"イパネマの娘"の曲分析
"イパネマの娘"は、とてもポピュラーなボサノバの曲ですが、B Partのコード進行がとても特殊で、その部分の演奏が難しいと言われています。どういう理由でこの様なコードが使われているのか、何人かの先生に聞いてみましたが、納得した答えを得られませんでした。
ですので、僕が今のレベルでこの様な意図で作曲されたのではないかと考えていることを書いてみます。簡単なA Partから始めて、メロディーとコード進行をそれぞれ分析してみます。
【A Partのメロディー】
A Partのメロディーはとても単純な音の組み合わせでできています。ボサノバの裏拍にアクセントを入れるパターンに、この単純な音をはめるだけで大部分が理解できます。
初めにあるG/E/Dの音の繰り返しで、4小節の終わりまで進みます。短3度下がり、その後長2度下がり、そして4度上がる。この形を3回繰り返しています。音符の長さは微妙に異なっていますが、基本的な音程の動き方は同じです。
そして次に、トップノートを2度づつ下げるために、3度下がり、2度下がり、そのあと3度上がる形に少し変更しています。このパターンを2回繰り返してできたのが5小節と6小節です。音型が一緒ですね。
ですので、メロディーのガイドノートをG/G/G/G/F/Eとして、最後にCで収束させる。そのような大きな構成になっています。途中に出てくる音型は皆似ています。それで、このA Partのメロディーはとても覚えやすいのですね。
また、トップノートがコードに対して何度になっているかを分析すると、1小節目ではFmaj7に対してGなので9th、3小節目ではG7に対してGなのでroot、5小節目はGm7に対してFなので7th、6小節目ではG7に対してEなので13thになっています。
ですので、メロディーはコードトーンに対しては固定した位置になっていません。これは、コードが先にできたのではなく、メロディー先行型の作曲手法によるからだと考えています。
初めの音がトニックに対して9thになっている、そしてトップノートが2度づつ下がるガイドノートになっていると覚えていれば、後はメロディーを自然に演奏できます。
【A Partのコード進行】
A Partのコード進行は、これもとてもシンプルです。
キーがF Majorなので、1小節目はⅠM7、3小節目はⅡ7、5小節目はⅡm7、6小節目はⅡ♭7、7小節目はⅠM7とトニックに戻ってきます。8小節目はⅡ♭7なので、Alternative Dominantです。ⅠM7/Ⅱ7/Ⅱm7/Ⅱ♭7/ⅠM7という典型的なコード進行です。Ⅱ7がSecondary Dominanntになっていること、Ⅴ7の代わりにⅡ♭7が使われていることを覚えればそれで演奏できます。
ですので、A Partはメロディ、コード進行共にとてもシンプルで覚えやすい形になっています。
【B Partのメロディー】
さて、この曲の問題はB Partの解釈です。この曲の浮遊感のある明るい感じは、このB Partにあると感じるのですが、その秘密は何なのでしょう。
1小節目から12小節目まで
B Partの前半12小節は同じ音型を上行させて3回反復しています。1小節目はF音から始まっています。5小節目は短3度上がってG♯音、9小節目はさらに短2度上がってA音。これがガイドノートとなっています。
この基準となる音を中心に置いて、短2度上と長2度下の音をからませてフレーズをつくり、長3度下から、長2度上に動かして収束させる。Fで始まりEフラットで終わる、G♯で始まりF♯で終わる、Aで始まりGで終わるという風に同型のメロディーを反復しています。
そして、このメロディーにはA Partと異なった特徴があります。それは臨時記号がとても多いということです。A Partではシンプルな音型にスタンダードなコードをつけているので、メロディーに臨時記号が全く使われていません。コードの方では一部Ⅱ♭7というAlterd Dominantが使われていますが、メロディーには臨時記号は使われていません。それと比べるとB Partは臨時記号だらけです。
ですので、B Partは必然的にノンコードトーンを含む調性の外にあるコードをどのように使うのかが鍵になってきます。
13小節目から16小節目まで
