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他者性を意識する

友人や恋人との関係を考えてみましょう。

なにか悩みごとを相談したとき、「うん。わかるよ、その気持ち」と言われたら、「そんなに簡単にわかられてたまるか!」と言いたくなるときがありませんか? それなのに自分が相談されたときには「あっ、自分も感じたことある」と思って、ついつい「うん。わかるよ、その気持ち」なんて言ってはいませんか? そのとき、友人や恋人はもしたかしたら、口には出ささないけれど「そんなに簡単にわかられてたまるか!」と思っているかもしれません。そう思ってるなら言って欲しい……あなたはそう思うかもしれません。でも、あなたが「わかられてたまるか」と感じたときにはやはり口には出さなかったはずなのです。だって相手のことを大切に思っているわけですから。その人は好意で言ってくれているわけですから、わざわざそんなことを言って関係をぎくしゃくさせたいとはだれも思わないわけです。

こうした日常から私たちが学ばなければならないのは、どんなに近しい間柄の人だったとしても、他人と完全にわかり合えることなどないということではないでしょうか。そしてそれが頭ではわかっていても、それでも「わかって欲しい」と思う気持ちは無限に私たちを捕らえ続ける、そういうことでもあるような気がします。そして自分がそう思うのだから、相手もそう思っているに違いない。だからできるだけ自分も相手のことを「わかってあげたい」と思う。

このお互いにわかり合えない部分をいっぱいもちながらも、「わかって欲しい」と「わかってあげたい」を双方がもっているとき、友人関係や恋人関係はうまくいき、継続されるのではないか、そんなふうに感じます。
実は子どもたちは教師に対して、あなたが友人や恋人に抱くような「わかって欲しい」を抱いています。そう考えますと、教師という仕事は友人でも恋人でもない子どもたちに対して「わかってあげたい」を持ち続けなければならない職業と言えます。多くの教師がそういう気持ちをもって日々子どもたちと接しています。それは間違いありません。きっとあなたもそうでしょう。

しかし、ここに一つの大きな落とし穴があります。教師は大人で、相手は子どもです。大人と子どもの大きな違いは、子どもは大人がなにを考えているのか経験がないからわかりませんが、大人は子ども時代を経験しているので、自分が子どもだった頃に思いを馳せて〈わかったつもり〉になってしまうのです。その証拠に職員室では、日々、「あの子はこういう子だ」「この子にはこういうところがある」と評価しているではありませんか。いわゆる〈ラベリング〉です。

しかし、人と人とが完全にわかり切ることなど不可能なのです。それは仲の良い友人や愛し合う恋人など、どんなに近しい間柄でも不可能なことなのです。育った環境だけでなく、世代もまったく異なる子どもたちのことを完全にわかるなどということがあるはずがないではありませんか。

この他人に対する了解することの不可能性のことを、一般に〈他者性〉と言います。子どもたちは〈他者〉なのです。学級担任はともすると、担任する子どもたちに対して親に近い感情を抱きます。親に近い感情とは無償の愛を注ぐという意味だけでなく、どこか子どもたちを所有物のように感じることをも意味します。この子のことが私にわからないはずがない……というような感覚ですね。しかし、そんなことはあり得ません。

あなたはこんなことを感じたことがありませんか。担任する子どもがなにかトラブルを起こしたとき、保護者を学校に呼んだり家庭訪問をしたりして保護者にも家庭で指導してくれるようにお願いします。そのとき、保護者が「うちの子は悪くない」とか、「あの子に悪い影響を受けているのだ」とか、非を認めなかったり責任転嫁してりするのを見ることがあります。「この子のことは私が一番よくわかっています」と言うことさえあります。そんなとき、あなたは思うのではないでしょうか。「親の見る目と社会の見る目は異なるのになあ…。このお母さんは学校でのこの子を知らない。私の見立てのほうが正しいのになあ」と。

なのに、自分の担任する子がなにかトラブルを起こして別の先生に指導を受け、担任のあなたに「ちゃんと指導してくださいね」と言われたときには、「この子はそんな子じゃないんだけどなあ」とその先生に反感を抱いてしまう。「たまたま周りの子との関係でそういうことになってしまったに違いない」と感じてしまう。先の非を認めなかったり責任転嫁したりする保護者と同じ構造ではありませんか。

それではいけないのです。子どもは〈他者〉なのです。そういうときに必要なのは、この子について私にはわからないところもたくさんある、でも、今回のことを機にさらにわかってあげたい、そう思うことなのではないでしょうか。

難しいことです。私たちも神ではありませんから、腹が立つこともあれば、必要以上にかばってあげたくなることもあります。でも、私たちは教師なのです。そういう立場に日常的に立たなければならない職業に就いたのです。

やるっきゃないではありませんか……(笑)。

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