彼はぼくに自然の摂理を教えてくれそうな気がする
二学期最初の日。二学期始業式といってもいい。朝学活のあと廊下に整列して、体育館で少しだけ校歌の練習をして、始業式、夏休み中の部活動大会の表彰式、学活、更に英語と理科の夏休み明けの小テスト、そういう一日である。始業式と表彰式が予定より早く進み、時間が繰り上がった。放課時間はなんと10時55分である。授業時数不足に悩む学校が多い中、信じられないことだが、ぼくの勤務校は二学期初日に授業がない。小テストだけである。計算上授業時数は確保されているらしい。11時30分から25分ほどの職員会議。その後、30分ほどの学年会。夏休みと二学期とを結ぶ、教師にとっても生徒にとっても俗に「リハビリ日」と呼ばれる、簡素だけれど大切な一日である。
「今日は木曜日だから、明日さえ乗り切ればなんとかなる」
隣の教務主任が言ったので、ぼくは即座に、
「オレには乗り切らなければならない明日なんてないな」
と返す。向かいで3つ年下の学年主任がウケていた。
ぼくは暇だ。昨日は小中連携と称して校下の小学校に授業をしに行ったし、明日行われる国語の小テストをつくって印刷もしたし、新しく出す本の校正ゲラが届いてそれを5日間程度で完了しなければならないという予定もあるけれど、どれもぼくにとっては「やれば終わる仕事」でしかない。その日が来さえすれば自然に終わるのが授業だし、ちょっとした集中力でえいやっと仕上げてしまえば終わるのがテストづくりだし、隙間時間で少しずつ進めて二度読み直せば完了するのが校正である。それだけのことだ。どの仕事もぼくの人生を揺るがさない。
いま、ぼくが夢中になっているのは彼である。いや、彼女かもしれないが、ぼくのイメージの中では彼である。ぼくはこの1週間、ずーっと彼に夢中になっているのだが、いまだに彼に逢ったことがないのだ。
話は1週間前に遡る。ぼくは東京に行く用事があって朝早く起きて空港に向かっていた。高速を飛ばしながら煙草を吸おうと窓を開けた。パワーウインドウがヴィーンという音を立ててさがる。ぼくが開いた窓から腕を出すと肘のあたりに違和感を感じた。
うん?
蜘蛛の巣だった。おそらくは昨夜、窓を開けてすぐのバックミラーから運転席のドアまで、小さな蜘蛛が巣を張ったのである。こりゃ気持ちが悪いやと思い、ぼくは助手席に置いてあるティッシュ・ボックスからティッシュを2枚とって蜘蛛の巣を払った。ティッシュをまるめてギアにかけてあるコンビニの袋に捨てた。ぼくはブレイキさえ踏むことなくその作業を完了した。その日はそれだけのことだった。
3泊4日の仕事から帰ってきて、空港の駐車場に行くと、ミラーからドアにかけて小さな蜘蛛の巣ができていた。「またか…」と思った。ぼくはドアを開け、助手席のティッシュボックスからティッシュを2枚とり、3日振りに蜘蛛の巣を払い、またコンビニの袋に捨てた。ぼくは高速を飛ばして帰途に就いた。桑田佳祐の影響力について考えたりした。
その夜、ベッドに入ってもなかなか寝付けない。1時間くらいうだうだしていたが、どうにも寝付けないでいる。起きて仕事をしようかとも思ったけれど、明日からは仕事である。やはり寝なければならない。妻も、2匹の犬も寝息をたてている。ぼくは東京行きの4日間のことを反復して遊ぶことにした。そのうちに眠れるだろう……。
4日前の朝、ぼくは何時にどのようにして起きたのだったか。シャワーを浴びたのだったか、それとも前日のうちに風呂に入ったのだったか。旅行鞄は準備していたか、それとも当日の朝になってばたばたしたのだったか。そうだ。起きてシャワーを浴びたのだ。シャワーを浴びるんだから、ブラシやシャンプーを鞄に入れるのは明日の朝にしよう、そう思って前日は寝床に入ったのだった。そんなことを考えていた。
朝の出来事を早送りで進める。車に乗って、渋滞もなく意外とスムーズに高速に乗れたことを喜ぶ自分を追体験しているとき、不意にそれは訪れた。そうだ、蜘蛛の巣だ。あの蜘蛛の巣と空港の駐車場の蜘蛛の巣をつくったのは同じ蜘蛛だろうか。それとも別の蜘蛛だろうか。
