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Ultra Trail Angkor に参加してきた。 後編

30kmのエイドを超えるともう涼しさはなくなっていた。PM2.5のおかげで直射日光が遮られて若干昨年よりは暑さが和らいでいる気がする。
ここから20kmは日陰が少なく、暑い時間帯にぶつかるパートだ。昨年熱中症でやられたのもここなので、体力的には余裕を感じるものの、ゆっくりゆっくり進めることにする。ザッザッザツ

ほどなく池が見えてくる。東バライという遺跡かと思ったが、アンコリアン貯水池というところらしい。日陰を探しながら走る。日なたと日陰の体感温度がかなり変わる。残り100kmを切っているとはいえ、まだまだ先は長い。

この池の脇を一路西に向かう。ここでジェルを食べる。2019年まではこの前の30kmエイドにパンやら麺やらの食事が結構あった覚えがある。それを頼りにしてきたのに、30kmエイドもみかんやバナナなどの果物にアクエリアス+水という最低限のエイドだった。こういうところでちょっとずつ精神が削られる。ジェルはいつかの大会の参加賞でもらったトリプルベリーだった。ひどくまずいので水で流しこんだ。足は軽く体調もいいが、キロ8分~9分くらいのゆっくりペースで刻んだ。

8kmくらい進めると次のエイド。何度か一緒にトレイルを走っているカンボジア人ランナーが追いついてきたので、一緒に写真撮影。

彼らはエイドでは休まずにすぐに行ってしまう。僕もまもなく出る。昨年はここでボランティアの学生さんと写真を撮った。大会を主催しているNPOから英語を教えてもらっているとかで英語がたいへんに流暢な女の子だった。

昨年の写真。何度アップロードしても横向きになるw

今年はこのNPOからのヘルプが全然ない。さすがに暑いので今年からやめたのだろうか。その分地元の住民を雇ってると思われる。ホスピタリティは去年に比べるとだいぶん落ちる。やらされ仕事をやってる感じだ。言葉は通じないけど、感じるものがある。仕事の魂は細部に宿るものだ。

ここのエイドも同じく質素。この先も同じような感じだろうか。ジェルを食べて30分くらいだったので、空腹は感じないものの、今夜も同じようなエイドだと考えると気が重い。

エイドをでたら、遺跡を3/4周してもと来た道を戻る。戻るときにスタッフが追いかけてきて「きみこっちのコースじゃないよ!もどって!」という。
時計でルートを見ても間違っていない。「いやいや間違っていないよ。よく確認してよ」と伝えても「いいから戻って!」とつれない返事だ。仕方なく引き返すも500mくらい戻ったところで「やっぱりさっきので合ってた!ごめんごめん!」とスタッフが戻ってきた。1kmのロス。ただでさえエイドしょぼいんだから邪魔すんじゃねーよ。と心の中で悪態をつく。

ほどなく丸岡さんが後ろから追いついてきた。一緒に歩く。キロ10分くらいのゆっくりペース。丸岡さんは「一番うしろからスタートしてゆっくりきた」と、ストックを2本つきながら歩いてきた。「スタート直後はみんな走るんだね、最初歩いてるの俺だけだから笑っちゃったよ」とマイペースだ。「とにかく暑い今は飛ばさないほうがいいすね」と話し、丸岡さんと一緒に歩くことにした。

3,4kmくらい歩いたあとに田んぼに出る。ここからは周りに木がないため一切日陰がない。1km弱田んぼを北上し、左折。あぜ道を西にひたすらルートをとる。もうむちゃくちゃに暑い。気温はおよそ摂氏30度。湿度は高くないので、日陰に入っていればさほど暑さを感じない。でも時間は10時を過ぎ、太陽が登って太陽光が刺すように痛い。ひなたのジョグは相当に暑さを感じる。田んぼですこしジョグをした僕らも「もうジョグはやめましょう」とあぜ道に出るとゆっくり歩くことにした。


↑あぜ道にて

ウルトラトレイルアンコールのスタート地点にもなっているアンコール遺跡のエリアは木が生い茂って日陰も多い。土壌の水分が多いのかもしれない。土壌に水分を貯められるから、砂地にならず地盤が安定し、結果として遺跡が長期間保存されることができた、と聞いたことがある。その遺跡のエリアはこの西に伸びるあぜ道の先だ。アンコール遺跡の本丸、アンコールワットもこのエリアにある。後ろも森に囲まれているので、このエリアは森に囲まれた盆地にいるような気分になる。後ろを見るとさっき登った山はスモッグの彼方に霞んできていた。3回目にもなれば、地形や地図が頭に入っているので、地形の移り変わりを楽しめる。面白い。

