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世界の終わりと刺繍アート

世界の終わりと刺繍アート

【はじめに】
本論は、目黒区美術館で2024年4月20日(土)~6月9日(日)に開催された、青山悟の展覧会「刺繍少年フォーエバー」を観た、彼の友人であり詩人である磯﨑寛也の書き下ろしである。その3ヶ月後に森美術館でルイーズ・ブルジョア展があり、二人がフェミニズムとテキスタイルによる表現という共通項があり、蓮舫が都知事を落選し、自民党と公明党が大敗した衆議院選挙があり、アメリカの大統領選挙があり、フェミニズムに関して言えば、確かにポストフェミニズムの時代が訪れたのかな、と思いつつ、それより何より世界の終わりについて考えた方がいいのかも知れない、青山悟はとっくに見越して、今は体を鍛えているじゃあないか、ルイーズ・ブルジョアは死んでいるし、などもやもや考えながら書いた文章です。わたしは、アートは、考えるきっかけを与えてくれるものと定義しており、その課題が深淵であればあるほど良いアートだ、と考えると、青山悟の展覧会「刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるんでしょうか」は私にとって、極めて重要な体験だったと最初申し上げて、本論に入ります。

青山悟/Satoru Aoyamaは、1973年東京都生まれ。1998年、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ テキスタイルアート科卒業。2001年、シカゴ美術館付属美術大学大学院 ファイバー&マテリアルスタディーズ科修了。ロンドンでフェミニズムテキスタイルを学んだ彼が経験したのは徹底的なマイノリティの痛みだった。男性フェミニストの刺繍による社会風刺の作風は、時間をかけて理解され、名実ともに日本を代表する現代アートの作家として認められた。

〈contents〉
⑴palliative 
⑵rétro nostalghia
⑶フェミニズムと青山悟
⑷作品について
⑸ルイーズ・ブルジョアと青山悟


⑴【palliative 】
世界中が、希望を失っている。混迷と苦痛の時代である。人々はできるだけ痛みを減らそうと考えている。アートにもそれが求められている。青山のアプローチは、謂わば世界の臨終に向けた緩和ケアである。私はそれをpalliative  artと呼ぶことにした。palliativeは軽減を意味する英単語で、医療においては、瀕死の患者やその家族の絶望を救済する意味で使われる。
 
「青山悟 刺繍少年フォーエバー」は4月20日から
6月9日まで、目黒区美術館で開催された。副題に「永遠なんてあるんでしょうか?」とあり、自問自答の形になっている。「永遠なんてない」と言い切るよりずっとpalliative的である。
 


青山自身は刺繍少年というタイトルについて、50過ぎたおっさんがと、やや自嘲的に話していたが、少年という言葉もpalliative的である。
20年前に彼の出身校である英ロンドン大ゴールドスミスカレッジの恩師がキュレーションした展覧会「Boys Who Sew」に由来するらしい。この展覧会は青山のアーティストデビューであり、アジア系の男が、孤独に白人女性フェミニストの中で頑張ってきたご褒美であった。
 
青山は、ゴールドスミスのテキスタイル科を卒業しているが、その学科は、フェミニズムアートを確立させるために立ち上がった政治的な傾向の強いアート部門である。青山は、その学科の学生たちの中ではマイノリティのマイノリティだった。この何重もの枷を自ら進んで引き受けたユニークさが、彼のアーティストとして生きる道を開いたのだから、人の運命というのは不思議だ。このあたりも何気にpalliative的である
 
青山が入学した頃の、欧米では、男性中心のアート業界に、「刺繍や織物や編み物」などがアートとして評価されてこなかったことへの抗議が吹き荒れていた。青山はフェミニズムの洗礼を受け、白人女性の考え方を持った有色人種の男としてシカゴに渡り、学問的な達成を成し遂げる。シカゴは、フェミニスト・アートという言葉が誕生した場所。アメリカで初めてのフェミニスト美術教育プログラムを確立したジュディ・シカゴの出身地である。であれば、青山はバリバリのリベラル派、かつ反資本主義のはずである。彼が信奉するアーツ・アンド・クラフト運動の提唱者のウィリアム・モリスは、マルクスが資本論を発表した同時期にロンドンにいて、熱心なマルクス主義者であった。しかし、青山はそんなことはおくびにも出さない。政治的な主張は、時に人を傷つける。実にpalliativeな態度である。
 


⑵【rétro nostalghia】
rétro nostalgiaは、古いものを良いと思う、その感覚をまた時間が経って懐かしいと思う、二重性を表している。曖昧な記憶と自分なりの勝手な解釈に特徴がある。例えばそれは、私たちが今、川端康成の『古都』を読んだときに感じる気分に近い。青山が、バブルが崩壊し、経済がボロボロ、アートもズタボロの日本になぜ帰ってこようと思ったのか。その答えを、青山の美意識の根っこのrétro nostalghiaに見る。
 