考えれば考えるほど、その二つの蜘蛛の巣をつくったのは同一人物に思えてきた。両方とも直径十センチくらいの蜘蛛の巣だったし、なんというか、蜘蛛の巣の佇み方が同じだった。蜘蛛にも個性があるとすれば、あそこまでその雰囲気まで一致した蜘蛛の巣をつくる蜘蛛がこの世に二人いるようにはぼくにはどうしても考えられなかった。
では彼はどうやって、札幌から千歳まで移動したのだろうか。ドアにへばりついていたのだろうか。それともボンネットか。でも、100キロを超えるスピードで走っている車が60キロ以上移動する間、ずっとへばりついていられる蜘蛛がこの世にいることをぼくは想像できなかった。
では、彼はどこにいたのか。ぼくが自宅で車に乗ったときに素早く車に乗り、ぼくが空港で車を降りるときに素早く車を降りたのか。いやいや、それも考えにくい。ぼくは車に乗るときも車から降りるときもドアを開けっ放しにするタイプではない。旅行鞄はトランクに載せたから、ドアを開けっ放しにする都合もない。動の開閉はせいぜい15秒といったところではないか。もちろん、ぼく一人が乗ったり降りたりできるわけだから、蜘蛛も乗り降りできる時間ではあるだろう。しかしこの想像にはどうも無理がある気がした。
そんなことを考えているうちに、ぼくは眠りに就いた。この夜、その後もいろいろ考えたような気もするがぼくが覚えているのはここまでである。
次の日の朝、ぼくは休暇をとった。朝から仕事に行こうと思っていたのだが、どうやらぼくは以前に、この日に犬を病院に連れて行くと約束したらしい。先週手術した母の見舞いにも行きたいし、歯医者にも行きたいし、そして何よりぼくはその日、髪を切りたいと思っていた。現実的な現実がすべてぼくに休暇をとることを提案していた。だからぼくはこの日、休暇をとったのだ。
朝の9時半頃だったと思う。動物病院に行こうと犬を連れて車に乗ろうとしたとき、ぼくは三たび、ミラーからドアまで直径10センチの蜘蛛の巣が張られているのを見つけた。
「ああ、彼はまだいるのだ」
懐かしい友人に逢うような、くすぐったい、それでいてちょっと酸っぱいような感情がわいてくる。彼はいる。まだいる。それは確かだ。でもどこに……。当然の疑問が浮かぶ。ぼくはドアの周り、ミラーの周りをじっくりと観察した。どこかに小さな蜘蛛がいないか。この巣の主はいないか。
しばらく探したけれど、彼はどこにもいなかった。でも、それはおかしい。彼は確かにぼくの車が札幌から千歳に移動にしても巣を張ったのだ。車のどこかにいなければおかしいではないか。とこだ。どこにいるのだ。ぼくは諦めて後部座席に犬を乗せ、運転席に座った。
んっ?と思った。もしかしたら、とも思った。ミラーは運転席からスイッチ一つで方向を変えられる。窓を開けてミラーを見ると、動く鏡部分とその外枠との間に1.5ミリほどの隙間がある。
ぼくは合点がいった。そうか。彼はミラーの裏側にいるのだ。この隙間から、暑さを避けて、昼間はこの中に入り込んでじっと動かずにいるのだ。昼の住み処と夜の住み処とを使い分けているのだ。そしておそらく、そこにはぼくには想像もできないような彼の摂理があって、運命ともいえ自然ともいえるようなその摂理に従って、彼は昼の顔と夜の顔とを使い分けているのだ。昨夜のこだわりが溶けていくのを感じる。それは曇った眼鏡が少しずつでも確実に透明感を取り戻し、視界が開けていくような感触だった。
それから3日経った。朝出かけるときに蜘蛛の巣が張られていなかったのは、朝方アメが降った一昨日だけだ。蜘蛛の巣は今朝も存在感を示していた。ぼくは朝の決まり事のように助手席からティッシュを2枚だけとって蜘蛛の巣を払う。ドアを開けて運転席に座るとじっとミラーの隙間を見る。それを見ていると、その隙間に吸い込まれそうな気がしてくる。その感触が浮かぶと、ぼくは、ああ、このへんにしておこうとエンジンをかける。なんとなく仕事がはかどる気がしてくる。
ぼくには乗り切らなければならない明日なんてないけれど、でも、明日こそは逢いたいと思える生き物がいる。もし逢うことができたら、彼はぼくに自然の摂理を教えてくれそうな気がするのだ。
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