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【明清交代人物録】洪承疇(その十三)

今回、洪承疇がどの様にして明朝への忠誠心を翻し、清朝の元で働くことを決断したのかという、この人物をテーマにした課題について書きます。

この問題は、客観的な説明は非常に難しい。そもそも、戦争捕虜として囚われた洪承疇を、ホンタイジとそのブレーンがどの様に説得したのかという密室での話なので、どこにもその様な記録は残っていません。「清史」列伝にこのことは触れられていますが、清朝の立場での公式記録と言った意味合いのものなので、詳細は省いて清朝にとって説明のしやすい表現になっていると思われます。そして、後世の人が様々な推測の元に脚色している物語が、巷に流布しています。
僕がここに書くことも、その様な推測の一つでしかありませんが、できるだけ状況から読み取れる内容に即して説明していきます。

「大清風雲」のシーン

ホンタイジからドルゴンに移る時代の清朝のことを描いた中国のドラマに「大清風雲」があります。このドラマのごく早い時期に、この洪承疇が清に降るシーンを描いた部分があります。ドラマの中では洪承疇と范文程を合わせて1人にした架空の人物を設定し、この人物をホンタイジが妃の1人孝莊妃を派遣して説得すると言うことになっています。

このドラマはこの孝莊妃を主人公にしているため、この様なエピソードが採用されています。この話は民間に広く流布している伝説の様なもので、それをドラマの1シーンに採用しているわけです。
しかしながら、この様な話は正式な記録には書かれておらず、洪承疇を貶める様な意図のもと創作されたエピソードだと考えています。

【大清風雲】第四集

「清史」列伝

この状況については、「清史」列伝に具体的な描写があるので訳出してみます。

上欲收承疇為用,命範文程諭降。承疇方科跣謾罵,文程徐與語,泛及今古事,梁間塵偶落,著承疇衣,承疇拂去之。文程遽歸,告上曰:「承疇必不死,惜其衣,況其身乎?」上自臨視,解所禦貂裘衣之,曰:「先生得無寒乎?」承疇瞠視久,歎曰:「真命世之主也!」乃叩頭請降。上大悅,即日賞賚無算,置酒陳百戲,諸將或不悅,曰:「上何待承疇之重也!」上進諸將曰:「吾曹櫛風沐雨數十年,將欲何為?」諸將曰:「欲得中原耳。」上笑曰:「譬諸行道,吾等皆瞽。今獲一導者,吾安得不樂?」

《清史列伝》卷十八

「ホンタイジは、洪承疇を清朝の元で用いようと范文程を説得に向かわせた。洪承疇は舌鋒鋭く、怒鳴り散らした。范文程は古今の歴史を語って聞かせ説得に努めた。范文程は、建物の梁から埃が舞い落ち、洪承疇の服に落ち、彼がそれを振り払うのを見た。范文程はホンタイジの元に戻り伝えた。「洪承疇は死ぬつもりはないと思われます。死のうという人間が、自分の着ているもののことを気にするでしょうか。それが自分の身体のことであれば尚更です。」

ホンタイジはそれを聞き、自ら洪承疇のところに出向いた。そして自らの貂の毛皮の上着を脱いで、洪承疇に羽織らせた。「洪将軍、寒くはないですか?」洪承疇はホンタイジのこの挙に目を見張った。そして嘆息した。「陛下は真の天下の主です。」彼は叩頭し、清に降った。

ホンタイジはこれを大いに喜び、宴を催し踊り子を招いて洪承疇を歓待した。しかし、清の諸将はこれが気に入らなかった。「陛下、何故この様に洪承疇のことを重んじるのですか?」ホンタイジはこの様に告げた。「我々は、この数十年厳しい年月を過ごしてきた。それは何のためだ?」諸将は答えた。「それは勿論、中原に覇を唱え、天下を取るためです。」ホンタイジは笑って伝えた。「そう、皆の言うとおりだ。我々は天下を取ることを目指している。この洪将軍は、その天下への道案内をしてくれるのだ。」

これが清の正史に描かれた、洪承疇が清に降るストーリーです。ディテールはさておいて、いくつかの基本的なことを確認します。

1. 洪承疇を説得するために、ホンタイジは范文程を遣わしている。これは、同じ漢族の人材同士、説得する人材としては相応しいと考えてのことでしょう。また、范文程はホンタイジからの信任も厚い內閣大學士です。
2. ホンタイジは、洪承疇が死ぬのではないかと心配している。そして、それを范文程に確認させに行っていると思われます。なので、范文程の返事は洪承疇は死ぬつもりではない、になるのです。
3. ホンタイジは中国の天下を取るために、洪承疇が必要な人材だと考えている。それは正にこの後の歴史的な経過が証明しています。

范文程の説得

この様な歴史的な経過、正史の記録などから見て、洪承疇を説得したのは范文程であり、彼はホンタイジの意向を受けてその様に行動しているのだと思われます。

ここからは推測です。范文程は洪承疇と何を話したのでしょう?何かしら洪承疇の心の琴線に触れることを話して説得したので、洪承疇は清の元で働くことを肯じたのだろうと考えています。そして結果として、洪承疇は自死しなかった。そのことを范文程は上記の様なエピソードで伝えた。そういうことだったのではないでしょうか。

