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明清交代人物録

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台湾に関わりを持つようになってから、言葉の勉強を兼ねて中国語による台湾の歴史の本を読むようになりました。その中で特に興味を持ったのは歴史家曹永和氏の著作です。17世紀の台湾の歴史…
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#バタヴィア

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その十)

コイエットは最大限の努力をしてゼーランデイア城攻防戦に臨みましたが、衆寡敵せず鄭家軍に降…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その七)

長崎からバタヴィアに戻ったコイエットは、すぐにタイオワンに副長官として派遣されます。彼も…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その五)

1652年4月、コイエットは長崎オランダ商館長として再び任命されます。この時は、すでにタイオ…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その四)

1652年、オランダ東インド会社タイオワン商館における最大の漢民族反乱事件、郭懷一の乱がおこ…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その三)

コイエットは、バタヴィアに戻った後すぐにタイオワン商館に副長官として派遣されます。これは…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(そのニ)

コイエットは、1947年から1948年にかけて一度目の長崎オランダ商館勤務につきました。この初め…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その一)

フレデリック・コイエットの家系は、そもそも南ネーデルラントから出ています。資料にはブラバントと書かれており、これは確かめるとブリュッセルを囲む地域です。フランソワ・カロンの出身地と同じです。 この時代のヨーロッパはオランダとスペインの間の80年戦争の時代で、スペインはフランスからネーデルラントに攻め込んでいます。そして当時は金融の先進地帯であったブリュッセルが戦火にまみれることになり、ネーデルラントの商業の中心がアムステルダムに移ってしまう。その様な時代背景の元、スウェーデン

【明清交代人物録】フランソワ・カロン(その八)

フランソワ・カロン編の最後に、彼と少なからず共通点を持っている人物、フレデリック・コイエ…

【明清交代人物録】フランソワ・カロン(その七)

カロンは最晩年オランダ東インド会社を離れて、フランス東インド会社の設立に関わります。そし…

【明清交代人物録】フランソワ・カロン(その一)

仕事柄、複数の国或いは文化圏で、利害の調整のためにもがき続けた人物に興味があります。鄭芝…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その四)

ここで、僕がこの時代を捉えるにあたってマクロな視点で考えていることを書いてみます。それは…