社会人1年目の苦悩

さて、今回はマイストーリーの社会人編の話をしようと思います。過去を振り返ると誰もが壮絶だった日々を過ごしていると思います。私もそのひとりです。人それぞれ、壮絶さは違っても、その時大変だった気持ちは同じでしょう。

と、長くなりそうなので、早速マイストーリー社会人編のお話に入っていこうと思います。

◆うつ病発症前の4重苦

2008年4月から新入社員として機械メーカーに入社した私。研修施設がある群馬県で1ヶ月間、合同研修を行い、5月に配属された場所は横浜でした。職種は冷蔵設備を扱う営業マン。

それまで実家から通える範囲の高校、大学に通っていた私は、初めて一人暮らしをすることになります。一人暮らしが楽しみ! 地元を離れるのが嫌!など、特別な思いがあったわけではなかったのですが、仕事と生活のバランスがなかなか取れず、精神面に少しずつ影響が出始めました。

それは「初めての一人暮らし」「初めての就職」「初めての環境」「知り合い、友人など周りに頼れる人がいない」の4重苦が私の心に不安を押し寄せることになったのです。自分でもまったく気にしていなかったのですが、見えないストレスは、しっかりと私の心を蝕んでいったのです。

◆うつ病の初期症状

その兆候は少しずつ体の異変として現れ始めました。精神的な影響から自律神経が乱れ、体が萎縮し食事が喉を通らなくなったのです。中学校の頃から会食恐怖症と戦ってきた私ですが、ここでも一番に症状が現れ始めたのが食事でした。

また早朝覚醒の睡眠障害になり、毎朝4時頃目が覚め、そこから眠れなくなりました。うつ病の初期症状です。週末は街中へ出ていこうと外出するのですが、歩いているだけで涙がこぼれてきて、人前では涙を必死に堪える。

このような明らかにおかしいと思う症状が体に現れ、毎日が苦痛で日常生活に支障をきたすようになったのです。その原因は先にお話しした4重苦もありますが、仕事もアポなし訪問を繰り返すという、また精神を削られる内容で疲弊しきっていたのです。

仕事中もうつ病、心療内科、精神科などのワードで検索し、すぐにでも病院に駆け込み、この苦しい日々を一日でも早く脱したいと思う時間を過ごしていました。最終的には、通院するまでには至らなかったのですが、通院していたらおそらくうつ病と診断されていたでしょう。

◆救いと消失

この時、私の救いとなったのは、高校時代の野球部の先輩でした。その先輩も同じ営業マンとして働き、飛び込み営業を繰り返していたので、心がズタボロになっていたのです。同じ境遇となった先輩と私は、毎日連絡を取り合い、苦しみを共有することで、何とか心の平安を保つことができていました。

私の配属は、人員増の配属ではなく、人が足りていない支店への人員補充として行われていました。それがきっかけで、人が足りないとの理由でOJTとの名ばかり研修を3週間程受けた後、すぐに担当をもたされ、何も分からぬまま6月からは大手企業のメイン担当をさせられていたのです。

お客様からは怒られ、商品知識がないことで呆れられ、問合せの回答が間違っていたことで上司にクレームを入れられるなど、自分の能力不足から周りに大きな迷惑をかけてしまうことが続いていました。その結果、担当していたお客様の売上は下がっていき、重要案件は相談すら来なくなってしまったのです。

◆お盆休みが終わる前に世界が滅びて欲しかった

商品知識がないことから営業先にいってもまともな話ができない私は、営業マンでありながら社内にいることが多くなっていきました。すると忙しくしている社内の先輩から、こんなことを言われたのです。「営業マンだったら自分で仕事を取ってこい。仕事をしたかったら自分で取ってくるんだよ。」

まだ就職して3ヶ月の若者には厳しい言葉でした。それでも「ここで辞めてもなにも残らない」と思い、辛い営業活動を歯を食いしばりながら、苦しい日々は時間が解決してくれると思い、日々を過ごしていったのです。

それでもお盆休みの時期になると「お盆休みが終わる前に、世界が滅びてくれないかな」と思うぐらい、仕事が再開するのを嫌がっていました。ところが不思議なことに半年ほど経つと、あれだけ苦しかった仕事や生活に慣れている自分がいたのです。

ここから少しずつ私の考えは前向きになっていきました。


**ーーー次回ーーー

逆襲の2年目**


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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#初めての就職 #心療内科

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