこれは"厝"と呼ばれていると教えてくれましたが、この言葉は本来閩南語では"家"を表しているそうです。この形式の建物のことを言っているのかどうかは確認できていません。

家内の実家で

僕が家内の屏東里港の実家に行ったのは、留学生だった時のことです。彼女の実家に立ち寄り、そこから車で墾丁公園に向かいました。
カバーに使っている写真がその実家の様子です。普通の人が見てもどうということのない、台湾でよく見る住宅の形式なのですが、建築計画をする人間がこの建物を見ると、不思議なことがたくさんあります。

一つ目は、広い敷地にポツンと建っている建物なのに、まるでカステラを切ったような、そのまま横に繋がるような建築形状となっていることです。日本では独立住居を設計する際に、こんな風には絶対に作りません。それは何故かというのが疑問です。
二つ目は、この様に横に繋がる建物は、商業街区に一列に連なる建物であれば納得できる訳です。そんな都市的な建築が何故農村でも同じ様に建てられているのか。それが二つ目の疑問です。

この家の平面形状は、間口が5mほどで、片側に1mほどの廊下を設け、間口が4mの部屋がいくつか並びます。
1階には手前が間口いっぱいの居間、廊下に入ると部屋をいくつか挟んでその奥に厨房と食堂があります。階段は最も奥にあり、階段の下がバス・トイレになっています。
2階は1階と同じ場所に廊下を設け、居室を順番に並べます。2階にもバス・トイレを設けており、配置は水回りに合わせて厨房の上に置いてあります。

一階の玄関の前は片持ちで2mほど前にせり出しており、これは街中で見る騎樓と同じ作りになっています。雨が降る際には雨よけの機能があり、一階の窓にとっては日よけの庇にもなります。

台湾で見る街屋

この様な形式の建物は、清朝時代の老街と呼ばれる場所に今でも残っており、本来的な商業施設として使われています。台北で有名なのは迪化街の商店街ですね。

通りを歩いていると間口しか分からないので、奥行きが分かりませんが、いくつかの店舗は中を通り抜けられるようになっていて、およそ30mも歩くことができます。流石にこの長さになると途中に中庭があって、採光と通風ができるようになっています。

中庭のある迪化街の街屋

中国各地に見られる建築様式

この様な建物を農村でも見るのは、実は台湾だけではありません。中国の浙江省の田舎に調査に行った時も、郊外に行ってもたくさんのこの様な形式の建物を見ました。これは中国の浙江、福建、台湾そして東南アジアの華僑のいる街では、普遍的によく見る建築様式であるのだと考えています。

僕は、こういう形式の建物は華僑のアイデアなのだと思っています。端的に言うと福建の閩南人。浙江でも見たのでルーツはそちらにあるのかもしれませんが、これを台湾や東南アジアに広めたのは閩南人でしょう。

ですので福建旅行で泉州に行ったときに、こういった街並みがないかどうか探してみました。そうしたところ、この街にも確かに街屋はありました。ことさらにここがこういう"街屋"の原型にあたるとは書いてありませんでしたので、確かなことは言えませんが、泉州と海外の華僑の"ショップハウス"が同じ建築様式の流れを汲んでいることは確かだと思います。

泉州にあった街屋の街並み
低層の街並みが綺麗に整備されています。

華僑の街に発展しているショップハウス

この形式の建物はシンガポールやマレーシアでは、"ショップハウス"として紹介されています。特に有名なのはシンガポールですね。シンガポールの"ショップハウス"は、現代の建築家がリノベーションする古い形式の建築として取り上げられ、よく雑誌に紹介されているのを見ます。

シンガポールのショップハウス

京都の町屋建築

一方、日本の伝統的な商業家屋として、"町屋"と呼ばれる建物があります。これも間口が狭く奥行きが深いという特徴は、"街屋"と同じです。日本の"町屋"の特徴としては、木造の建物であること、採光通風のための中庭を設けることが多いこと、陸屋根ではなく、中庭で分けた、分割した勾配屋根を設けることなどがあります。
日本の"町屋"は、間口によって税金の徴収を決められたのが理由で、狭い間口深い奥行きの建物になったと説明されています。

この京都の"町屋"と、中国で見られる"街屋"は、時系列的にこの様式の建物の発生がどうなっているか詳しいことは分からないのですが、どうも日本では平安時代からこの様な形式の建物があるということなので、両国に独自に発展した建築形式のようですね。異なったルーツを持ちながら同じような空間を形作っているというのがとても面白いです。

何故農村に単独で街屋が建っているのか

さて、最初の設問に戻ってみましょう。何故、農村の一戸建ての家に、街屋の建築様式が採用されているのでしょう。
僕が思うに、この建築様式は、閩南人にとってあまりに普遍的なものになっているのだと思います。建築家のいない建築。民家の一つの形式として確立してしまっているために、住んで使う方も作る方も既に共通認識を持っている。既にその様になっており、最も安価に、問題なく建てられるのでしょう。

最初に感じた違和感に対して、今はこの様に解釈しています。

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