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新卒2年目の分岐点

大切なものがずいぶん前に失われていたことに気づくことがあります。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまったことに気づくこともあります。そんな失われてしまったり去ってしまったりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気づき、茫然と立ちすくむことがあります。

そんなとき、自分の胸に手をあててよく考えてみると、そのきっかけが自分のエゴであることに気づきます。これでいいや、これ以上は面倒だ、これだけやっておけばいいだろう……そう考えてしまった瞬間に、「これ」になってしまい、「これ以上」を目指せなくなってしまい、「これだけ」やる人間になってしまいます。そしてそれが次第に習慣になり、自分そのものになっていくのです。変化しない人間になっていくのです。変化しない人間に成長はあり得ません。成長とは向上的に変容し続けることなのですから。

若い頃の話です。

私は大学を出て、札幌市の教員になりました。初任者研修で同期採用十数人とともに毎月議論をしました。中学校の国語教師だけで同期採用が十数人です。バブル採用といわれる所以ですね(笑)。

私たちは毎月の初任者研修を楽しみにしていました。私たちは同じ悩みを抱えていましたから、それを率直に語り合える場として初任者研修があったのです。国語の授業はどうするのか、学級経営はどうするのか、先輩教師はなかなか教えてくれない、だから自分たちの頭で考え出そう……そんなことを語り合っていた記憶があります。

1年が経ち、初任者研修が終わりを迎える頃、私たちはこの場がなくなることを惜しいと感じるようになりました。この場がなくなってしまったら、自分たちは4月からどうやって生きていけば良いのか、そんな切迫した感覚さえ抱きました。

私たちのうちの数人が初任者研修後に喫茶店で雑談をしていた折り、この場を失わないように続けようじゃないか、サークルをつくって今年1年してきたような実践報告会をつきに一度開こうじゃないか、そんな話になりました。私たちは初任者研修に参加していた同期採用全員に声をかけ、4月から「ポプラの会」という授業研究サークルを立ち上げました。同期採用十数人のうち、十人程度が参加しました。私たちは安堵しました。この場を失わずに済む……。それほどに初任者研修の場は私たちの実践報告の場であると同時に、安らぎの場であり癒やしの場でもあったのだと思います。私たちは月1回、ささやかな実践報告を持ち寄って、月例会を続けたのでした。

ところが、です。この「ポプラの会」が結成され、1年が経った頃のことです。メンバーが一人、また一人と参加しなくなってきました。どうやら、教職にも慣れ、授業にも困らなくになってきて、「ポプラの会」をあまり必要としなくなってきたようなのです。

毎回集まるメンバーは決まった数人……。私たちはこのまま、「ポプラの会」を続けるのは無駄だと考えました。やる気のある者だけでちゃんとしたサークルをつくろう、そう決めました。こうして出来上がったのが、当時たった4人から始まったサークル「研究集団ことのは」です。いまもなお私が代表を務めながら、中学国語教師ばかりのメンバーが30人以上、東京や名古屋にも支部をもつまでに成長したサークルです。

さて、長々とこんな話をするのは、教師というものが新卒から2年くらい経ったところでふた手に分かれていく……という実感を私がもっているからです。教師としてよりよい在り方を追求し続けようという者と、環境に慣れ困らなくなれば良いと考える者とにです。

だれだって2年も経てば、どんな環境にも慣れるものです。環境に慣れてしまい、日常的に困らなくなったとき、人はそれ以上の成長をしたいとはなかなか思えなくなるものです。前にも述べたように、「これでいいや」になり、「これ以上は面倒だ」になり、「これだけやっておけばいいだろう」になります。新卒教師の最初の分岐点がここにあります。

特に、新採用から1~2年程度を成功裡に終えた教師にこの傾向が見られます。例えば、初めての学級担任としての1年間をまずまず無難にやり遂げたとか、新採用としての数年でまずまず授業を成立させることができるようになったとか、そういう教師に、です。

いま、私は「まずまず無難に」という言い方をしましたが、他人から見て「まずまず無難だった」と捉えられる1年間は、実はやっている本人にとってはかなりの充実感があるものです。生徒たちとの関係においても、授業や行事、部活の運営においても大きなトラブルがないということですから、本人としては「自分には実力があるのでは」とか「自分には人間的魅力があるのでは」といった勘違いに陥りやすいわけです。

実は、こうした自信をもったときの教師というのが、一番危ういといえます。自分は正しい、自分は力がある、そう過信してしまい、子どものことを考えたり周りの目を考えたり、或いは世間がどう捉えるかというようなことを考えぬままに突っ走る……そういう状況に陥りやすいからです。

私自身の経験を振り返ってみても、失敗するときというのは、自分を過信して調子に乗ってしまったときです。人間というものは、年齢を重ね、三十代、四十代になってさえも、時に自分を戒めることを忘れてしまいます。

ましてや二十代の若手教師なら尚更です。自分を過信して、周りと強調することなく調子に乗ったり、周りからの評価を得ようと焦るままに突っ走ったりすると、大きなミスを犯したり、ちょっとした言葉の行き違いから重篤な保護者クレームをもらったりということがよくあります。

自分を過信することなく、自分はまだまだだ、自分は下の下だと、慎重な姿勢を崩さず一歩一歩前へと進んでいく、そうした姿勢を堅持した方が安全だと思います。

二十代教師にとって気をつけなければならないのは「慣れ」と「過信」である……ということになります。



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