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【提言】お金が唯一の価値ではないことを共通認識として持つことが成熟社会であることの証だと思う

解像度が高いミーティング

私たちの仕事というのは医療や介護における社会課題を解決しようとするもので、現時点においてはとびしま海道という狭い範囲で日々活動しています。この地域の人口は少なく高齢化率も高いので、人の転入や転出も頻繁にあるわけでもなく、そのため人々の顔ぶれはほぼ固定化されています。過疎地であれば至って普通の光景ですが、そこには顔の見える関係というものがあり、自然と人間関係が強くなっていきます。

このような地域で事業をしていると、一般的な介護事業者のミーティングで普通に話されているような、「今月は新規利用者を何人獲得した」とか「先月の売上はいくらだった」などのような数字前提の話はほぼ出てきません。それよりも、「あそこの家の◯◯さんが少し元気ないよね」とか「◯◯さんの息子さんが介護で大変らしいよ」などと、常に人が中心でミーティングが行われます。

もちろん、私たちが数字に対してまったく意識していないということではないのですが、顔の見える関係の中で暮らす私たちにとっては、「◯◯さんを元気にする」とか「◯◯さんを楽にする」ということがゴールであり、幸せであるので、数字が中心であるミーティングは行われないのです。あくまでも数字は結果でしかなく、元気になった人や楽になった人の積み重ねが数字として表れるだけという認識なのです。

お金以外の喜びがあるということ

そのようなことなので、私たちにとって売上をつくることとは、「どのくらいの頻度で何件の営業をするか」とか「効率良くどれだけ売るか」などではなく、「あの人に何をしたら喜んでもらえるか」がすべてなので目標とする数字がないのです。ですから、外部の方からたとえば「売上目標はいくらですか?」とか「どのくらいの期間で何人くらいのユーザーを獲得しますか?」など、定量的な指標を求められても非常に困ってしまいます。

外部の方がそういう数字を求める気持ちはよくわかるのですが、私は「そうなればいいよね」ぐらいにしか考えていません。簡単に言うとモノサシが異なるのです。もちろん、売上が伸びてくれるのであればそれに越したことはないのですが、とりあえず黒字で新しいことにも取り組めているのであれば、たまに売上が下がったところで別にどうでもいいともさえ思っています。私たちは、きれいな決算書を作ることを目的で活動してるわけではないですし、それで全然問題がないからです。

たとえ、もしどこかで赤字になったとしても、それが怠慢による結果ではなく、利用者や家族、地域、スタッフのために時間やお金を使ったなどの理由であれば、その赤字にも価値があると思っています。これは会社が成長しなくていいとか稼がなくていいとかそういう話ではなくて、常にお金という価値じゃなくても良いという意味です。

それは時として、家庭菜園で採れた野菜や果物かもしれませんし、或いは信頼や尊敬というかたちでお金以外の価値として生み出されているはずで、それらは定量的には出せず、決算書にも載らない項目なのですが、会社が社会の公器として長生きするために必要なものなのです。

成熟した社会をみんなで楽しみたい

お金は誰にとっても共通の価値であることは十分に承知しているのですが、そろそろ、そのモノサシ一つだけで判断するのはやめてほしいと思っています。そのような思考はあまりにも古臭く、多様性とは程遠いと考えるからです。それに私は、世間に見せるためだけに作る数字というのがどうにも胡散臭くて納得できないのです。当然、相手を説得するためには必要なのでしょうが、それで納得する方もどうなのかなと思ってしまいます(笑)

ソーシャルビジネスはお金になりにくいという側面がたしかにあります。だからと言って、お金を稼ぐことから逃げてはならないのは言うまでもありませんが、お金という指標だけを求められても困るのです。私たちは、行き過ぎたと考えるその資本主義ゲームをやっていないということに気付いてほしく、良い未来をつくりたいと考えるのであれば、お金以外の価値にも目を向けてほしいと願っています。

そのためにも、私たちは“私たちの価値観”をしっかりと発信することが必要であり、率先してやっていかなければならないと改めて認識する次第です。このnoteもその一つでありますが、日本人が多様な価値観を持ち、本当の成熟した社会になれるよう何度も繰り返し情報を発信していきたいです。

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