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学生時代のヨーロッパ旅行(その十ニ、ドイツ)

コペンハーゲンから、フェリーでドイツに戻りました。ドイツは、約2週間かけてあちらこちらの都市を巡りました。

ハンブルク

コペンハーゲンからのフェリーはハンブルク港に入りました。ハンブルクでは、特に印象に残っていることがありません。鉄道への乗り換えとして使ったくらいだったからでしょう。
ただ、土地ではなく海を中心に考えると、これまで旅してきた北欧のヘルシンキ、ストックホルム、コペンハーゲンとこのヘルシンキは船でつながっているのだろうなぁという感慨を持ちました。どこも海に面していて、海運の要衝として発展している街です。

ベルリン

僕がこの旅行をしていた1985年、ドイツはまだ東西に分割されていた時代でした。そして、西側民主主義陣営の橋頭堡として、東ドイツの中に西ベルリンが孤立していました。このことは、本を読んでそういうことになっているとは知っていましたが、実際にこの場所に来て、西ベルリンと東ベルリンを見比べてみると、その違いは驚くほどのものでした。

ハンブルクからの列車は、東ドイツを経由してそのまま西ベルリンに入ります。途中で列車を降りることはできません。飛行機に乗る様なもので、途中下車は叶わないのです。
西ベルリンの街はとても華やかな、西ドイツの他の街と比べても、際立ってお洒落で、先進的なデザインの建物の建っている街でした。宿はこの西ベルリンのユースホステルに取りました。

一日西ベルリンの街を歩き回った後、翌日一日東ベルリンの街に入りました。この当時、この西ベルリンから東ベルリンへの一日の観光は、当日国境で簡単な手続きを取るだけで可能でした。一日東ベルリンで費やすべき、まとまったお金を両替して、列車で東ベルリン駅に入ります。

この時の印象はとても鮮烈なものでした。タイムマシンに乗って、灰色の街に入ったといったイメージです。ダブリンに行った時も暗い街だという印象でしたが、これは夜だったので仕方がないこともあります。東ベルリンは観光のために一日いましたが、街に色味がない感じでした。西ベルリンの華やかさと比べたので特にその様な印象になったのかもしれません。
西側の国々の新しい街が、新たな建材や、広告、照明などを駆使して、商業活動として人目を引く様に様々な工夫を凝らしているのと比べると、第二次世界大戦の終わった時点からその様な発展をして来なかった東ベルリン。40年の停滞がこの様な差になって表れているのかと、とても驚きました。ベルリンの壁ができたのは、この様な東ベルリンから絶え間なく西ベルリンに人が流れていくので、それを遮るためと聞きましたが、東側の人がその様に考えるのも無理はないと思いました。

社会のシステムが正常な発展をできなくなってしまうと、この様なことになってしまうのだと、とても悲しい気持ちになったことを覚えています。
そして、この時から4年後にベルリンの壁は崩壊し、東ドイツそのものも無くなってしまいました。この様な歴史の一断面を見ることができたのは、良い経験だったと思います。

ケルン

ケルンの街では、有名な大聖堂を見学しました。フィンランドで見た教会堂は現代建築でしたが、ケルンの大聖堂は石造で作られたゴシック様式の建物です。この様な高さの建物を、石を積むという工法で重機の全くない中世の時代にどの様にして建設したのか、人間の知恵というのは大したものだと感心しました。

ケルン大聖堂

フランクフルト

フランクフルトは、巨大な経済都市といった趣でした。ここでは歴史的建造物は見ずに、専ら新しいオフィスビルの街並みを見ていた記憶があります。


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