青山は、2000年代初頭に工業用ミシンによる刺繍で友人や家族といった身近な人々のポートレートや、身の回りの風景を制作し、注目を浴びた。その頃、フェミニズムは第四波に移行し、個人の問題から社会問題をあぶり出すことが主流になっていたので、彼のアプローチはフェミニズムの文脈に乗っていた。このポートレートというのも、rétro nostalgiaである。
 
青山は作品について最低限の説明しかしない。あとは観る人の想像力に委ねられる。青山はきっとこう言いたいのだ。「問題から目を背けてはならない。できることは限られていても、あきらめてはいけない。構造的な問題を知るのは苦しいが、忘れないようにする努力は大切だ」
さて「刺繍少年フォーエバー」の副題に「永遠なんてあるのでしょうか」という問いがある※3この言葉は、刺繍というフラジャイルなメディアに対する、彼自身の立ち位置を示している。テキスタイルはクラフトと同様、長い間、アート表現としては認められてこなかった。20世紀中頃まで、絵画と彫刻が純粋な視覚芸術であり、生活用品や大衆文化は芸術ではないとされてきた。フェミニズムは、その特権を破壊し、アートの表現方法の拡張を行った。「永遠」の概念は、プラトンのイデア論に基づく本質的なものだ。それに対する素朴な疑問は、青山自身の立っている場の否定でもある。しかし、彼は無邪気で楽しげである。まさにpalliative的である。
 


⑶【フェミニズムと青山悟】
ここでフェミニズム運動の歴史について軽くおさらいしておこう。フェミニズムは1960年代から女性の参政権をはじめとした様々な権利の不平等、搾取や差別の問題が主要テーマだったが、ウーマン・リブによって、法整備が進み、男女の平等は大幅に前進した。1980年代に入ると社会構造的に是正が必要という考え方から、ジェンダーの問題を越え、ポスト植民主義やセクシュアル・マイノリティの権利、多文化主義などへと広がっていき、あらゆる差別を無くす運動となり、現代アートとしても欠かせない要素となる。現代のフェミニズム運動は第四波と呼ばれ、様々な理不尽へ焦点が当てられた。その行き過ぎた魔女狩り的な風潮に対する疑問も出始めている。今はSNSによって言説はあっという間に拡散する。2017年のハーヴェイ・ワインスタインに対する告発とそれに続く「ワインスタイン効果」「#MeToo運動」などは記憶に新しい。
2024年はその転換点にあたる年と考える。その証拠に様々な場所で過去のフェミニズムを総括する展示が行われている。それは、フェミニズムアートの黄昏のように見える。
 
青山悟は自分が一アーティストとして誠実であるために常に自分の立ち位置を考えている。まず、rétro nostalgia、二重の懐古性のフィルターによって、問題意識から生じる痛みはかなり緩和されている。それは、大衆音楽で言えばLo-fi的な要素である。palliative はchill的である。しかし、「癒し」というにはあまりに社会的であり、切実でもある。
 
 展覧会の開催前に、青山は地元の小学校、目黒区立五本木小に出前授業に赴き、児童らと共同制作した。また、展覧会会期中、入り口脇のミシンで、青山はずっと仕事をしていた。観客はそこで青山と話すことができた。地域と関わることが、アーティストにとって大切なことであると青山は訴えている。子供のような感性で痛みを軽減する態度は、周囲に伝染する。そこを入り口にして、青山は、複雑で解決不可能と思われる諸問題をできるだけ噛み砕いて表現し、観る人の記憶に残るような努力をする。
 
搾取、景気変動、失業、領土、民族、伝染病、資本主義批判などは厄介な問題である。しかも解決の糸口すら見つからない。そんな、絶望的な世相に対して、青山は、まず現実を知ろう、とソフトに打ち出す。見るべきものを見ようと。その価値観の源は、イギリスで、テキスタイルアートを学んだ時に、影響を受けたウィリアム・モリスとマルクスからではないか。
青山は、こう言う。
 
「夕焼け空から、浮かんでは消える国境線、福沢諭吉、タバコの吸い殻、絵画、そして美術館それ自体まで、ミシンで表現してきたこれらのモチーフは、すべては社会の変化の中で、消えゆくもの、見えざるものへと視線を促すものでもあります。
 


⑷【作品について】
 「News From Nowhere(Labour Day)」※1は、19世紀に米ニューヨークで行われた「労働者の日」のパレードを描いた絵をシルクスクリーンにプリントし、その上にデモの旗などを刺繡している。
中央の旗に記された「GIVE MORE APPRAISAL FOR ARTISTS’ LABOUR!(芸術家にもっと評価を)」のスローガンは青山自身の声だろうか。まさにrétro nostalgia かつpalliativeな表現である。
 


