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自分の世界観を疑う

突然の質問で恐縮ですが、学生時代、あなたの成績はどのくらいだったでしょうか。高校時代に地元の旧帝大(東大・京大・阪大・名大・東北大・九大・北大ですね)を目指していたのに及ばず、第二志望の教育学部や教員養成系大学に進んだという方もいらっしゃるでしょう。或いは小さな頃から教職志望で、教育学部に努力して入ったという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、いずれにしても、小・中学校のときには学年でも上位の成績を取っていたのではないでしょうか。

一般に、教員は小・中学校で成績下位だったという人がなれる職業ではありません。ヤンキー先生のような例外もありますが、一般的には間違いなく、小・中学校では成績が上位だったはずなのです。高校時代に思うように成績が伸びなくて劣等感を抱いた経験のある方もいるかもしれません。しかし、あなたが進んだ高校はあくまで進学校なのです。同年齢人口のなかではまずまず上位だったと言って差し支えないはずです。

実は、教員というのは、ある程度の成績の人たちの集まりなのです。少々言葉が悪いのですが、職員室というのは同じような階層の集まりであると言えるのです。職員室であなたの周りの同僚の先生方と話していると、話の合う人もいれば合わない人もいます。しかし、その同僚たちは須く小・中学校ではあまり勉強には苦労しなかった人たちなのです。みんな勉強はそれなりに大切だと思っていますし、小・中学校の勉強ならばそれほどコン詰めてやらなくてもできるものだと思っています。みんな社会問題にある程度の関心をもっていますし、社会にアクセスする能力ももっています。だれもが市役所に行って書類を提出するのに困ることはありませんし、新しい文明の利器が出ればそれなりにすぐに使いこなせるようになります。

さて、あなたが小・中学校時代、学級であなたよりも成績が悪かった人たちのことを思い浮かべてみましょう。或いは、高校時代にあなたよりもはるかに成績の良かった、とても適わないと感じたクラスメイトのことを思い浮かべてみましょう。彼ら彼女らがいまなにをしているのか、あなたは知っているでしょうか。彼ら彼女らはどんな考え方をし、どんな生活をしているでしょうか。ちょっと想像力を働かせてみましょう。

あなたは想像できますか?

私としては、できれば想像できて欲しいのです。そしてできることなら、その小・中学校時代の成績の良くなかったクラスメイトや、高校時代に自分よりもはるかに成績の良かったクラスメイトたちと、いまでも付き合いがあるという状態であって欲しいのです。だってそうではありませんか。あなたがいま担任している子どもたちのなかには、そういうかつてのクラスメイトたちの数年から十数年前の姿があるのですから。いいえ。もっと言うなら、いまあなたが担任している子どもたちの保護者は、それらのクラスメイトたちの十年から二十年後くらいの姿かもしれないのです。

私の言いたいことがそろそろおわかりでしょうか。

私たちのものの見方、考え方、感じ方は、もしかしたらある一定の階層に特徴づけられた偏ったものであるかもしれないのです。教職に就いている人間の世界観というものは、社会全体から見たらほんの一部の、ある一定の人たちの偏った世界観であるかもしれないのです。教師はこのことの怖ろしさを肝に銘ずる必要がある、私はそう感じています。

教師は好むと好まざるとにかかわらず、どうしても権力を手にしてしまいます。子どもはよほどのことがないと教師に刃向かわないものです。保護者だってよほど我が子が不利益を被っていないとクレームなど言ってこないものなのです。子どもが「先生なんて嫌いだ!」と言う。保護者がクレームの電話を寄越す。どちらもその子や保護者に問題があって、気楽にそんなことを言っていると思ったら大間違いです。しかし、教師が子どもや保護者を批判・非難することは決して少なくありません。

あなたは自分の正しさが世の中の正しさだと勘違いしてはいませんか?

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