13小節目から16小節目にかけては、第3の音型が現れます。僕はこの音型の特徴音は13小節目の1オクターブ下がるC音と14小節目の付点二分音符のG♯音、15小節目の1オクターブ下がるB♭音と16小節目の付点二分音符のF♯音と考えています。
13小節目のC音に行く前段としてA音とB音、そしてC音はAm7の短3度音になっています。このC音が1オクターブ跳躍して下がります。
そして、14小節目にこの曲のポイントとなる音使いが現れます。この長い付点二分音符の長さで演奏されるG♯は、D7♭9の増4度の位置になります。♯11thですね。僕は、これはLidian 7th Scaleの音使いだと考えているのですが、コードはD7♭9ととあるので、Altered Scaleなのかもしれません。ピアノで弾いてみると、どちらのスケールもフィットします。あえて言うと、Alterd Scaleの方がアウト感が強いと感じられます。
いずれにしろ、この♯11thの音がとても特徴的に使われています。
この音使いは、15小節目と16小節目にも全く同じ様に使われているので、この効果を狙っているのは明らかです。
15小節目のB♭音に行く前段としてA音、B♭音はGm7の短3度音になっています。このB♭音が1オクターブ跳躍して下がります。そして、付点二分音符の長さで演奏されるF♯は、C7♭9に対して増4度の位置になります。ですので、この音も♯11thです。
この♯11thを鳴らしたいというのがこの曲のB Partの肝なのだと僕は考えています。
因みに僕はこの♯11thの音は、3rdに対する9th note、長3度音の長2度上の音と理解して弾いています。ですので、長調のスケールに対する♯11th noteと解釈してLydian 7th Scaleを想定しています。
【B Partのコード進行】
A Partでは単純な下降型の音型に、とてもスタンダードなコードを当てはめていました。しかし、B Partはとても変則的なコード進行を行っていますので、それが何故そうなったのかを検討してみます。
B Partでは後半ではF Majorに近い音使いになっていくので、後ろの部分から分析を始めます。
13小節目から16小節目
まず、簡単に解ける13小節目から16小節目を検討します。
この部分はF Major Keyに対してⅢm7/Ⅵ7/Ⅱm7/Ⅴとなっています。いわゆる3/6/2/5ですね。この形でA PartのⅠM7に戻るのですから、典型的な進行です。このTurn Aroundに、7th Chordが使われている際に、特徴あるメロディーとして、♯11thが使われているというのが13小節目から16小節目までの特徴です。
9小節目から12小節目
B Partの1小節目から8小節目までは、メロディーにたくさんの臨時記号が使われているのですが、9小節目から12小節目まではメロディーに臨時記号が現れません。これは、1小節目から8小節目までは転調を繰り返し、9小節目から12小節目までは元のF Majorに近い調になっているのだと考えられます。
B Partの9小節目のメロディー音Aを鳴らすために選ばれているコードは、Aを9thとするGm7です。このコードはF MajorのキーではⅡm7になります。一般的に用いられるコードです。そして11小節目のメロディー音Gを鳴らすために、Gを3rdとするE♭7としています。これは度数で表すとⅦ♭7にあたり、僕はルートに解決するドミナントの一種類と考えています。
ですので、9小節目から12小節目にかけてはサブドミナント/ドミナントとなり、トニックへの進行を表しているのだと考えています。ただし、ここですぐにトニックにはいかず、途中に3/6/2/5を更にはさみ込み、その先でようやく解決する。Delayed Resolveの一種の様なものでしょうか。
また、Gm7のスケールはG Minor / B♭ Major 、♭2つの音階で、この曲のキーであるF Majorの下属調にあたります。非常に近い調です。
5小節目から8小節目
5小節目に使われているメロディー音はG♯です。それに対し、コードはF♯m7。G♯は9thの音です。7小節目はメロディーはF♯、コードはD7。F♯は3rdの音です。
