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意識と行動

生徒の規範意識は教師の規範意識によって培われるのではない──教師はまずこの逆説を謙虚に受け止める必要がある、私はそう考えています。

生徒に規範意識が身に付いているか否かを測るとき、教師は生徒の行動を観察します。生徒たちが頭の中で何を考えているのかは厳密にはわからないわけですから、生徒の行動を評価対象とすることは理に適っていると言えます。

しかし、ここで問題なのは、教師が生徒の行動を評価する場合の評価基準が、教師自らの規範意識、つまりあくまで規範に対する意識になっているという点です。現在、教師という仕事はかなり高い規範意識をもたないと成り立たない職業です。みな自分は社会規範に抗うことなく教師としての仕事を行っていると考えているはずです。

でも、ここでよく考えてみましょう。あなたは本当に規範意識に従ってすべての行動を制御しているという自信があるでしょうか。生徒たちに提出物の期限は絶対に守るようにと言っているあなたも、行事反省の提出が遅れたり、学年会に諮る文書をつくるのを忘れたりしているのではないでしょうか。あまり気乗りのしない飲み会につい出席すると言ってしまい、当日になってやっぱりドタキャンなんてことをしたことはありませんか。そうです。行動を評価されるということはこういうことなのです。規範意識をもっていても規範意識に則った行動ができない、そんなことは誰にでもあることなのです。

では、行事反省を遅れないで提出したり、学年会への提案文書を忘れずに作れたり、或いは飲み会をドタキャンしなかったりというときはどんなときでしょうか。それは難しいことではありません。だれでも経験のあることです。職員室にコミュニケーションの図られた〈共同性〉があるときです。

胸に手を当てて考えてみましょう。職員室が仲が悪いときには、私たちは忘年会のゲームさえ楽しむことができません。余興の仮装やちょっとした罰ゲームなども、なぜこんな仲の悪い集団のためにそんなことをしなければならないのかと感じてしまいます。

しかし、職員集団がうまくいっていて、信頼のできる人たちとの忘年会ならば、ちょっとくらい恥をかいてもみんなで楽しむことを選ぶのではないでしょうか。人間の心性とはそういうものなのです。

実は〈規範〉とは正しい服装で過ごすことや時間を守って生活することを指すのではありません。集団の中で誰もが損をしたりいやな思いをしたりしないように共通したルールの中で過ごすための共同幻想のことです。とすれば、もちろん年度当初にルールはルールとして確認しておく必要はありますが、学級担任も含めた学級集団、或いは学年所属の副担任をも含めた学年集団が徹底してコミュニケーションを図ること、誰もが「この人たちに迷惑をかけたくない」「この人たちに楽しい思いをさせてあげたい」と思うような状態となること、それが〈規範意識を育てる生徒指導〉の理想型ということになります。

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