自分なりの語りを身につける
教師が最低限身につけなければならない〈スキル〉というものが幾つかあります。
教師は話すことを商売としていると言って良い職業ですから、もっとも重要なのは〈話し方スキル〉ということになるでしょう。
授業における発問や指示は〈話し方スキル〉が前提となります。生徒指導や生活指導において子どもたちを指導したり説得したりするのも〈話し方スキル〉が前提になります。学級で連絡したり説明したりするのも〈話し方スキル〉が必要です。保護者会で学級の様子を報告したり、職員室の先生に相談したりするのも同様です。つまり、教師にとって〈話し方スキル〉を身につけることは必須課題なのだということです。
一般に、〈話し方スキル〉というと、わかりやすい話、明快な話、おもしろい話など、いわゆる「話術」のことと考えられています。しかし、あまりにもなめらかな話はときに嫌味に聞こえる場合がありますし、あまりにもウケをねらった話は誠実さを欠いた印象を与えることもしばしばです。確かに教師が話すとき、わかりやすさや明快さは必要なのですが、ただうまい話が子どもたちや保護者に伝わる話し方ではない、ということは意識した方が良いでしょう。
よく営業畑の人たちの間で言われることです。なめらかに話をする営業マンというのは確かに一定の成果を上げます。しかし、営業成績のトップに立つような営業マンは決してただなめらかに賞品の宣伝ができる人ではなく、実感のこもった世間話のできる人であったり、たどたどしい口調ながらも消費者に寄り添って自分の迷いや見解を誠実に語る人であったりすることが多いそうです。営業というのは感情をもつている人間を相手にしていますから、宣伝の内容や話のうまさよりも、やはり共通の〈コンテクスト〉をいかにつくれるかにかかっているのだと言えそうです。
実は、教師の〈話し方スキル〉にも同じことが言えます。子どもも保護者も、ただなめらかにうまく話すことを教師に求めているわけではありません。少々たどたどしくても構わないので、その教師独自の〈語り〉こそを聴きたいと思っているのです。
新しい先生が赴任すると、その学級の最初の学級懇談会に多数の保護者が参加するということがよく起こります。言うまでもなく、これまで知らなかった先生なので保護者はその先生がどんな先生なのかを見に来ているわけですが、そこで評価されるのはあくまで人間性です。もう少し正確に言えば、人間性のイメージです。なめらかに話をする先生は有能な印象は与えるかもしれませんが、どこか信頼できないというイメージを与えがちです。保護者から見れば、なんとなく裏があるのではないかという印象を抱いてしまうわけですね。実はそこで保護者たちは、その先生がどれだけ誠実で一生懸命にやってくれそうな先生かということを見ています。そしてそれは、教師がしゃべった話の内容よりは、その先生の表情や仕草や迷いやものの見方や考え方などの総合的な印象、つまりはその先生独自の〈語り方〉によって判断されているのです。
それは例えば、一つ一つの質問に対して質問者のほうを向いて語ったかとか、質問者に目線を合わせながらも他の保護者への気遣いがあったかとか、保護者の話を早合点したり勝手に解釈したりしなかったかとか、自分の言いたいことだけ言って保護者の話を聞かないという態度に見えなかったかとか、〈声にならざる声〉とでもいうべきものを聞いているのです。要するにちゃんと一人ひとりの保護者との〈対話〉を成立させていたかということを見ているわけですね。
保護者会で一人ひとりの保護者と〈対話〉を成立させられる教師は、間違いなく子ども相手でも同じことをしてくれるはずです。我が子をあずけるに足る信頼を寄せられるか否かは、そうした印象によって判断されるわけです。
教師はまず何より、子どもたちや保護者を前に〈対話〉を成立させられるような自分独自の〈語り〉を身につけなくてはならないのです。
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