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黙戦する、感情を込めずに見る人ほど文句をつける

ことが大好きだ。

特に福岡という街はそういう傾向が強いから文化が根付かない。

福岡以外の街だったら良くも悪くも色んな感情を込めて
いろんなものを見る、そして「人には色んな人がいる」と
お互いがお互いを尊重している。

お互いがお互いを尊重しているから同じ方向を向いて
感情を揃えることができる。
それが羨ましいなぁと思う時がある。

けれども福岡という街は自らの自己陶酔欲を満たすため
目の前の出来事に対して感情を乗せず黙って見ているけれど、
目の前の出来事である他者の成果物やパフォーマンスを
せっせとジャッジして5ちゃんねるやツイッターを始めとした
わたしの預かり知らない影の部分でコソコソと悪口を言っている
人があまりにも多すぎる。

これにセンサリーな大人が混ざっちゃうと行きたい気持ちが失せて
観客は消えてなくなり、興行は集客に悩んでしまうということのからくり。

バスケの風神雷神だったらブースト行為をしようと思ったら
前の気味悪い客が(以下略、そういう事があって以来
「うるさい」と言われることが嫌になって、メガホンを持っていくことを
しなくなった。

そんなことをふと思い出したら、この時期行われていた
福岡演劇フェスティバルの終わり方と同じじゃないかという記憶が蘇る。

「面白い」と思える、「面白い」と感じることができる人たちが
集まって楽しくやっているところにセンサリーな大人や
自己陶酔欲を満たしたい気狂いが群れて集まって、他人の成果物や
パフォーマンスをせっせとジャッジして「気に入らない・つまらない」と
ごみやうんこを投げつけるように興行やイベントにぶつける。

そういうふうに汚れたものの後始末やら何やらに労力は奪われて
客はその興行やイベントから逃げる、主催者は疲弊する、
こういう悪循環で潰れたイベントや興行が福岡はあまりにも多すぎる。

サッカーの蜂さんやバスケの風神雷神さんもそういう観客席のせめぎあいが
あるから、あと公共交通機関の脆弱性で思うように伸びないのもこういう事があるのでは、という仮説を立ててしまう。

そして、自己陶酔欲を満たしたい気狂いは盛り上げようと考えている人を
名指しで攻撃して「お前みたいに人生落ちぶれたくない」と
人格攻撃まで始めやがる。
・・・俺そんなに人生落ちぶれてないっすよ、落ちぶれているのは
あなたの人生そのものじゃないんですか、ともいいたかったが
自分の人生がジャッジされた恐怖で感情が凍りついてしまった。

それからだよ、人間不信になり物騒な言葉を使い、
自分で自分の身を守ろうとしたのは。
やり方自体は良くないことはよくわかっている。

こういう事があったから風神雷神のプレーオフ行く気がしなかった。

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