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情け

岩見沢市。5/2(日)に3回に分けて400人ほどが参加して行われた成人式。終了後に岩見沢市内で非公式に行われた大規模な飲み会でクラスター。要するに、新成人たちが集まって行われたクラス会や同期会だろう。複数の会場で入れ替わり立ち替わり、延べ数百人が参加したとのこと。昨日は19人の感染が確認され、今日は新たに10人の感染が確認された。まだまだ増えそうな感じだ。

まあ、成人式があれば新成人は集まって飲む。それは不思議なことではない。あ~あ…とは思うけれど、怒りは感じない。しかし、昨夜の道の記者会見でこの報告に対し、多くのマスコミが「成人式が行われれば新成人は集まって飲むのはわかっていたはず。この時期に成人式を行った行政の責任をどう捉えているのか」という質問が投げかけられた。

これを聞きながら僕は、「ああ、もう、やらないのはかわいそうだとか、やってあげたいとか、情けをかけて実施するということにさえ、こういう対応しかなされない世の中なのだな…」と感じた。

いま、札幌市の学校は旅行的行事の延期を求められている。運動会をはじめ、さまざまな行事の延期や縮小も求められている。今回延期されたとしても、数ヵ月後には、教師たちはもし感染が完全に収束していなくてもぎりぎりの判断で実施しようとするはずだ。「やらないのはかわいそうだ」「やってあげたい」という情けで。

しかし、もしもそこで図らずもクラスターが起こってしまったら、マスコミは「実施した責任」を問うわけだ。とすれば、「情けはかけない」という安全策しか取り得なくなる。岩見沢市の行政が問われた責任。それは僕らの身にも振りかかってくる、同じ構造の問題なのだと強く感じた次第である。

触らぬ神に祟りなし。一億総責任回避社会に突き進む。そんな近未来像が浮かんでくる。

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