このF♯m7とD7が現れてくる調は、F♯ Minor / A Major、♯が3つ使われている調です。
1小節目から4小節目
1小節目に使われているメロディーはFです。この音はF Majorにとっては主音で、普通であればとても安定感のある音なのですが、ここに用いられているコードがG♭M7の為、とても浮遊感のある響きになっています。
ここで、コードネームの表記に若干気になることがあります。それは、1小節目のコードはG♭M7と書いてあるのですが、5小節目はF♯m7と書いてあることです。この2つのコードは主音は同じで、メジャーコードかマイナーコードかの違いのはずです。しかし、一つはG♭でもう一つはF♯です。これは、使われている音は同じなのだけれども、使っている意図が異なっていることを示しているのだと考えています。
具体的にいうと、1小節目のG♭M7はFM7に対する半音上の音という意識なのだと考えています。一方5小節目のF♯mはA Major / F♯Minorなので♯を使った表記が自然です。
このコード進行は、逆にして使われることはよくあります。Ⅱ♭M7からⅠM7への進行です。Ⅱ♭M7はⅣmと同じ音を3つ含んでいるので、Sub Dominant Minorと見なすことができます。
そして、ここでは逆にⅠM7からⅡ♭M7にいっているということは、ⅠM7の音を全て半音あげてSuspendの効果を狙っているのだと考えられます。Tonicから半音上げたⅡ♭M7を使い、浮遊感のある効果を狙う。そのためにコードの記載はG♭になっているのでしょう。
3小節目はメロディー音としてE♭と書かれていますが、コードトーンはB7になっています。ここは、セオリーから行くと理屈があいません。B7であればメロディーはD♯と書くべきで、E♭が正しければコードはC♭7と書くべきでしょう。
この1小節目から4小節目までは、音階としてはG♭ Majorであり、♭を6つ使う音階で、F Majorから見ると♭5つ分離れており、転調としてはかなり遠い位置になります。
先に書いた様に、この音階で現れるB7は本来C♭7であり、そこにE♭の長3度音が鳴っているのでしょう。ただし、B7の方が演奏する際に直感的に分かりやすいので、コードとしてはB7と書かれ、メロディーがE♭と書かれるイレギュラーな状態になっているのだと理解しています。
【まとめ】
上の説明はかなり煩雑なので、下に簡単に要点をまとめておきます。
A Part
メロディーのガイドノートをG/F/E/Cとし、シンプルな反復音型を使ってメロディーを構成している。
コード進行は、ⅠM7/Ⅱ7/Ⅱm7/Ⅱ♭7/ⅠM7/Ⅱ♭7。一般的なⅡ/Ⅴ/Ⅰの進行のバリエーションと考えられる。
B Part
前半
メロディーのガイドノートをF/G♯/Aとし、反復音型を使ってメロディーを構成している。ここでは多くの調性外の音を使っている。
このメロディー音に対して、コードサウンドも転調させて対応している。G♭ Major / F♯ Minor / G Minorと転調している。そして、前の2つは同主調の関係にある。
最初に、トニックから半音あげたⅡ♭M7を使い、Suspendさせて浮遊感を得られるハーモニーにしてから、一旦同主短調に転調、その後短2度上に転調している。
後半
メロディーはC/B♭がガイドノートになっている。
メロディーの特徴音として、繰り返し♯11thを用いている。
コード進行は、Ⅲm7/Ⅵ7/Ⅱm7/Ⅴ7となっておりスタンダードな3/6/2/5進行、楽譜の上では7th♭9 Chordとなっているので、Altered Scaleを意図していると考えられる。
転調の整理
F Major / G♭ Major / F♯ Minor / G Minor / F Major(A Part は全てF Major)
音楽的な特徴を理解できると、転調する際の対応を考えやすいですね。こんな風なNon Chord ToneとDiatonic Chord以外のコードがたくさん現れる場合には特にそうです。
"イパネマの娘"の曲を音楽理論的に理解するために、こんな考察をまとめてみました。
(まさか、5000字を超えるとは思わなかった。)
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