学生時代のヨーロッパ旅行(その二十三、オーストリア)
ウィーンでは、ユースホステルで面白い出会いがありました。そして、その後オーストリアのもう一つの音楽の聖地、ザルツブルクに向かいました。
ユースホステルで日本の建築士夫婦に会う
僕のヨーロッパでの旅は、イギリスのファームキャンプで出会った友人を訪ね歩くものだったので、普段日本人と会うことはありませんでした。ですので、今思うと日本語を話すことがほとんどない旅でした。その分、大量の手紙を実家の両親宛に書いています。この記事も、その手紙を元にして書いています。
しかし、ウイーンのユースホステルでは、たまたま同業の日本人に会いました。彼らは夫婦二人でユーラシア大陸を横断してきて、ようやくヨーロッパに入ったという夫婦でした。そして旦那さんは建築士。僕はその時はまだ21歳の大学生でしたが、建築意匠を専攻にしており、将来は建築設計事務所に勤めるつもりでしたので、人生の先輩に出会ったようなものです。
その時、彼らは中国、インドとトルコを陸路で渡ってきて、既に一年も旅を続けているとのことでした。卒業してから沢木耕太郎の著書である「深夜特急」という本を読みましたが、まさにこの本と同じ様なことを実行している夫婦でした。彼らもこの本を読んでいたのかもしれません。
結婚して2人でこんな旅行をする人がいるのだと、その時はとても不思議にそして羨ましく思ったものです。
僕は、ヨーロッパの旅を終えてからトルコに入る予定で、一方彼らはこれからヨーロッパの旅をスタートさせるというタイミングでしたので、お互いに情報交換をしました。
僕からは、これまでのヨーロッパでの建築見学の話をし、手元にあった「地球の歩き方:ヨーロッパ編」を譲りました。彼らからは、トルコの情報をもらいました。トルコに行くのだったら、ブルガリアとの国境近くにある、エディルネという街に行くべきだということでした。そこには、ミーマール・シナンというトルコの建築家の計画したモスクがある。これはイスタンブールのブルーモスクの先駆けになる建物で、見学する価値があるという話でした。
僕はこの情報を得て、手元に何の資料もないままでエディルネを訪問することになります。それは、これまでのガイドブックに従って歩く旅行とは全く違った、未知の旅になりました。
ザルツブルクへのヒッチハイクで
ウイーンからザルツブルクへの移動は久しぶりにヒッチハイクを実施しました。地図を調べると、この移動はまっすぐ西に向かうルートで、幹線道路になっているので、交通量も多いだろうと考えたのです。
車はすぐに停ってくれました。それが、驚いたことにポルシェだったのです。ドライバーと助手席にもう1人、男性2人でちょうどザルツブルクに向かうところだというので、乗せてもらいました。
ドイツ語で高速道路はアウトバーンというのだそうです。ここでは、制限速度はなく、好きなスピードで走らせることができると聞いています。彼らのポルシェは、速度時速200kmほどでビュンビュンと進み、あっという間にザルツブルクに着いてしまいました。
このような高級スポーツカーに乗ったことは後にも先にも、この時が初めてです。話す言葉がドイツ語だったのと、あまりのスピードにおじけついて、僕は後部座席で大人しく座ったままでした。
ザルツブルク
ザルツブルクというのは、"塩の街"という意味なのだそうです。オーストリアの山々に囲まれ、街の中心には河の流れる、とても風景の良い街でした。
この街は神童モーツァルトが生まれ育った街であるということで、彼の生家が博物館として残っていました。
モーツァルトの弾いた鍵盤楽器などというものも置いてありました。ヨーロッパ人にとってのクラシック音楽というのはとても身近なものなのだと感じました。日本におけるモーツァルトというのは、音楽室の肖像画でしかありません。
ザルツブルクでは、たくさんの音楽家がストリートミュージックを奏でていて、街中が音楽で溢れている印象でした。この雰囲気は、ヨーロッパの街では少なからず感じましたが、ザルツブルクでは、特にバイオリンを奏でる室内楽の演奏が多かったように思います。
この街の印象は、日本で言うと長野県の長野市や松本市といった感じでした。山並みに挟まれた谷間に発展した街。
オーストリアという国は海に面していません。ヨーロッパの強国がいずれも港を有し、国際貿易や、石油の輸入に有利な条件を持っているのと比べると、海運を使えないというのは、産業を発展させることを考えるととても不利です。オーストリアは、19世紀まではヨーロッパでも名だたる強国であったものが、20世紀になると没落していくことになります。
その一方で、19世紀の世紀末に燦爛たる文化的な輝きを発したオーストリア、ウイーンという街は、その時点では最先端の文化を発する先端的都市だったのでしょう。
オーストリアの地理的な様子を見ながら、そんなことを考えました。
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