あぜ道を抜けて、また田舎道に入る。40kmをすぎる。昨年足が止まったあたりだ。今回は足が軽い。頭もクラクラしない。丸岡さんと雑談がはかどる。丸岡さんは元ノンプロで野球をしてきた野球エリートだ。中学時代の野球の話、軟式チームだったこと、大学に進んだ経緯など、丸岡さんとの付き合いは5年になるけど初めて話した話題も多かった。

スラスラーという池を抜ける。この池の脇は12月のアンコールハーフマラソンや8月のアンコールエンパイアフルマラソンで走る、カンボジア在住ランナーには見慣れた場所だ。そして去年のUTAはこのあたりリタイアした。今年は問題ない。この分ならいけそうだ。
通り過ぎて南下。草っ原を抜けてプラサットクラヴァンという遺跡に出る。ここの遺跡の前もレースでよく通る。遺跡をしっかり見たのは初めてかもしれない。損壊箇所も少なく、オレンジ色の遺跡の肌が印象的な綺麗な遺跡だった。

↑プラサット・クラヴァン

プラサット・クラヴァンの前でエイド。53km到着。時間は午後1時。暑さがいよいよ本格的になってきた。足の痛みも若干でてきた。丸岡さんはほとんど休まずに行ってしまった。僕も気持ちは焦るが、時間はまだまだある。「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせ、水を2,3回かぶって、みかんを食べて出発した。丸岡さんから遅れること10分くらいだろうか。

プラサット・クラヴァンを出てからは北上。タ・プロームなどの有名遺跡の横を通る。

タ・プロームは遺跡が木に浸食(?)されていることで有名な遺跡でアンコール遺跡群に人気遺跡トップ3に入る遺跡だ。とにかくバスが多い。時間は2時前後で一番暑く、かつ観光客も多い時間帯。観光バスの運転手やガイドは物珍しそうにこちらを見ている。そりゃそうだろう。普通「なんでこんな暑い中走ってるんだ?」と思うはずだ。僕だってわからない。なんでこんな暑い中走ってんだろう。でも、そんな変人と見られている事をちょっと快感に感じたりもする。

いくつか遺跡をすぎると林道のような道に入る。ここは舗装もされていないものの、木が道の上を覆っており、木のトンネルのようになっている。あの刺すような太陽光線も当たらず、涼しさすら感じる気持ちいい道だ。マウンテンバイクの観光用道路にもなっているそうだ。

前半最後のエイドがやってきた。もう丸岡さんには追いつけなかった。ここにきてなんだか疲れが一気にきた感じになる。30kmまで一緒に走っていた明さん、栗原さんが64km着いたと連絡が入る。僕はあと8km。このペースだと1時間くらい遅れそうだ。

前半極めて押さえたはずなのに、体のダルさがものすごい。スピードを出さなければ出さないで、別の疲れが来ている感じだ。体温は上昇していないので、熱中症にはなっていないのが救い。でもこの疲れはちょっと想定外だ。もう64kmで十分だなぁ、と思ったのもたしかこのあたりだ。弱い自分が顔を出す。

エイドで10分くらい休んで出発。途中64kmゴールを目指すカップルにジョグで抜かれる。ちょっとスピードあげようかな?と思うも、「僕は後半の64kmもうあるから抑えよう」と押さえた。膝の痛みは増しているけど、128km完走を意識していることに気付かされる。「そりゃそうだ、あれだけ押さえたんだから最後まで行かなくてどうする」

64kmエイドに到着。15時40分くらい。明さんが出迎えてくれて、ビールで乾杯した。

提供されるヌードルを食べる。むちゃくちゃ少ない。お腹がすいて仕方ないので、だれかの食べ残しで放置されているヌードルを食べる。まるで乞食だ。グズグズに麺がのびてスープも冷えているけど、疲れた体に染み渡る。ビールは半分くらい飲んですぐに寝ることにした。オーガナイザーは近づいてきて「早く走りに行きな、行きな!」と言ってくる。やかましいわ、寝るんじゃ俺は。シャツだけ着替えてすぐに眠った。

