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創業ストーリー #1

はじめまして、深澤です。

私は、Nurse and Craftという会社の代表をやらせていただいています。

Nurse and Craftは、「『100年生きたら、おもしろかった』と誰もが言える世界の実現」をビジョンに掲げている広島県呉市にある会社で、医療・介護・ヘルスケアに企業ドメインを置いています。

ここでは、創業ストーリーをお話させていただきます。

私は、出身地の長野を30代前半で離れ、東京で働き、その後に縁もゆかりもない広島県に40歳でやってきました。しかも、瀬戸内海の真ん中に浮かぶ大崎下島という島です。

大崎下島は、呉市の下蒲刈島から今治市の岡村島を7つの橋で結ぶ「安芸灘とびしま海道」にある島です。この島は呉市に属し、人口約1,500人ほどの小さな島で、高齢化率は70%を超えます。

まちを歩けばお年寄りにしか出会えません。若者よりイノシシとの遭遇率の方が高いです(笑)

会社は2019年の8月に久比という地区に設立しました。「なぜ、その島で?」と思われるかもしれませんが、それは日本の介護問題を解決するためです。

前述の通り、長野県生まれの私は、高校生の頃からDJを始め、30歳辺りまでクラブやライブハウスで、その活動を行っていました。その間、国内外の多くのアーティストと一緒にステージをつくってこれたのは本当に良い経験でした。

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その中には有名なアーティストも多くいます。彼らの持つプロとしての自覚や責任感は非常に大きなもので、現在も彼らに尊敬の念を抱いています。

しかしながら、今でこそDJという職業は大金を稼げる職業の一つになりましたが、当時は趣味の延長線上でしかありませんでした。

ですから、生活していくために家業の仕事にも携わっていました。家業は機械部品や金型を作る仕事で、マシニングセンターや研磨加工などをやっていました。父親が社長で、兄と妹と従業員の方々で10名くらいのいわゆる町工場です。

当時、父親は糖尿病を患っており、リーマンショックがあった2008年くらいから徐々に病状は悪化していきました。また、リーマンショックは経営への影響も大きく、毎日ほとんど仕事がない状況に陥りました。

好況と不況は繰り返しますが、それは、私が自身の未来を考えるにあたって大きな影響を及ぼしました。いずれ来る父親の介護と海外に仕事が流れていく状況で、このまま家族で仕事をしていくことに大きな危機感を感じていたからです。

このとき、兄妹がいたことで私は決断できました。「自分は外へ出て挑戦しよう」とそう考えたのです。そして、当時の介護業界は成長を期待されていたこともあり、そこで何か起業のタネを見つけようと思いました。

しかしながら、オムツ交換や入浴介助、デイサービスでお年寄りと会話をすることなどは、自分の性格には合わないなと思いました。加えて、起業を目的にゼロから始めるのであれば、ネットワークを広げられる仕事でないとむずかしいなと感じたわけです。

そこで探した結果、営業ができる福祉用具専門相談員という資格を見つけました。これはケアマネジャーから依頼を受けて、車椅子や介護ベッドなどを利用者に貸し出す仕事です。

(たしか、)資格も5日間の講習を受ければ取得できるものでした。しかも、就職先も講習を受けている間に運よく見つけることができました。人手不足で困っていた介護ショップの経営者の方が講習場所まで来ていたのです。

20代をDJとものづくりで過ごしていた私ですが、このように介護業界へと転身を図ったのです。​

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