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正しく怒ることの難しさ

こんばんは。
肩書き迷子ライターの中村ひろのです。
そろそろ肩書きを決めたいなぁと思うこの頃です……。

ここ数日、仕事での緊急対応が多くてnoteに向き合う時間がほとんどないのですが、私の体重の情報がワールドワイドウェブに流れたら汚情報で汚染されてしまうので全力で回避するためnoteにしがみついております。
こういったとき、twitter3投稿分というルールはありがたいですな……。

さて、先週の話ですが、私にまったく非のないことについて、よく知りもしらん人から意味不明な攻撃を受けました(ネット上で)。
私は短気なのですぐに頭に血が上るタイプなんですが、このときばかりはスッと血が引いていくような冷たさを感じて、「ほほう!これがマジな怒りか!!」と若干他人事のようにもなりましたね。そうでもしなきゃスマホぶん投げて壊してたかも。(そしてきっと自己嫌悪に陥るのだ)

それでもって、小一時間ほど冷静になるために時間を使い、二時間ほどで状況の整理を行い、さらに二時間ほどかけて相手への文面を書いたわけですが、これが思いのほか難しかった……。

対面ならばともかく、文面で私が何に対してどのように怒っており、それは何故なのか、なぜ相手の言葉が私にとって失礼なのか、どのぐらい失礼に値するのかを理論立てて説明するのは、文面だけでは感情が見えないから正しく伝えることが難しい。

しかも、怒りにまかせて相手を傷つけるような言葉を使ったら相手と同じになってしまうので、相手への一定の礼節を守りながらギリギリの言葉づかいにもならないように全力で自分と闘いました。本当に疲れた。

でも、これがもし対面での出来事だったら、私は相手に送った文面と同じことを冷静に伝えられたか? と思うと、正直なところ難しかっただろうなぁ……と思います。
だからそういった意味ではメッセージでのやりとりでよかったかもしれない。

正しく怒ることができたのか、正しく怒りを伝えることができたのかは、少し時間が経った今でもわかりません。

ただ、今回のことで「理不尽な攻撃にじっと耐えてやりすごす」というこれまでのスタンスををきれいさっぱり捨てることにしました。

怒ることってとてもエネルギー使うので、めちゃくちゃ疲れる。
疲れるのはきらいだから、可能な限り怒りたくない。

でも、相手にきちんと怒りを伝えなければ、私はわたしを損なうことになると気づきました。
39年も生きてきていまさらって感じですが……。

改めてそのことに気づいた今回の出来事でした。

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