40分くらいの睡眠。「早く起きろ!走れ!」という声を夢の中で聞く。なんだったろう、あれは。ここはエレファントテラス。戦うも者たちの出発とゴールの土地。なにかの声でも聞いたんだろうか?いや、眠る前に切ったフレンチおっちゃんの声を蒸し返したんだろうか。いずれにしても僕は眠るために来たわけではない。準備を済ませて出発する。

テントを出るとちょうど128kmのトップが帰ってきてインタビューを受けていた。トップは50歳くらいの背の高い細いヨーロピアンだった。(あとから聞いたがUTMBに入賞している世界トップクラスの選手らしい)時間は17時前だったので、13時間かかっていない。まじかよ。これから僕はあと残り64km行くんだぜ。あと13時間以上はかかる旅だ。気が遠くなる。

エレファントテラスから、バイヨンを通り抜ける。さっきまで痛かった膝がほとんど痛くなくなっていた。もう涼しいし、ここから日が暮れるので、暑くなることはない。ゆっくりジョグで行けばいい。アンコールトムの堀を右折すると、そこからは田んぼと林道を繰り返すコース。段々と人気(ひとけ)がなくなる。ここから先は遺跡も少なく観光客も少ない。夕方なのでもう人っ子一人いない田舎道を歩いていると非日常感を全身で感じる。

こんなカンボジアシェムリアップの田舎の日暮れ時に一人でジョグをするという非日常。これまで走ったことがない道だったからなのか、冒険をしているようなワクワク感が湧く。こんな時間をくれた大会と家族に感謝の気持ちがわいてくる。

後半戦最初のエイドで丸岡さんに追いついた。丸岡さんはゆっくり歩いているそうで、僕はジョグだったので、僕が寝ていた時間も巻いた計算になる。「まだ長いですけど時間があるんで頑張りましょう」と丸岡さんを見送る。

ここのエイドで、日本人ランナーのサポートをしている田代さんからカップ麺とソーセージをいただく。さっきのエイドのグズグズヌードルだけではお腹がペコペコだったので、ありがたくいただく。うまい。きつねうどんの醤油味がしみる。ほどなくサポートしているランナーも来た。ほぼ同じタイミングでスタートした。

スタートしてからは田んぼと田舎道を交互に通る。もう走る体力がなくなってきていてゆっくり歩く。それでもキロ12分くらいをキープ。ただ足場が砂地で歩く度に足が取られる。砂浜のように深い。このあたりはいくつかの集落があるようで、土曜の夜とあってあちこちからカラオケをしているような音が聞こえて騒がしい。途中売店でコーラを買って飲む。1本1ドル。高い!というけど、コーラのエネルギーは貴重だ。渋々払う。さっき一緒にスタートしたランナーも一緒に休む。比下さんというそうだ。何度もウルトラトレイルに参加しているツワモノだそうだ。

↑比下さんと

田んぼを抜けるとここから西バライというバカでかい人口湖を西にまっすぐ走る。途中なんどか湖が見える。もう暗くなっていたもののそのデカさだけはわかった。灌漑設備として作られたとも、ヒンドゥー教の海を意味する池として作られたとも言われる巨大な湖は東西に8km、南北に2kmあるらしい。その端から端まで走るのがこのパート。基本的に退屈だ。ズルズルズル

2時間ほどすると83km地点の後半2つ目のエイドが来た。20:40。もう周りは真っ暗だ。LED一個でエイドは運営されていたが、おびただしい数の虫が漂っている。そこにリタイアしたというランナーが迎えの車を待っていた。虫にまみれながら車を待つ彼ももう満身創痍の表情だった。前のエイドであった田代さんも来ていたが、なんだか毎回甘えてしまいそうで比下さんとは離れて休んだ。それでも走る前に冷たいお茶をいただく。うまい。

↑83kmエイド、虫にまみれながら車を待つランナー

ここから先は田舎道だった気がする。夜21時を過ぎて眠さが増してくる。足の痛みもズキズキくるようになり、完全に走れなくなってきていた。ペースがキロ13分から上がらない。とにかく歩く。87kmくらいでお腹が空いて商店でカップ麺を食べる。たしか夜22時位。これより遅いと商店は閉まってしまうので、チャンスだ、と思った。時間よりも栄養が先だと思った。64kmで休んだときに、ジェルを持ってくるのを忘れていたからだ。もうそのときから頭が回っていなかったことに気付かされる。