「アーティストは賃金の安い労働力として搾取されている。アーティストに組合を!社会保険と最低賃金を守る法律を」と政府に抗議するのとは全然違う。
 

 「N氏の吸い殻」※2は、アトリエの隣にある町工場が破産し、夜逃げした経営者の最後の吸い殻を、青山さんが拾って刺繡にした作品だ。私の実家も、茨城県日立市で日立製作所の下請けをしていたからよくわかる。昭和の日本の製造業の産業構造は学歴エリートを頂点とした搾取構造であった。大多数の低賃金層を、エリートがコントロールする社会。中小製造業はいわば奴隷である。もし青山が
「下請けは大企業の奴隷じゃない。日本の中小製造業は搾取されている。破産する町工場に救済措置を!」
とスローガンの書かれた旗を刺繍したらどうだろう。それはpalliative的ではない。


N氏がどんな人生を歩んできたかはわからないが、青山氏がビデオカメラで撮った工場内に並んでいる機械設備を見ると、そこが機械加工の職人の集まりであったことがわかる。彼らは、会社を信じ、自分たちの技能だけを磨き、その技能が自動機械に取って代わられた瞬間に職を失った。おそらく経営者は、大企業の仕事を請けるために、多額の借金をし、社員に給料を払うために、身銭さえ切った挙げ句、借金の保証人として破産した。最後は家族を守るために戸籍さえ捨てる。こうした経済発展の陰で、社会的に隠蔽された数多くの悲劇を象徴しているのが、このタバコの吸い殻なのだ。この作品はこうした想像の入り口として極めて雄弁であり、しかもそこに漂う雰囲気はrétro nostalgiaである。日本の抱える産業構造の闇をアートとして昇華させた青山のイロニカルな表現は本当に素晴らしい。
 
もっと言えば、たばこには、関節喫煙の問題があり、その生産地である発展途上国における、子供達の労働搾取の問題がある。加えてそのフィルターは環境汚染そのものである。タバコの吸い殻一本から、搾取構造の縮図が見えてくる。



ウィリアム・モリス『民衆の芸術』の一節「芸術への感受性を持つ合理的な人は機械を使用しなくなるだろう」が書かれた岩波文庫の作品は、岩波文庫に象徴される絶滅しつつある教養と社会主義を抱き合わせて表現している。※4 rétro nostalgia の真骨頂の作品である。
また、蓄光の刺繍糸で国境が仕込まれていて、暗いところでは国境が浮かび上がる作品Map of the World (Dedicated to Unknown Embroiderers) 2014年※5は、可視化された断絶を表現している。世界地図も蛍光塗料もrétro nostalgiaである。懐かしく、楽しく、考えさせれる。
 


⑸【ルイーズ・ブルジョアと青山悟】
青山展の3ヶ月後から森美術館で始まったルイーズ・ブルジョア展は、20世紀の初めにフランス生まれたアメリカ人がフェミニズムとどう関わったのか、という視点で見ることができた。まさに「個人の問題は社会の問題である」というフェミニズム第二派のスローガンを地でいく。男権社会批判を作品制作のモチーフとしながら、歪んだ人間関係や、目に見えない搾取構造を一貫して表現し続けた。彼女の裕福な家は、タペストリーの修復をしていた。父に虐げられる母のシンボルがボロボロの布である。ソルボンヌで数学と哲学をおさめた頭のいい彼女は、作品の背景も影響も何も語らない。フェミニズムの先駆者として認められたのは1982年のMOMAの回顧展である。
 
青山の爽やかでソフトなアプローチに比べ、ブルジョアはいささかデモーニッシュで衝撃的である。
私は、この二つの展覧会は、フェミニズム運動の日本における総括と、考えている。フェミニズムはとうとう歴史になったのだ。同時期に東京国立近代美術館で「フェミニズムと映像表現」が開催され、テート・ブリテンではイギリス初のフェミニズムアートの展覧会が開催されたことは偶然ではないと思う。青山は、永遠に少年でいることを宣言し、世界の終わりに備えている。さて、私たちはどうしたらいいのか。
 
 
 
 
 
 
※ルイーズ・ブルジョワ
1911年、パリに生まれた。生家がタペストリーの工場であった。ソルボンヌ大学で数学と哲学を専攻、1938年に美術批評家ロバート・ゴールドウォーターと結婚し、ニューヨークに移住する。絵画や彫刻、インスタレーションなど多岐にわたる才能を開花させた。はじめて個展が開かれたのは1982年のニューヨーク近代美術館の回顧展だった。作品は、ジェンダーやフェミニズムの視点で再評価され今に至る。六本木ヒルズにもある蜘蛛の彫刻「ママン」が彼女のアイコン。
 

 


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