自らの経歴

范文程は前回述べた様に、ヌルハチ時代の後金に仕え始め、18年に渡り満州族と一緒に暮らし仕事をしてきています。洪承疇にとっては異民族の敵でしかない満州族がどの様な人々であるのか、范文程はそれを詳しく自らの経験に根ざして話すことができたでしょう。
彼は、良いことも悪いことも含め、客観的に満州族のことを語れたでしょう。そして、漢族である范文程が説明するのであれば、洪承疇はそれを受け入れやすかったでしょう。

腐敗している明朝

これまでの戦争の経過を説明してきて分かる様に、明朝の問題は、社会構造から組織構造まで複合的なものです。単に個人が優秀であれば解決できるというレベルではなく、誰がどの様にやってもうまくいかない。特にそれが戦争という、究極的な政治的、戦略的判断を要される局面では、如何ともし難い。洪承疇は陝西での農民軍との戦い、東北での清朝との戦いを以って、それを身に染みて知っています。

一方の清朝の政治体制は、全てに渡って完璧というわけにはいかないが、この腐敗した末期的様相の明朝と比べると、まだ救いがある。その証拠に東北地域での農民の生活は、中国中原の農民と比べると遥かに平穏で平和なものだ。その様な政治体制の元に中国の民衆を暮らさせた方が、彼らも幸せな暮らしができる。元々が清吏であった洪承疇に対しては、この様な話もできたでしょう。

清朝における人材登用

ここまで何度も触れてきた様に、満州族という少数民族による清王朝はヌルハチの時代から、自民族だけでは覇を唱えることができない。分裂していた満州族を統一し、モンゴル・朝鮮と同盟し、漢民族も組織内に取り込む。その様な多民族による建国を是としています。その様な包容力が、政権の初めから色濃くあります。

その様な王朝の中で、漢族の果たす役割は大いにある。今後、清朝が中原に駒を進めていく際には、漢族の果たす役割はとても大きい。その様な組織の中で、中原の民のために尽くすことはできる。その様な歴史的役割を担うことは充分に意義があると説明できます。

中原に進む際の役割

ホンタイジは洪承疇のことを、中原を制覇するための案内役であると表現しています。これは、清朝にとっては正にその通りです。この中国東北地方での戦いに現れる明朝側のプレイヤーは、基本的に中国北部の出身者ばかりです。そんな中で、この洪承疇は福建省の出身。そして陝西での戦闘の経験も持っている。この経験は清朝にとっては余人をもって代え難い、必要不可欠な人材であると范文程は考えたのではないでしょうか。将来中原に駒を進め、戦線を中国の西部南部に拡げることになった場合、洪承疇の経験と能力はとても貴重なものになるはずです。彼が清朝に加わった場合、特異性はその様な点にあります。そうであれば、将来清朝で働く様になった場合には、洪承疇には大いに能力を発揮できるチャンスがあるでしょう。

そして、その様に洪承疇を説得しただけではなく、ホンタイジに対しても同じ様に説明している。この様な根回しがあったからこそ、ホンタイジのあの様な発言があったのだと思います。

崇禎帝に見捨てられた

彼は、松山における戦闘の最終段階で、崇禎帝から戦場を離れるなと命を受けています。それは死を意味するに等しかった。非合理的な命令を出され、最善を尽くすも一敗地に塗れた。そして自らも死ぬ覚悟でいたところを捕虜として捕えられた。
この様な状態にあった洪承疇は、崇禎帝からは見殺しにされたと考えていたとしても不思議ではありません。ここまで無理難題を突きつけられ、その度にそれに対応してきた洪承疇ですが、その最後の結末が、戦場において死ねという命令だったというに近い。悲惨この上もない。ここまで働けば、明朝に対し、崇禎帝に対しての義理は果たした。ここからは、新しい人間となり新たな歩みを始める。そんな風に考えたのかもしれないと想像しています。

ブラック企業を見捨てた

この様な洪承疇の境遇は、現代で言うところのブラック企業でボロボロになるまで働かされている企業人の様な印象を持ちます。この東北における清朝との戦いにおいて、様々な将軍が現れては消えていく。戦闘において無茶な命令を出されるがために失敗していく。その救われる見込みのない経過に、諦めずに努力を続けた結果が、崇禎帝からの死の命令だとしたら、救いようがありません。

さらに、洪承疇は自らのために利己的に考えるというよりは、利他主義、皇帝のために尽くすとか民のために働くという考え方を持っている様に感じられます。自らの命は、他に尽くすためにある。崇禎帝という拠り所を失った彼に残っていたのは、中原の民。彼らの幸せのために、自分はどの様に身を処するべきなのか、それを自らに問うたのではないか。その結果が、明朝を捨てて清朝にかけてみようということだったのではないでしょうか。

この様にして心の糸が切れたところに、范文程の親身な説得と、ホンタイジ自らが洪承疇のことを重んじるという直々の態度を示された。そして、悲惨な生活を続けている中原の民を救うのは、明王朝を守ることではなく、清王朝に天下を譲り渡すことではないか。洪承疇はこの様に考え、ことここに至り、明朝と崇禎帝を見限り、清朝の元に仕えることを肯じたのではないか。そんな風に考えています。

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