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学生時代のヨーロッパ旅行(その二十八、ギリシャ)

ロンドンに着いてから半年、ようやく日本に戻る時がやってきました。最後の旅の目的地はアテネです。日程に余裕がなかったので、ギリシャで他の街に立ち寄る余裕はなく、イスタンブールから直接アテネに入りました。

アテネへの移動

イスタンブールからアテネへは、長距離バスを使いました。これは、今でも鉄道は通っていないようですね。
約1日の行程で、途中トルコとギリシャの国境を通ります。鉄道で国境を抜ける際には、車内でパスポートチェックがあり、大業なことにはならないのですが、バスの場合はいったん乗客全員がバスを降りて、事務所でパスポートチェックを受けます。アイルランド以降、交通手段が全て鉄道だったので、バスでの国境超えは新鮮でした。

アテネまでのバスルートは、山岳地帯を超えることが多く、途中に大きな都市も見ませんでした。ギリシャというのは、エーゲ海の海洋国家というイメージですが、この様な山ばかりの土地では、海に活路を見出すしかない国柄なのだろうと感じました。

アテネ

ギリシャには、エーゲ海のミコノス島とか海洋国家らしい観光スポットがありますが、ここまで来るのにすでに旅程は使い果たし、アテネで3泊するだけになってしまいました。

アテネでは、建築の学生なら誰でも見学するだろうアクロポリスの丘のパルテノン神殿に行きました。
建築史の勉強をすると、ヨーロッパの古典様式の柱にはドーリス式、イオニア式、コリント式の3つがあると学びます。パルテノン神殿はドーリス式のどっしりとした柱を使っています。
ヨーロッパでも東の外れの、このギリシャの土地で花開いた建築様式が、ルネサンス期を経てあらためてヨーロッパに伝わり、古典様式のファサードとして復活している。そして、遠く日本でさえも、その様式を模倣して建物をデザインしていたのだと考えると、歴史の連続性の不思議を感じました。

パルテノン神殿

アテネで感じたことは、西ヨーロッパ各地と比べての商業活動の質素さでした。イスタンブールでもこじんまりした様子はありましたが、それはアテネでも同じでした。高層ビルや地下鉄はなく、街の商業活動はもっぱら観光を基礎にしていたように伺えました。アテネはギリシャの首都ですから、首都でさえこのような状態であるというのは寂しいものだと思いました。

アクロポリスの丘の下の方では、たくさんのお土産屋さんがひしめき合っていました。ここでは大学の同級生や、設計事務所でお世話になった先輩たちにお土産を買い込みました。

最後のトラブル

今回のヨーロッパ旅行で最後の夜、もう明日は飛行機に乗るだけと気が緩んだことと、好奇心もあったのでしょう、観光街にあるパブに出かけました。
イタリアやスペインの友人達と夜の街に繰り出したことはありましたが、1人で出向くことはこの時が初めてでした。

客引きに呼ばれて、手元にある現金がなくなっても明日はなんとかなると入ってみました。大学生になっても、建築の課題に追われていた僕は、日本でもそのような場所に入ったことはなかったので、勝手も分からず、綺麗なお姉さんに勧められるままにお酒を注文していました。もちろん、彼女たちの分もです。日本のキャバレーと同じですね。
しかし、その様子を見かねてでしょう、お姉さんの一人が、もうそれくらいにして帰りなさいと、会計をしてくれました。金額はそこそこになっていましたが、手元の現金で支払える額でした。
全くの初体験で、同行してくれる友人もおらず、外国でこんな場所に行くものではないと、反省しました。

帰国して

アテネから日本への飛行機は、来る時と同じパキスタン航空便でした。来る時は好奇心いっぱいで、途中で降りた飛行場のことも全て記憶に残っていますが、帰りのフライトのことは全く覚えていません。疲れ果てていて、ずっと寝ていたのだと思います。

日本に戻ってからは、まず実家に戻り無事の帰国を報告しました。そして、半年間空けておいた東京の下宿先に戻りました。
その後休む間もなく、休学した残りの時間をアルバイトに充てました。出発前にアルバイトに行っていた設計事務所にまたお世話になり、半年間の旅行のことを先輩方に話したりしました。このアルバイト先、佐藤総合計画には、この20年後に就職することになります。とても縁のある設計事務所です。

翌年4月に、改めて大学4年生として大学に復帰しました。元の同級生は皆卒業してしまいましたが、一部大学院に残っている友達もいました。そして、新しい同級生と共に大学4年生の授業を受け、卒業設計に臨みました。

大学4年を終える時には、大学院に進むという選択もありましたが、僕はこのような形で半年のヨーロッパ旅行をさせてもらい、その資金は親に出してもらっていたので、まずこの借金を返さなければいけないと、すぐに就職することにしました。総額200万円ほど使っていたのですが、この時期の建築業界は非常に好況で、設計事務所の給料でも、2年ほどのボーナスを使えば返し切れたと記憶しています。

この半年間の旅行は、僕にとっては大学院に行くよりも余程有意義だったように思います。

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