↑どこかで撮った


食べ終わってまたとぼとぼ歩く。途中、アスファルトの道を出る度に、写真を取られるようになる。番号を確認して、「Welcome」と言われることもしばしば。彼らは無線で各エイドやチェックポイントとやり取りをしているので、「自分は最後尾かも」という気がしてくる。

ペースを上げたいが上がらない。足が痛く、3キロに1回くらい、膝に手をつき休む。休み休み、ようやく残り3kmで次のエイドというところまできた。時間は23時。残り9時間で33km。いま1キロ15分なので、1時間4キロ。ゆっくり休んでいるとかなり危ないということに気づく。

その瞬間だった。「完走できずになるものか!!」と頭が瞬時にさえ、頭の中がスカッとした感じなる。体中に新鮮な血液が流れ込んだようになり、痛みがすべて消えて走り出した。キロ7分を切るくらいのスピード。自分でも信じられない。93km地点で奇跡が起きたなぁ~と思いながら、走る。ゴルフコースに入る。ずんずん走る。トレイルウォーカーからトレイルランナーになったなぁ~と感じる。3kmを走り抜け、96kmエイドに来た。

「僕は最後?」と聞くとそうだよ、タオルどうぞ。とつめたーいタオルを暮れる。ゆっくりしたかったが「足が動くうちに走らなきゃ」とお礼もほどほどに、走り出した。

1キロ位走ると丸岡さんに追いついた。丸岡さんは足をひきづるように、ストックで体を支えながら歩いていた。「きつい、ひどい、痛い、きつい」と繰り返しながら、、「丸岡さん、ちょっとジョグしましょう。時間ちょいやばいっすよ」と丸岡さんを鼓舞して一緒にジョグする。5分くらいで比下さんも追いつく。

一緒にジョグを始めた。しかし、僕の脚の痛みが消えた奇跡は長くは続かなかった。100kmを過ぎた頃、膝とふとももに激痛が戻ってきて、ジョグどころかまともに歩くことも難しくなってきた。丸岡さんと比下さんを見送り、あっという間に一人に。時間は1時を過ぎていて、完全に静かだ。空を見上げるとオリオン座が光っていた。ここからはあまり記憶がないがとにかく何度も幻覚をみた。

木が笑っていたり、空が走っていたり、女の子が座っていたり、横からおいでと手をこまねかれたり。ディズニー白雪姫の冒頭のシーンのようだった(わかる人いるかな笑)キロ25分くらいまで落ちながら、ずりずり進んでいたが、農道に座り込んでしまう。もう動けない。完全にアドレナリンなのか脳内麻薬なのかわからないのも切れてしまった。

歩いては休み、歩いては休みでやっと106kmエイドが見えてきた。午前2時20分、残り22kmだったがもう間に合わない、動けないと思い、106kmでのリタイアを決めた。

2年連続のリタイアで情けない気持ちでいっぱいだったが、最後まで戦った感は今年のほうがずっと大きい。まだまだがんばれたのでは?最後のタイムアップまでやるべきだったのでは?というのは今も自問自答するところであるが最後まで走ることができなかっただろうし、実力も戦略も足りなかったというところだ。

とはいえ、カンボジアの遺跡をめぐりながら田舎道を歩く非日常体験は楽しむことができた。もっともっときつくて嫌で、もう絶対来年は参加しない、二度とエントリーしないと思いながら走っていたのに、1週間たった今書くとそんな記憶が結構減っているのも不思議だ。丸一日、灼熱の太陽と砂地に苦しめられながらも、トレイルを通じて未知の場所、新しい人との出会いを楽しむことができることがやっぱり魅力だ。もう嫌だ、やらない、と決めながらも、来年またこの地に吸い寄せられるように戻ってきてしまうのかもしれない。

来年はどうするのかまだわからないけど、いつかリベンジすることがあるかもしれないので反省点を書いておく

・あまりに時間をかけすぎるのも疲れる。ゆっくりだとゆっくりなりに別の疲れが来る。
・暑いときに体温を上げすぎなかったのは正解。
・エイドがしょぼいことは頭に入れながら、準備すべき。
・味噌汁の素はよかった。
・エイドで休みすぎない。
・エイド以外で休みすぎない。
・寝たのは良かった
・Inov8からGel Fujiに変えて足裏のダメージが減った。ウルトラやるならミッドソールの厚さは大事
・後半はストックあってもいい。

引き続きがんばります!

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