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JICA海外協力隊に対するちょっとした愚痴

「結局、日本人が一生懸命になっても意味がない」

ある週末のオンライン飲み会で、カンボジアの同期隊員が述べていた。話の流れを要約するとこうだ。

カンボジアをはじめとした所謂、開発途上国は、現実問題として、行政も教育機関もその大部分は血縁と地縁で成り立っており、日本のODA事業として派遣されたJICA海外協力隊(旧:青年海外協力隊)は、その組織に対して、一定額の金銭をもたらす存在でしかない、ということ。

もっと具体的に言うと、血縁と地縁で成り立つ閉鎖空間(安心社会)では、産業に発展性がなく、頑張っても報われない世界なので、新参者の日本人が来てもお金をもたらす客人としての扱いしか受けないということ。

⇒モチベーションが低かったり、時間や約束が守られない環境の中で、一生懸命にやってても現地の人々との温度差・壁を生むだけ。

ーなんだかな、と感じた。

いや、私自身、言わんとしていることは非常にわかる。
カンボジアに限らず、JICAが人的資源としてボランティアを送り込む先では、要請内容として書かれていた事とは全く異なる状況になっていて、結果、仕事は自分で見つけなければならない。

一方で、一昔前にJICA事業が国家予算の仕分け対象になった理由としては、ノルマも競争相手もいない世界では、JOCVの若者に裁量を持たせたとしても、成果や実績に結びつかない。一人当たり数百万~一千万の予算を投入するのは無駄だ、という結論からだ。

全く何気のないオンライン飲み会から、これは根深い問題だと思った。

(私自身は派遣が中途半端な形で終了した身分なので)本音を言うと、「いや、それでも現役の隊員たちには、少しでも現状を変えるためにもがいて欲しいな」、と思ってしまう。

あまりに気持ちがなえて、SNSの更新も遊びや現地での生活レポートにしかならないモノを見てしまうと、これじゃ、「青年海外協力隊の虚像」と同じじゃないの?、と正直な想いとして心の中に残ってしまうんだよね。

2020年前後に派遣された協力隊員たちは、非常に特殊な環境下にいて、コロナ禍により、ある人は登録という制度を利用して再派遣に望みをかけ、ある人はJICAとの契約を切って違う道を決断して、のような形になっている。

そして、2022年秋。世界的なパンデミックがひと段落した感があり、日本のJICA事業は本来の形を取り戻しつつある。それと同時に、JICA事業がこの先も例えば10年、20年続いていくかどうか、その価値があるかどうか、というのは現役もOVも何度も自問自答してよいのでは、と思った。

おそらく、答えなんてない。
だからこそ、私も今一度。
あの時間が自分にとってどんな意味があったかを考えてみたい。

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