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久米さんから学ぶ、コロナ時代の雑談力。

「線状降雨帯」でしょうか。ずっと雨が止まないところがあるかと思うと、ひと山超えたところは、そんなに降っていなかったりします。朝倉(福岡)の水害のときも、そうでしたね。ちょうどお寺の境内から見える、古処山の反対側が朝倉で、その時はお寺の隣町にいましたが、そう降ってませんでした。まさか山の向こう側があんなに降って大変なことになってしまっていたとは、ほんとにびっくりしました。
上の写真は、ヤマモモ。近所の直売所で見つけました。早速ジャムにしました・・・最近なぜかジャム作りにハマりまして・・・何年前でしょうか、糸井重里さんが、よなよなジャムを作って。。。というのを、ほぼ日で読んで、おじさんがジャム?なんて思ってましたが、おじさんだからこそハマる世界が、ジャムにはありました。その話は、また今度。

自宅にあった仏教書を、お寺の方に移動させて、久しぶりに自宅の書庫を片付けはじめました。「はじめた」のはいいのですが、いろいろ出てきて、その都度止まって、いつ終わるのかわからないような状態です。何度も引っ越しをしてるので、そんなに古いものが出てくるわけではないだろうと思ってましたら、運ぶ際にとりあえず箱に詰めて、引っ越してとりあえず棚にしまい込んだものがたくさん見つかります。
その中に、昔のメモ書きが見つかりました。ちょうど20年前の、打ち合わせのメモ書きでした。2000年の今頃、まだ28歳。当時大阪の学校法人に勤めていて、ルーティーンの仕事に辟易していた頃です。学生時代は、音楽番組の構成なんかをしていたので、またメディアの仕事に戻って、面白いことをしたいなぁと思うも、もうマスメディアじゃないよね、ということで、個人でウェブの仕事をちょこちょこ受けていた時期です。
出てきたメモ書きは、ラジオの構成時代の先輩と、これからの「おもろい番組」ってなんやろ?というお題で話をした際のものでした。
・一般人の家庭に、カメラを1台設置。
・双方向でやり取りができる。
・番組は、8〜16分割で、ただそれだけを延々と流す。
これって、今のZOOMですよね!自分でそんなことを言ってたのに、思わず笑ったというか・・・要は、誰でもいろんなことは考えるけど、あとはやる(しくみをつくる)か、やらない(酒場の与太話)か、ということですね。こんなタイミングで、こういうメモ書きが出てくるのは、意味があるのかないのか、よくわかりませんが、これからお寺でやりたいと思っていることも、20年前、そしてカミさんと結婚した10年前から言ってたことですので・・・そう、あとはぼくがやるか、やらないか、ということですね。

コロナ前後で感じることは、テレビが完全に「終わった」コンテンツになり、ラジオが「終わりはじめた」ことです。久米宏さんが永年されていた番組が、今日最終回ですが、久米さんはやめる理由を「老化」とおっしゃってますが、久米さんの老化ではなく、ホントはラジオというコンテンツそのものが「老化」しているのではないか?なんて思うわけです。一昨日、その久米さんが、伊集院光さんの番組にゲスト出演していたのを聴いたのですが、その中で「民放もタダではない。スポンサーがお金を払っているわけで、それはグルっと回って、視聴者が払っているということ。それをずっと大事にしてきた。」ということをお話されてました。この「しくみ」が、「老化」したということではないでしょうか?福岡に越して、一時期、新聞とテレビの仕事に関わりましたが、ぼくが20代の頃、現場にいたときと全く変わってないんですね。技術的にはデジタルになって、変わったのは機材だけ。でも番組の作り方も、出ている人も変わっていない。。。仕方ないんでしょうね。
久米さん自身は、「久米*ネット」という動画配信を昨年スタートされて、事務所のデスクで、1カメでお話をされているのを流されています。

ご本人は、「愚痴」なんておっしゃってましたが、これって、新しい「コンテンツ」の領域ですね。落語のまくらでもなく、ラジオのフリートークでもなく(映像がありますから)・・・あえて言うならば、「雑談」かと。もうちょっとかっこよく言うならば、「エスプリ」・・・批評精神に富んだ軽妙洒脱で辛辣な言葉を当意即妙に述べる才、ですね。数日かけて、全部みました。ラジオでおっしゃっていた「スポンサー」がいないわけですから、気にせず言いたいことが言える、それも直接的表現ではなくて、言葉の妙というか、「なるほどね。」と思える文脈。しかも「雑談」ぽいのがいいですね。映像をみて思って、もう一つ気がついたことは、久米さんって、令和の「永六輔」さんだ、ということ。もともと永さんの番組のレポーターから、アナウンサーの仕事をスタートされたということもあるのだと(勝手に)思ったりしますが、話し方、間のとり方が、「男のおばさん」ですもんね。久米さんご本人も、コンテンツの中で「井戸はないけど井戸端的な」ということをおっしゃってますね。

じゃあ、ぼくはなんかするん?ということなんですが、Facebookは、ぼくの死活状況と、まちなかに住んでいる友人知人向けに、田舎暮らしの日々をお伝えすることに使ってますが、10年も使ってると、飽きてきたというか。。。Twitterもたまに「つぶやい」てはいますが、前とはちがって、なんかギスギスした場所になってますし。。。海と里山の2ヶ所の田舎から、なんか笑える「雑談」ができれば?なんて思ったりもしてます。お坊さんがYouTuberというのも、なんか違うんですね。そうじゃなくて、どうでもよくて、どうでもよくない日常のことを、「・・・だよね。」って思える「雑談」というか、ぼくが思えることを、ネット配信でできると、里山のお寺も、海沿いの古民家も、両方の暮らしの中のおもしろいことが、同じように面白いと感じてくださる方、なにか面白いものを探されている方とつながることができるのかも?なんて考えてます。

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