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学生時代のヨーロッパ旅行(その二十四、イタリア)

ザルツブルクからは南下して、またイタリアに入りました。オーストリアとの国境からほど近いところにトレントという街があります。ここにいる友人を訪ねました。

Elena Pandini

僕はこれまでにイタリアで3つの街で友人のお世話になっています。Lago Maggiore、ジェノヴァ、フィレンツェです。皆とてもよくしてくれ、珍しい日本の友人を歓迎してくれました。しかし、ここトレントでは、女性の友人Elena Pandiniが自宅に泊めて、家族同様にもてなしてくれました。女性だからなのか、彼女の性格からか、とても細かいところに気を遣った、肌理の細かいもてなしだったのが印象的でした。こういうのをホスピタリティーというのでしょうね。

自宅では、彼女の弟の部屋を僕のために空けてくれ、ベットを使わせてくれました。そして朝食を一緒にとり、トレントの街を紹介してくれました。
街歩きは、Tiptreeで働いたRobertaも一緒でした。彼女達は同郷の2人でTiptreeでもいつも一緒でした。
Elenaはとても小柄な可愛い感じの女性ですが、面倒見の良い姉御肌の性格なので、専ら彼女がリードして色々なところに連れて行ってくれました。

トレントという街

トレントは、イタリア半島で見るとアルプスにほど近い山の中にあります。海は遠く、四周山に囲まれている地勢です。そして人口は現在でも12万人、それほど大きな街ではありません。

Elenaに連れられてこの街を歩いていると、そこかしこに知人が現れます。街の中心には市庁舎と市民広場があり、そこにたくさんの若者が集まっています。ヨーロッパの街の原型はこういうことなのかと実感しました。人が集うためには、何らかの仕掛けが必要です。それは、市場かもしれないし、宗教施設かもしれない。この街ではそれは市民広場であり、特に何の目的がなくとも、何となくそこに人が集まる。そして、言葉をかけて近況を報告する。
そういう場が自然にできている、そこに行けば、知っている人間にたくさん会うことができる。そういうイメージは、とても印象的でした。

トレントの市民広場

Elenaとはヨーロッパ旅行の終わった後も、ずっと手紙のやり取りを続けていました。そして今でもFBで繋がっています。ヨーロッパで40年前に知り合った友人で、今でもやりとりがあるのは彼女とGianniくらいです。とても優しい、穏やかで柔らかな印象の女性でした。

Elena Pandini

ヴェネツィアへ

トレントを離れて、またイタリアを南下、ヴェネツィアの街に入りました。この街のことは、ヨーロッパにくる前に塩野七生さんの「海の都の物語」で読んでいたので、その歴史についてはある程度の勉強をしていました。

塩野七生さんは、ルネサンス時代の都市国家の歴史を、この本でとても詳しく紹介しており、その中でも4強を、ヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ピサとしています。これらの都市国家が隆盛していたのは、当時技術的先進国であったイスラム諸国との交易をしていたからです。これをヨーロッパサイドで牛耳っていたのがイタリアの都市国家群で、その中でも最も組織だって政治と経済の運営をしていたのがヴェネツィアだという評価だったと思います。その様な組織だったため、イタリアの都市国家の中では最も長く勢力を保ち、ナポレオンの侵攻により滅ぼされるまで、1000年の長きに渡って命脈を保った、ナポレオンに攻められる時でさえも、とても若い政治家が国を動かしていたと書いていました。
塩野七海さんは、ローマの物語も書いていますが、どの様にしたら国の寿命を長く保てるのかを考えていたのでしょうね。

この街は、元々海の中に建てられた人工島なのだそうです。ラグーンの中に杭を入れて地盤を作り、そこを埋め立てて土地を作った。東京湾の埋立地、晴海とか有明の様なものなのでしょう。

そして、そのために今でもこの島は陸地からは、橋を渡って入ってくるしかありません。フランスのモン・サン・ミシェルでも陸地から橋を渡って入りましたが、モン・サン・ミシェルは自然の島で高さがあります。ヴェネツィアはラグーンの上の人工島なので平らです。

そして、島に入ると車が走っていません。水上バスの代わりにゴンドラが使われていますが、それ以外は歩くしかありません。この様な観光地は僕は他には廈門のコロンス島(鼓浪嶼)しか知りません。日本では江ノ島の中でさえ車は走っているでしょう。

ヴェネツィアの島

この様なヴェネツィアで、僕はユースホステルに3泊して、とにかくあちこち歩き回りました。40年前のことなので、ツーリストインフォメーションでもらった地図を片手に、特に目的もなく島の中をくるくると回りました。高低差はなく、運河の上にはあちこちに橋がかかり、袋小路になっている様な場所はありません。そして、塩野七生さんの描いたルネサンス期の街がそのまま残っているという不思議について考えていました。

運河をゴンドラで渡る

日本に帰ってきてから、このヴェネツィアで都市史を学んだ陣内秀信さんのことを知りました。この様な都市で建築史を学ぶと、過去と現在が一繋がりに繋がっているという感じを持つでしょう。
陣内先生は日本に戻ってきてから東京の街の歴史を研究し、東京も江戸時代はヴェネツィアと同じ、水の都であったとその歴史を紐解いています。
日本の都市は、建物が木造だったので過去の原型を残しづらいこと、第二次世界大戦の惨禍と戦後の復興で過去の様相を大きく変えてしまったことなどから、昔の都市の風景をあまり感じられません。しかし、都市の歴史と構造を深く研究すると、現代の都市も過去の歴史の上に作られているのだということがよく分かります。
陣内先生は、その様な都市の見方を示してくれました。そして、その陣内先生に都市に対するアプローチのインスピレーションを与えたのはこのヴェネツィアです。ルネサンスのイタリアの栄華をそのまま冷凍保存した様な稀有な街です。

陣内秀信先生


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