見出し画像

永井荷風の粋について

一枚の写真がある。いつの写真だろう?浅草のロック座の踊り子たちと永井荷風 女性たちの屈託のない笑顔が 荷風と彼女たちとの関係性を表している。慶應大学の先生をやりながら 色街に通う日々はさぞかし楽しかったろう。遊郭は、今の僕らには想像もつかない濃密な艶(エロス)があったに違いない。そこでかっこよく遊べたら、家を捨ててもいいか、と思えるくらい魅力的な世界だっだんだろう。粋な大人が遊郭で遊びの作法を学んだ時代であった。永井荷風(1879-1959)は、1958年の売春防止法施行の翌年に亡くなった。向島花柳界の赤線地帯か舞台とし、小説家と娼婦の恋を描いたりした。「俺の時代は終わった」と観念したのだろうか。もともと荷風は女遊びの激しかったらしい。良家の娘と結婚したが、女遊びをやめられず一年程で離婚とはいやはやさすが生粋の不良少年。
その後、麹町の芸者・歌と馴染みになりふたりで遊郭を営んだらしい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?